第3話 神と人権とウイルスと津波

 私はビアンバーで3杯目のカクテルに唇をつけつつ言った。

「植松が得意げに語ったことなんだけどさ。人権も神といっしょだ、人権の存在も神の存在と似たようなものだ、昔は神を否定するとフルボッコだった、今は人権を否定するとフルボッコだけど、これは矛盾してる、人権の存在を否定する思想の自由を侵害してるし、妊娠中絶が許されてるのとも矛盾してるってさ」

「バカのわりに理屈こねるのね」

 天蛾が相槌を打ってくれる。他のお客さんに甘いカクテルを出した後、言ってくる。

「たしかに人権と神には同じ側面があるね。どっちも人間が創造した観念であって、地球や鉄、水、太陽、人、虫、岩のように有るモノではなくて、想像上の概念。そして、その存在を否定すると、ものすごく攻撃される。理不尽なまでにね」

 同性愛者には神や宗教が嫌いな人が少なくない。天蛾もその一人だし、私も無神論者。テレビのニュースが本日の新型コロナウイルスの世界での拡散状況と、日本の与野党の質疑を流しているのをチラリと見た天蛾が皮肉っぽく笑う。

「野党を見てると痛快ね」

「どのあたりが?」

「日本の領海や領土を侵してきた外敵と話し合うべきだ、押しつけ憲法の9条がどうのって言ってきたのに、今回ばかりはウイルスと話し合え、とは言わないのが可笑しい。どうしようもない敵、話し合いの余地がない敵も存在する。だから、緊急事態で戒厳令みたいなのも受け入れるって姿勢になってるところが、可笑しいわ。クジラやイルカを殺すなって団体もノーコメント。同性愛者も異性愛者も一致して、ウイルスは撲滅すべし」

「なるほどね。まあ、ウイルスや津波を相手に私たちの人権や主権を説いても馬耳東風どころか、耳さえないもんね」

 私の両親は津波で亡くなった。あの3.11で。私は一口だけカクテルを呑んで言う。

「自然界、自然科学的には人権も主権も、神も存在しないね。人文科学的な概念にすぎない。おまけに、本気で人権は平等だと言うなら、どの国も難民に冷たすぎる。まるで国籍が無いと人権が無いみたいに。概念の崇高さに比べて実際の取り扱いは難民に対しては粗末すぎるかもしれない。そして、このコロナウイルスのせいで世界中が鎖国状態」

「まるで人権という概念に挑戦するみたいなウイルスね。高齢者や病人に配慮するのか、経済を優先するのか、さらに感染者の人権をあつかう難しさ。私権の制限が正義となる場面が出てくる。それは公共の福祉という全体利益のため。かつてエイズウイルスの拡散を同性愛者だけの責任に吹聴したようなことが起こらないといいけど」

 もう世間が忘れ、私の世代では知らないような差別と偏見を、加害側は忘れても被害側は覚えていて、きっと一生消えないんだと感じる。

「性病ウイルスか………植松はコロナを聖ウイルスって言って、はしゃいでたなぁ……逮捕されたときみたいな無邪気な笑顔……というか、邪気だらけの笑顔で。あんな彼にも人権はあることになってるけど、死刑にするのは人権を剥奪する、生命を奪うってこと……あれだけのバカに、もっと優しい社会だったら………バカは救いようがない………昔の人は、よく言ったものね。バカにつける薬はない、って」

 そうつぶやく私の目にテレビのニュースが海外のバカな人が、あえてドアノブや便器を舐めてコロナに感染するかチャレンジして見事に感染したって話題を見せてくれた。天蛾が言う。

「海外にも救いようのないバカはいるのね。でも、これも多様性かな」

「え~……多様性って言葉で片付けるの? 便利に使いすぎてない? LGBTQの問題に使うのはわかるよ。でも、こんなバカにまで多様性って言い出したら、きりなくない?」

「でも、これくらいのバカがいるから、私たちはフグを食べられるし、アメリカ大陸も発見されたんじゃない? 普通しないことをする人がいるから、フグの可食部分が判明するし、遠い海を渡ってみようともする。君子危うきに近寄らず、愚者危うきに近づき新発見す」

「コロンブスもバカってわけ………まあ冒険バカね。バカも世界に必要ってことかな」

「となると障碍者の排除も、同性愛者の排除が間違ってるように、間違ってるんじゃない?」

「命という意味ではね。植松は周囲の不幸や国家の財政を問題にしたし、それに賛同する人も少なくない。かりに障碍者すべてを幸せにするために消費税35%、所得税は倍でお願いします、と公約されて誰が投票する?」

