『給養部隊』

 衣食住が足りて初めて礼節だの何だのが活きてくるのだ。と、遥か昔の人間が言ったとか言わないとかで、法律を重んずる『魔術犯罪抑止庁』を擁する蒸気機関都市ザラマンドは福利厚生が手厚い都市としても知られている。

 何せ、他都市と違って生きているだけで最低限の衣食住は保証されるのだ。究極、働かなくても生きてはいける。無論、美味しいものを食べたいだとか、もっと快適な場所に住みたいだとか言い始めると勤労の必要性が出てくるのだが。



 故に、『抑止庁』職員もまたその労務に応じた衣食住を保証されている。



 箸と椀を携えた羆が背に描かれた補助官には手を出すな、と言うのが『抑止庁』内の常識である。この隊章を掲げるのは、『抑止庁』の食を支える『給養(クッカー)部隊』の証だからだ。

 『給養部隊』の戦場は、『抑止庁』第一棟にある大食堂だ。不規則な時間で食事を摂る『抑止庁』職員たちに、美味しくかつ栄養が過不足なく取れるものを食べさせることが目標。独自に掲げられた信条は、「健全なる精神は健全なる食事によって作られる」。

 朝食から夜食まで、何なら十時や十五時の間食まで完備されている大食堂は、『抑止庁』職員を支える柱の一つだ。厨房には常に三分隊が常駐していて、その他の分隊も庁内にある畑や牧場の運営に忙しい。

 また、第一棟にあるため、見学者の対応も業務に含まれている。見学者ならばほぼ無料で食べられると言うこともあり、大食堂はいつだって賑やかだ。運が良ければ主要都市の郷土料理も出されるため、その人気は推して知るべしだろう。

 そして――『抑止庁』職員以外が入れる場所として、新参の犯罪組織がよく狙う場所でもある。犯罪組織にとって『抑止庁』は目の上の瘤、面子を潰せるならいつだって潰したいと願われているのだ。


「隊長! 隊長!」

「待機室だからと言って埃を立てるな。すぐそこに厨房があるんだぞ」

「表に嫌なお客さんが来てる!」

「はぁ……今月で何件目だ? 門衛は何をしてるんだ、強く抗議するぞ」

「今日の表担当だと厳しい感じ!」

「仕方ない、出る。裏に補助に回れと伝えておけ」

「はーい!」


 箸と椀を携えた羆を囲む歯車は、『給養部隊』隊長、イーツ=クッカー一等補助官であることを示す紋章だ。砂色の短髪と褐色の肌、棗色の目が特徴のバリアルタ成人男性――色合いだけならばジェニアトに近いが、その長身はそれだけで威圧感がある。

 ぬ、と厨房裏の待機室から出て来たイーツを見た補助官たちが、安堵の溜め息を漏らす。そんな部下たちをじろりと一瞥したイーツは、懐から取り出した注射器を太股に打ち込んでから表に出る。

 大食堂の客席には、食卓の上に立って大演説をぶちかましている男が数名。やれ『抑止庁』は人間の自由を束縛するだの、ザラマンドの都市民は自分で考えることを止めた家畜だの、ぎゃあぎゃあ騒いでは攻撃系魔術を撒き散らしている。威嚇目的だろうが、既に数名負傷者も出ているらしい。

 それでも、一番混む――『抑止庁』職員も多い昼の時間帯を選ばなかったのは、賢かったのか怯えたからなのか。とは言え、十六時と言う半端な時間だからこそ、イーツがすぐに出られた訳だが。


「おい」

「あぁ!? 何だぁ!?」

「三秒数える間にそこから降りろ、三、二……」

「『抑止庁』の犬が吠えてんじゃねぇよ!」


 ぐちゃ、と踏み潰されたのは食卓の上に残っていた焼き菓子だ。十五時の間食として、最近配属された三等補助官たちが頑張って焼いていたのを覚えている。だから、イーツはこの瞬間に手加減することを放棄した。


「食材にも作り手にも感謝を抱かない馬鹿ハ死ネ」


 ごぼ、と筋肉が膨れ上がる。輪廻魔術――人体に秘められた生命の歴史を遡り、別種の生命体へと変異する魔術だ。その中でもイーツが得意としているのは、火属性攻撃系輪廻魔術(フラムマ・ウルスス・アルクトス)。

 燃え盛る毛皮を持つ巨大な羆へと変異したイーツは、その威容を目にして硬直した男の一人に張り手を繰り出した。否、張り手とは言うが人間の数倍はある羆の、鋭い爪と硬い肉球つきの殴打だ。ばつん、と肉が弾ける音と共に男は大食堂の壁へと叩きつけられた。

 ようやく状況を把握した男たちが各々の魔術を放とうとする、が、刹那厨房側から響き渡る金属音、指笛、大喝采。それら全てが『給養部隊』の補助官たちによる歌唱魔術だと気づいた時には遅すぎた。

 男たちの肉が、骨が、羆の一撃で弾け砕ける。放とうとした魔術はイーツの部下たちの歌唱魔術によって妨害され、発動さえさせてもらえない。そうして、三分も経たない内に、男たちは完膚なきまでに制圧された。


「グル、る……よし、『医療(トキシック)部隊』に連絡しろ。絶対に殺すなよ、履歴抹消で逃げられて堪るか」


 部下が持ってきた布を巻きつけ、変異を解いたイーツは言う。ばたばたと忙しなく後始末にかかる部下たちを横目に、のそのそと待機室に戻ったイーツだったが、


「……くそ」


 食べかけていた料理が冷めているのを見て、悲しげに眉を下げた。

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