最終日

 あの戦いから一週間が経過した。

 あれから聖域近くで一日ほど休息を取った後、俺達は街に戻ることが出来た。

 

 たったの七日前後しか離れていなかったのに、あの大きな門が見えてきたときにはよくわからない充足感が

込み上がってきたほどにはいろいろあった。

 死を覚悟した回数、涙を流した数なんて最早数えられるほどではない。これほど脳裏に刻み込まれた一週間は俺の人生には存在しなかった。


 柔らかいベッドの感触、警戒の必要性もない平和な空間での休息。それが最初は落ち着かなかったりもしたけれど、それも次第に収まり平和な日常を送っていた。


 まあこの一週間に何もしていなかったわけではない。クリアさんが街を案内するついでに様々なことを教えてくれた。

 至る所で宣伝に使われる魔術マクリヤ。見たことない、ちょっと知ってそうな物でも全然異なっている食べ物や生き物。


 ただただ目を輝かせながら未知という娯楽を楽しんだこの一週間は、どんな宝石にも代えがたいものであっただろう。


 だが、そんな幸せな時間ももうじき終わり。時計の針は少しずつ進んでいくのは、残酷だが避けられないこと。


 ──今日は最終日。クリアさんとのお別れの日。




 ぼんやりと目の前に聳え立つ城を眺めながら、橋を渡る。

 最初にここを通ったときもきょろきょろと目線が泳いでいたはずなのだが、どうにもこの景色に覚えというものがない。

 

 まあ当たり前だが相当に緊張していたのだなと、当時の自分を思い出す度にくすっと笑みがこぼれそうになるのはもう仕方が無いと思う。それを昔の俺が見たら、顔に出るくらい怒るのが想像できるなと思ったところで、少しだけ懐かしくなる。


 ──そうだ。かつての俺にはそこまで余裕がなかったのだ。

 なにせ見ているだけで胸がすっと軽くなりそうなこの青空でさえ、驚くだけで終わってしまっていたほどだ。むしろ、今のこの落ち着き具合の方が俺にとっては異常事態であったはずだ。


「どうした。足でも竦んだか」

「……いえ、別に」


 以前とは違い、からかうように軽口を向けてくるクリアさん。

 あの始まりの日とは違い、今はあの銀色の鎧を着てはいない。彼女曰く、もう必要が無いということらしいが、あんまりよくわからないので特に気にはしていない。

 

 そもそも鎧はそこまで必要が無いらしいとクリアさんが漏らしていた。単に顔を隠すために着ていただけで、ローブかなんかでも良いらしい。


 こんな風に軽口を言ったりするなんてそれこそ思いもしていなかった。

 だってそうだ。最初はいきなり殺されかけたのだから、普通ならもう少し気まずい関係になるのが一般的な人間関係というやつではあるまいか。


 ……まあ悪い気はしてないし、別に良いだろう。

 何はともあれ、俺にとってこの人は恩人だ。この右も左も知らぬ世界での最初のガイドになってくれたのだから、文句はあれど不満はない。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 城の門前に待機していた二人の男が、俺達を先導するように前を歩く。

