焚火を挟んで

目の前にいたのは、あまりに浮き世離れした──形ある美そのものであった。

 日本人では到底あり得ない自然な金色の髪に若干だが尖った耳、完璧と言って良いほど精巧に形作られた造形。おおよそ身長は百七十センチくらいのすらりと整ったスタイルで、なお大きすぎず小さすぎずな母性の象徴。

 まさしく芸術。空から零れる月光のスポットライトで照らされながら水を浴びるその姿はさながら、人の願う理想であり幻想に等しい。テレビに出てくるどんなアイドルよりも、美を意識させてくる美しい人がそこにいた。


「……妖精?」

「なんだそれは。知らん者で例えるな」


 どうやらこの世界に妖精はいないらしい。……ってそんなことはどうでも良い。

 やばいやばい。たかが会話の一つでもめっちゃ緊張するんだけど。

 先程ひんやりとした冷水に浸っていたはずなのに、気づけば困惑と緊張で顔から熱くなってくる。

 こんな綺麗な人の生まれたままの姿。正直、十五の俺にはちょっと脳の処理が追い付かないくらいに異常な事態なんですけど、どうすればいいんでしょうかねぇ。


「……どうした小僧。心までいかれたか?」


 少し近づいて、こちらを覗き込んでくる妖精。……小僧。俺をそう呼ぶのは……まさか。


「……クリアさん?」

「何をそう馬鹿みたいにほうけているのか。……ああ、そういえば素顔を晒すのは初めてか」


 ほんの僅かに吹いている風が、上質な絹のような金の髪を靡かせているのが、まるで一枚の絵画のよう。

 あの銀色の鎧の中にはこんな素敵な人が入っていたのか。確かに声はどっちとも取れるものではあったが、やはり驚きは留まることを知らなかった。


「……はあっ。出会ってしまったものは仕方が無い。とりあえず、付いてこい」


 思春期真っ盛りな俺とは対称的に、全くといって良いほど動揺してないクリアさん。どうやら、俺は男とは見られてはいないらしい。

 急に湧いてきた羞恥心に堪えながら、クリアさんの拠点にまで歩いて行った。


「それで拭け」

「は、はい」


 投げやりな言葉とは別に、軽めに投げられたの大きめのタオル。

 めっちゃありがたい。このままでは風邪を引く所だったと、己の無計画さに呆れながらな感謝して体を拭く。


「……のんきに水浴びなど、馬鹿なのか貴様は」

 

 めらめらと燃える橙色の火で暖を取りながら、苦笑いしながらゆっくりとクリアさんの言葉に頷く。 

 夜の湖など冷静に考えれば危険がいっぱいである。水温は冷たいし、でっかい魚でもいれば飲み込まれるかもしれない。

 ……本当に何やってんだろうとは思う。……まああそこで耐えられたとしても、体を洗いたいという欲は抑えられなかった気がするけど。それでも、せめて昼にすれば良かったと一応は反省しているのだ。


 久しぶりに出会った自分以外の人間。けれど残念ながら話す内容もなく、ただただ無言のまま時は過ぎていく。

 ……超気まずい。ただでさえ会話は苦手だっていうのに、あんな美人なんて知ったらもう何言っていいかなんて俺が知るわけがない。


 そもそも美人──より正確に言うなら女性は苦手なのだ。割と顔の良かったやつは平気でなじってきたし、不細工や地味な連中は自分より下である俺を見ることで安心するだけの奴らに都合の悪いことすべてスルーの教師共。ああ、親友あいつも世を恨む地雷少女だったので、お世辞にも性格が良いとは言えなかった。

 

 つまり何が言いたいかというと、中学に入って以降まともな女性と触れ合ってこなかった俺にはちょっと重荷が過ぎるというものだ。

 

「それでどうだ。森にも慣れたか?」


 あちらもこの気まずさに思うところはあったのか、唐突に質問をしてきた。

 

「……いえ。こんなこと、初めてだったので」

「まあ、そうだろうな。貴様の世界が生ぬるいものであったのかなど見ていればわかる」


 クリアさんは少しだけ、嘲りではない優しい笑みを零しながら話を続けてきた。

 それはきっと出来の悪い兄弟なんかに向けられるような優しさで、あの硬い鎧を通してでは決して伝わってこない暖かさ。

 それだけで我ながらちょろさ全開の心が、淡々と鬼畜なことを命令してくる鬼教官から、厳しくも優しさのある女性なのだと変わりつつあった。


「それにしても、貴様のような軟弱者が魔術マクリヤなしで生き抜けるとは驚いたぞ。聖剣を出していた様でもなかったしな」


 マクリヤっていうのは、確か日本で言う魔術とか魔法的なやつだったか。

 つまりあれか。この森ってそんな異能的なものを使わなければ生き残れないくらい厳しい環境だったりするのか。

 ……やっぱりさっきのなし。この人は鬼の中の鬼なんだなと再認識させられたわ。


「……だがまあ、初めて見たときよりはましにはなったな」

「……えっ」


 先程までのそしりと同じように呟かれた、急な褒め言葉に戸惑いが隠せなかった。

 この人、が俺を褒めた? そんなこと初めてだった気がするんだけど。


「……何だその顔は。私とて、賞賛する部分があれば素直に言うさ」


 ……そう言われてもなぁ。いまいち信じられないのが俺なんだよなぁ。

 まあ別に、この人のことをよく知っている訳でもない。会ったのはほんの三週間ほど前の他人よりは近い位の関係でしかないしな。

 

 初日と同じように火を挟んで向かい合うクリアさん。けど、あの日と違い、彼女の表情が見えるだけで感じる者が全然異なるのは実に不思議だ。

 やはり、人は輝かしい美貌には弱い生き物なのか。……弱いんだろうなぁ。でなきゃ、外見一つで差別なんて起きやしないだろうし。


「明日で七日目──つまりは最終日になる。……早いものだ」

「……そうですね」

「これが終われば、私が教えることはほとんど無くなる。後はあのアールブめが、貴様に役目を与えるだろう」


 ……そうだ。もうすぐ、この人とはお別れなんだよな。

 そう考えるとなんだか名残惜しくなる。散々心の中で文句を言ったけど、なんだかんだいってこの人のことは嫌いにはなれなかった。

 

 あの王様に従えば生きることは出来ると思う。それは、最初に言っていた聖剣の話からして何となく理解は出来る。

 

 しかし、しかしだ。それが楽しい生活で繋がるのかは予想が付かない。

 不思議と良いビジョンが浮かばないのだ。俺の中にあるいろいろ拗くれたこの心が、あの迫力ある人間を信用し切れていないのだ。

 

 どうすれば良いかなんてわからない。今はとにかく生きていたいとしか思えていないのだ。


「──二日後。私は貴様をあるところに連れて行く。もしかしたら、それが貴様に何かを示すかもしれん」

「……どんなとこです?」

「さあな。とりあえず、貴様は明日を生き残ることだけを考えろ。……さあ、そろそろ帰れ」


 その言葉を最後に目を閉じてしまったクリアさん。まだ聞きたいことはあったけど、それ以上は一言も口を開いてくれそうにはなかった。 

 

 そうだ。今の俺に、次のことを考える余裕なんてないはずだ。

 今日は戻ろう。決意も新たに腰を上げ、凸凹とした小石の絨緞を素足で踏みながら、ゆっくりと拠点へ戻っていった。

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