二週間後

 あの地獄を彷彿とさせる初日から二週間。訓練は一日の休みもなく継続された。


 一日で一生分は体を動かしたと思えるような辛い訓練。初日の惨状と変わることなく、二日目には二回、三日目と四日目には一回意識を失った。


 それでも必死に食らいつき、七日目辺りから少しだけ慣れてきてきたのか、夕日が沈みかける手前くらいで終わらせられるようにはなった。

 丁度その頃である。訓練メニューが一つ追加になるという絶望の宣告を下されたのは。


「まずは基礎から。素振りなぞ、それができてからだ」


 剣を構えたままでの姿勢維持。振ることすら許されず、動くことも許されない。ただその場で構えるというこの訓練の中でも一番地味なものであったが、それがまたとてつもなく辛かった。

 何せあの重量の枷は健在。やっと慣れたとはいえ、地獄には変わらない苦行の後に耐久しなければならないのだから、体力よりも心が疲れたのだ。


 その姿勢耐久が素振りに移行するまでの期間が短かったことは本当に救いだった。……いやまあ、結局どちらも辛いことには変わりは無かったのだが。


 そんな変化はあれど、決して優しくなることのなかった苦汁の日々。

 正直投げ出さなかった己を褒めて甘やかしたい。日本なら、どこぞの高いステーキでも食べに行っちゃうくらいには頑張ったと自負している。


 そんなわけで時は経過し十四日目。数え間違えていなければ、恐らく最終日であるはずである。




 速度を上げると感じる風。街ビルの多かった都会とは違うような風の匂い。これが俗に言う新鮮な風というやつなのだろうか。

 そんな無駄なことを考えながら折り返し地点である木をタッチして、再び走り出す。


 思えば慣れたものだ。たった十四日しか経っていないにもかかわらず、初日が遠い過去のように感じる。

 初日に比べ、随分と余裕があると思う。最初の意地悪なスクワットもどきに関しては未だに辛さしかないが、少なくともこの強化版シャトルランはそこまでではなくなった。


 というのもこれ、別に制限時間が無いのだ。最初こそ止まっちゃいけないと勝手に思い込みをしていたが、少し休もうが何も言われることはなかったのだ。

 思い返せば三十往復をこなせとしか言われてないし、何なら走れとも言われていない。結果的に終わればそれで良かったのだ。


 こんな余裕が生まれるなんて、二週間前の俺は予想も出来なかったはず。何せ、一つのメニューでへとへとになっていたのだ。ここまでこなせるようになるとすら考え付かなかっただろう。


 ……普通二週間で陸上部ですら根を上げそうな訓練になれるとか、少なくとも二週間ではないととは思うのだが、まあそこら辺の疑問は異世界パワーとかそんな感じで考えた方がいいのだろう。多分。