「結局、お金かぁ……」

「お金といえば、私は西山さんの今後が心配」

「え? 完全に無罪なんじゃないの? 確定で」

「そうよ。で、刑事補償制度で冤罪なのに刑務所に入れたことで国から賠償してもらえる。15年、365日かける一日2万円。ざっと計算しても1億950万円」

「けっこうな額ね………まあ、青春の15年と見合うかどうかは微妙だけど……」

「軽度の知的障碍があって、自分の運命を左右するに決まってる自白を警察官に恋心を抱いたからという理由で誘導される人の手に、約1億1千万円。とても心配にならない?」

「……なる。あやしい宗教団体とか、仮面人権団体が寄付を言いに来そう」

「親戚や親族だって信用できない。宝くじに当たった人が秘密にするのと、いっしょ。なのに彼女は報道されてしまった。さすがに家族が宗教団体くらいは警戒してくれるかもしれないけど、銀行、保険会社、投資系のあやしい話、アパートを建てさせようとする不動産屋、ゆうちょ生命さえ信頼できない世界で、本人のためを思うなら定期預金で毎年200万円しか解約できないように、いくつもの銀行に分けてあげるのがベストかなぁ……」

「信託銀行や、いっそ成年後見人は?」

「銀行は手数料を目当てに投資信託を売りつけそうだし、成年後見人となった弁護士が横領するのは、たまにある話」

「……お金の前には配慮も人権もないわね。しかも、それをするのが知能指数の高い人たち」

「低能だけど実直な植松は国家の財政を障碍者を殺すことで建て直すという持論をぶつけるために衆議院の議長にまで面会を求めていた。大麻の影響もあって、他害や自傷の危険性を憂慮され、犯行の直前には強制入院させられているけれど、精神病院の入院も最近は財政と人権への配慮で短めになっている。そして、すぐに退院させられた植松は持論通りの犯行を実行して39人を殺した。彼曰く、一人あたり2億円は浮いた、だからオレは78億円の価値ある仕事をした男だ、オレの裁判に1億かかっても安いものだ、いい仕事をした。そう言って大笑いしていた。死刑になる瞬間も、笑って死にたいそうよ」

「39回、死刑になるべきね」

「私は無期懲役であるべきだったと思う」

「あんな殺人鬼に?」

「私は本当の殺人鬼を知ってる」

 まだ子供だった頃、私は目の前で大勢の友達を殺された。やっと、この記憶のことを冷静に話せるようになってるけれど、古傷は痛む。

「殺人鬼は心から楽しそうに人を殺す。植松みたいに周囲が不幸とか、財政がとか、そんな理由は要らない。殺したいから殺す。斬りたいから斬る。まるでダンスでも踊るみたいに、刃を振るっていく。常人がお腹いっぱいご飯を食べるのが幸せなように、幸せそうに快感そうに、殺人そのものが目的で殺す。究極の変質者、度し難い変態、女性の下着ばかり盗んで集めるヤツと同じ、ただ自分の欲望のためだけに殺す。そういう存在が殺人鬼、それから見て植松は小物、ある意味で、まともな人間。そして、自殺する人が事前に死にたいと周囲に漏らしてSOSを発するように、植松は障碍者を殺してやると周囲に吹聴していた。これはSOSの信号でもある。それを発していて強制入院まで至ってる。退院させたのは明らかな誤診で、とても危険な状態だった。責任論でいえば医師の責任、植松には責任能力が薄い状態、だから人権を重視するなら、障碍者の人権も犯罪者の人権も同列に重んじて、植松を治療し矯正を試みるべきだった。けれど、医師だけでなく裁判官でさえ、やっかい者を払うように植松を放り出した。深く審理せず、とりあえず大量殺人なので死刑、という安直かつ大衆が納得する結論、でも真に人権を重んじるなら植松を生かしておくべきだった。彼は自分が死刑になることで、結局は人権を重んじない世界を嘲笑って逝くのよ。あれだけの大事件だったのに被害者の氏名はいまだ多くが公表されず、そして政治の場で事件を機に障碍者の待遇改善のため、民衆に増税を頼もうという気配もない。賢い人は黙り込み、愚かな植松は嘲笑い続ける。そうして彼は神になる。疫病神か、貧乏神の一種、差別と抹殺の神様、八百万もの数を想定されてる神々の末席に鎮座する。あの邪気だらけの笑顔でね」

「植松聖の嘲笑か……不快ね、そして不幸。誰もが優しくない」

「世界は、どこまでも優しくないね。津波やウイルスの冷酷さ、非情さのようにヒトも人に優しくない。救いがない」

「アーメンとでも、唱えたくなるわけね」

「フっ……私は、今日、自分が生きていることに、乾杯するわ」

「それ、賛成」

 私は天蛾とグラスを鳴らした。

 

 

 終わり

 

 

 

 この物語はフィクションです。実在の人物団体国家と関係ありません。また、拙著「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩と勇戦」の世界観を少しだけ引き継ぎますが、続編ではなくスピンオフ作品です。

 

 

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植松聖の嘲笑 鷹月のり子 @hinatutakao

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