 見たことあるような顔だったが、これっぽちも名前を浮かんでこない。まあ恐らく俺が召喚されたときにそこにいたのだろうと、適当に推測し納得しておく。


 無駄に装飾を施した階段を上ったり、無駄にいろいろ飾ってある廊下を歩き、ようやくそれっぽい大きな扉の前で彼らは止まる。

 ……ここか。あの時はこの扉をちゃんと見ることはなかった、実に重そうな気の扉。……うん、それっぽい。


 ぎぎぎぎと木が撓る音を立てながら扉は開き道を作る。目に入った濃厚な赤色の絨緞が、一本道のようにあの玉座へまっすぐに示していた。


 ゆっくりと、踏みしめるように歩く。

 一歩進める度に、まるで走馬燈のように膨大な情報おもいでが脳を駆け抜ける。


 辛いこともたくさんあった。苦しいこともあった。むしろ、それしかなかった。

 けれど。ああ、けれど。決して、それだけじゃなかったことも俺は知っている。覚えている。


「久方ぶりよな候補者殿。──随分と見違えたな」


 あの日と変わらぬ声が、俺を地に縫い付けるが如く重苦しい圧を感じる。

 聳える玉座に君臨するは一人の人。黄金の髪を逆立て、上より仰ぎ見る覇王。


「クリアよ。よくぞここまで育て上げた。やはり貴様に任せたのは正解であったか」

「当然だ。私を誰だと思っている」


 跪くことこそ最も楽なことだと錯覚させる、重厚な音にて紡がれる言葉をさらりと流すクリアさん。

 

 ……そうだ。どれだけ凄く見えようとも、相手もまた一人の人間でしかないのだ。

 何を膝を屈しようとしている。獣にすら屈服し無かった俺が、たかだか違う世界の王様一人に、言葉を交わせる人間に折れることなどあり得て良いものか。


 態度には出さず、されど中で強く己を鼓舞する。

 そうすれば見え方は変わる。王は偉大なのだというフィルターを取り払い、本当の意味で彼に目を向ける。


 ……ああ、意外と怖くはないな。

 不思議だ。あんなにも違う生き物にも思えた強大なオーラはわからないのに、彼は一人の人間なのだとはっきりと知覚できる。


「見事である。報酬は帰る際に受け取るが良い。──さて勇者殿。確認したいことがある」


 クリアさんへの言葉を早々に切り上げ、その鋭い視線をこちらに向けてくる。

 獅子を思わせる迫力に今一度心が竦み、膝の震えが抑えきれなくなりそうだ。


 ──ああ、でも大丈夫。相手をしっかりと見据えろ俺。俺にとっては異世界の王だろうとただの人。立場はほとんど変わりはしないだろう?


「……本当に、良き眼をするようになった。これならば臆することなく戦い抜くことが出来るだろう」

「……どうも」

「さて、確認したいのは一つ。君が勇者足りうる唯一無二の資格。──聖剣を見せてもらいたい」


 突き刺すような視線が、俺を見定めようとしているのを優に語っていた。

 どうせ隠しても意味はなさそうだし、ご所望なら見せてやろうではないか。


 俺の左手にしっかりと握られている水晶のように透き通った刃の剣。それを目視した周囲の兵が、ざわざわと声を上げた。


「──ほう」


 驚嘆の声を零す王。果たしてそれは何に対してなのだろうか。

 聖剣を出せたことか。それとも色か。確かクリアさんの話だと、聖剣の色が透明なのは確認されている中では初めてらしいが。


「なるほど。それはまさしく聖剣──勇者が持つに相応しき剣である」


 その讃辞は俺に対してではなく剣へ向けられているのだろう。それほどに、こっちを見ないで放たれた言葉。

 まるで付属品のような扱いだが、生憎そこで苛つくようなメンタルはもうしてない。そもそも地球にいた頃も変わらず上気取りのゴミくず共が蔓延っていたのだから、いちいち気にする気もない。


「勇者殿。君にはこれから、この国──アールスデントのために力を貸してもらいたい」


 王は心なしか優しい声色で、こちらにそう言ってきた。

 

「無論報酬は弾もう。金、魔道具マギル、女。勇者殿が欲するすべてをこちらは用意し、何一つ不自由のない生活を保障すると約束しよう」


 実に、実に耳障りの良い俺にとって都合の良い言葉。

 言うことさえ聞けばこの異世界における生活のすべてが確約させる──俺にとって素晴らしい持ちかけ。


「さてどうだ? 我が国のため、その剣を振るってくれないか?」


 それは問いかけというより確認。俺の次の言葉が肯定であると疑いのない、絶対の自信に満ちた提案。

 普段であれば、この異世界に来るまでであれば、疑いながらもはいと頷いてしまっていただろう。

 

 ──ああ、でも。それでも今は。


「お断りします」


 俺の思うことを自信を持って、はっきりと口にできた。

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