最終日 2

 俺が放った一言。対して大きくもない声量のはずなのに、この空間の空気をがらりと変えていく。


「……考え直してはくれないだろうか。決して勇者殿にとっても、悪い提案では無いと思うのだが」


 王は聞き分けの悪い子供を諭すように優しくこちらに考え直すように勧めてくるが、その眼は決してそういった風な言葉を吐くときに向けるものではなかった。

 まるで自身の意見が拒否されることなどこれっぽちも考えていなかったかのよう。──己の言葉こそが絶対だと疑わなかった傲慢さが滲み出ていた。


 これが罠であることはとっくに知っていた。少なくとも、これに首を縦に振ってしまえばもう俺に自由がないことは、クリアさんが教えてくれた。


『恐らくあの王は、都合の良い言葉を使い“契約”を用いてお前を縛ろうとくる。──だから、大事なのはお前が本音を言うことだ。適当に丸め込まれることなく己の気持ちを吐き出すことだ』


 ──そうだ。俺がするべきことは、ただ本当のことを言うだけ。それだけだ。

 悩むことはない。俺がしたいことをただ伝えれば、それが答えであるはずだ。

 

「やりたいことが出来ました。知りたいことが出来ました。だからこの国に留まるつもりはありません」


 ゆっくりと、自分の中にある欲を再確認するように王に向かって願いを告げていく。

 台本などない。こんな圧迫面接みたいな空気の中で、いちいち脳を回しておべっかを使うなんて真似が出来ないことは自分が一番よくわかっている。


 けれど、ああ。吐き出すのは本音。嘘偽りなどない──純度百%の気持ちそのもの。

 ならばやるべきことは言葉にすることだけ。そう考えれば、不思議とすらすら言葉なんて出てきてくれた。


「──だから、その話は断らせていただきます」


 最後まで言い終えたとき、なんとも言えない満足感を感じた。

 自分の意見をはっきりと言ってやったのは実に久しぶりだ。ああ、存外に気持ちが良いものだ。


 沈黙が場を支配する。より性格に言うのであれば、誰もが息を呑み、言葉は愚か呼吸の一つすら許されないかのような異常な緊迫感が埋め尽くす。


「……残念だ勇者殿。──ああっ、実に残念極まりない」


 たった一言。けれど先程までそこにいた王の言葉とは思えないくらいに平坦な声。

 まるで別人。今までの圧がお遊戯であると思わせるほどの雰囲気の変貌を、拳を作り力を込めながら誤魔化しながら視線を下げないようにする。


「よもやこれほど譲歩してなお、そのような愚かさに満ちた答えに辿り着くとは。やはり勇者といっても所詮小僧。己の利すらまともに考えられぬ阿呆らしい」


 ……誰にでもわかるくらいにはあからさまな侮蔑。散々向けられた失意の視線が俺を襲う。

 都合が悪いとすぐに態度を変えるなこいつ。仮にも一国の王であるなら、もう少し取り繕った方が良いと思うんだが。


「まあ良い。元々勇者殿の返答に期待してなどいなかった。それでも問うたのはあくまで確認。余に従う意志を見るためである」

「……元々俺の意見なんて興味も無かったのか?」

「然り。如何にこの世界の支柱たる勇者といっても、今ならまだどうにでもなるのでな」


 ぶつけるように雑に語る王。けどまあ、なんか落ち込みよりも疑問が芽生えてくるのはどうしてだろう。

 元々俺はこんな王様信用できると思っていなかった。最初から傲慢な言い回しでむかつくくらい威圧してくるやつの言うことなんか、これっぽちも信用できなかったのだ。


「まあ、その思想は矯正すれば良いだけだ。──おい」


 その一言で鎧を纏いながら兵達が左右から駆け寄り、逃げ道のないよう囲み俺を捕えるべくゆっくりと迫ってくる。


 ……覚悟はしていた。クリアさんがたびたび見せた憐憫に似た視線から、俺の今後が明るくないことはうすうす感ずいてはいた。


 今にも掴みかかろうとしてきそうな兵達を前に、水のように透き通った刃を構えながら覚悟を決める。

 ここからが本当の異世界。俺一人で歩いて行くための始まりだ。たかが国一つに臆してはここから抜け出すことすら叶うまいと柄を強く握りしめる。


 ──次の瞬間、目の前で兵が空を舞っていた。


「えっ──」


 風だ。俺を中心に吹き上がる風の柱が、俺を害そうと迫っていた兵のすべてを中に放り投げたのだ。

 がしゃがしゃと鈍く重い音を立てながら落ちてくる兵達。呻き声を上げながら苦痛を露わにするその惨状に、王は思わず目を見開く。


「どういうつもりだ? 既に依頼は終わっているのだがな? ──クレアリア・シリウス」

「どういうつもりも何も見たままだが? 説明など必要ないだろうに」


 王の叱咤を遮るように、俺の前まで歩いてきたクリアさん。

 実に頼もしい後ろ姿。助けてくれたのか。けど、どうしてこんなことを……?


「……わからんな。貴様が其奴に肩入れする理由などないであろう。冷酷無比な貴様が! たかが一ヶ月足らずで! 絆されるはずなど! 感情神マインディアの導きでもなければ、それこそあり得ない話であろう!?」


 王は困惑を隠しきれないままクリアさんに問う。

 俺はクリアさんのことなどそこまで知っているわけではない。けれど、その言葉が全くもって正しいものではないのは理解できる。


 クリアさんは確かに厳しかった。心の中で付けた鬼教官の名にふさわしい鬼畜っぷりで俺をしごいてき厳しい人。

 けれど、冷酷無比などと呼ばれるくらい薄情な人ではなかった。むしろ倒れた俺をベッドに運んでくれたり食事を提供してくれたり見捨てはしなかった。

 ──そして何より、俺を助けてくれた。あの青色の悪魔を前に、逃げろと言ってくれたこの人が冷酷なんて言葉で表せるわけがない。


「ふざけんな!! この人がそんな人なわけないだろう!!」

「何も知らん小童がしゃしゃり出てくるでない。この女の業は黒獄シンフクの底──永劫なる虚空に堕ちてもなお消しきれぬ大罪。それを背負うのがこの森族エルフの正体!! これで善良など片腹痛いわ!!」


 初めて、王は激情を見せながら言葉を紡ぐ。

 多分嘘は付いていない。この人の言葉は決して間違ってはいないのだと、初めてこの王の言葉をまともに信じれるくらいには感情のままに言葉を投げつけてくる。


 確かにクリアさんは悪人なのかもしれない。俺と一緒にいたときがたまたまそう見えただけで、本来は邪知暴虐の化身の如く悪逆を振るっているのかもしれない。


 ──ああ、けれど。


「そんなの俺は知らない! 俺が知っているクリアさんはっ! 少なくともっ! 俺を見てくれていた!!」


 そうだ。この人は俺を見てくれた。俺と向き合ってくれた。

 正義のためにただただ他者を陥れる善人あくとうなんかよりも、ずっと信頼できる人。それで十分だろう。

 それだけあれば十分。過去など知ったときに考えれば良いのだから、今はこの人を信じたい──!


「ああ、確かに私は悪党さ。この小僧がどういう言おうと、それが覆る事などあり得ない」

「そうだ!! だからこそ──」

「だがこいつは、そんな私を救ったのだ。こんな愚かな私を助けた命の恩人を、自分の教え子を見捨てるなんていうのは、いくら私でも出来やしないさ」


 クリアさんはちらりとこっちを見てから、はっきりと言葉を発した。俺を助けてくれると、そう言ってくれたのだ。

 何だろう。誰かに庇ってもらうのとか超久しぶりだから、超嬉しいんだけど。


「この国に袂を分かつ気か? 契約によって縛られている貴様が?」

「何も知らないのは貴様の方だ小僧。私の契約──三度の礼はあくまで先々代の王個人と結んだ対等な契約。間違ってもこの国の王に受け継がれるものではない」


 この空間を押し潰そうとしていると感じるくらいに重苦しい緊張が、この広大な王の間を包み込む。

 俺は愚か誰にも割って入ることなど許されないと勝手に退いてしまいそうな圧が、二人の間には存在していた。


「言いたいことはそれだけか? ──ならばもう行くぞ」

「後悔するぞ、“紅竜殺し”。いつの日か、その選択を」

「構わん。私を誰だと思っている」


 その言葉を最後にクリアさんが王に背を向け、俺の手を掴んで引っ張りながらこの空間を後にした。

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