「終わりました」

「よし。十分休憩」


 走りきったことの報告を、いつもと変わらない感じで返してくるクリアさん。

 この人も全く変わらない。最低限の指示のみで、それ以外を放すことはほとんど無かった。


 けれどこの人──クリアさんには、自分でも意外なくらいに悪印象を抱けなかった。

 確かに振り返れば、血も涙もない鬼の具現であったクリアさん。多分嘘偽り無く、殺す気で地獄を強いてきた鬼畜。普通なら良い印象など浮かばないであろう。


 ──けれどこの人は、俺を見捨てることだけはしなかった。


 疲れで部屋にすら戻れなかった最初の数日に、目が覚めると自室にいたのは運んでくれていた。

 訓練中、退屈であろう時間も目を離さないでくれていた。


 もちろん、本人に確認してはいないので本当にそうなのかは定かではない。

 けど少なくとも、ゴミのような掃き溜めにいたくそ教師共よりは俺に目を向けてくれていた。そんな気がする。


 剣を振りながら、思わず少し笑いが零れてしまう。

 俺は案外ちょろいのかもしれない。辛い辛いと文句を言いながら、見捨てられないように必死にこなそうと足掻いてしまったのだから。


『ふふっ。君は本当にバカだなぁ』


 かつて友人に、微笑と共に言われた言葉。あの時は強く否定したけれど、今はもう違うとは言い切れない。

 ……こんな風に接してやれる人がいれば、あいつも今頃は──。


「ぶれている。集中しろ」


 その一言が外れていた思考をぴしゃっと遮断する。

 相変わらず鋭い言葉。たった一つの言葉でも、無駄に怒鳴るチンピラみたいな見せかけの威嚇など比にならないくらい圧を感じる。


 とにかく今は集中。無駄な思考も異世界についての考察も、部屋に戻ってからすればいい。


 振って下ろす。ただそれだけの単純な動作が、どうしようもなく難しい。

 僅かにでも手を抜けば、途端に剣筋は揺らぎ制御が効かなくなる。そうすると使わなければならない力が更に増え、結果的により疲れるという悪循環が生まれる。


 最初は自分でも見えるくらいにぶるぶるに揺れていた剣。重力パワーも相まって、数回振ると腕が限界を訴えてくる程度には絶望的な始まりだった。


 しかし慣れとは恐ろしいもの。なんということでしょうと言いたくなるくらいには様になった気がする。

 今じゃやり終えた後も、疲労はあるものの腕をぶんぶん振り回せるのが、嬉しかったりするのだ。


 そして今日は十四日目。最初に言っていた言葉が正しいものであるならば訓練は今日で終わり。そのはずである。


「……終わりだ」


 数を数えて丁度千回目であろう時、クリアさんがその待ち望んでいた言葉を俺に言った。


 剣を鞘に収め、それで本当に終わり。疲労と達成感が入り交じり、胸にどっと押し寄せてくる。

 これで一応終わり、のはずだ。もしこの異世界の一週間が十日でも無い限り、最終日であるはずなのだから。 


「これで半月が経過した。どうだ? 楽しかったか?」


 部屋に戻って考察することが増えたなと考えていると、声が掛けられた。

 クリアさんから何か聞かれたのは初めて、いや二度目? だっけ。………正直、いきなりすぎて言葉が全くもって思いつかない。


「……楽しいように見えましたか?」

「いや? そも、常人であれば三度は黒獄シンフクの底でも拝んでいよう苦行。正直に言うと、三度は継続不可能に陥るものと予想していたのだがな」


 心なしか少しだけ、いつもより楽しそうに話しているように聞こえた。

 シンフクってなんだ。地獄的なニュアンスか。ということはあれか、俺が脱落するのを前提に組まれていたのか。

 ……何処からか、いつの間にか上がっていた好感度が落ちる音が響いた気がする。


「まあともあれ、今日で十四日。二週間が経過したわけだが、スケジュールの関係上、貴様の出来に関係なく次の段階に移らなくてはならない」


 よかった。どうやら日にちの感覚は日本と変わらないらしい。まあ、曜日が合ってるのかは知らないが。

 んで、次の段階とは何だろう。これより辛い筋トレとかならもうご遠慮願いたいのだが。


「残り二週間。貴様には生きる術を叩き込む」


 生きる術。そんな抽象的で不安に満ちた言葉を俺に向けてくる。

 簡単に思いつくのは何だろう。異世界のお約束的に考えるなら……ああっ、割と思いつかないわ。


「従って明日、街に出る。今日はゆっくり休むように」





 部屋に戻り睡眠を取ろうとして、清潔感溢れる白いシーツのベッドに腰掛ける。

 ここ最近は寝る前に考え事をすることが多い。少しでも余裕が出来てからは、こうやって窓から見える景色を眺めながら物思いにふけるのが習慣になりつつあった。


「……街かぁ」


 ため息と共について出る街を言う言葉。まさにこれが、今日の悩みの種。


 早いもので異世界に来ておおよそ半月。一日が過ぎる度に湧いて出ては考えても仕方が無いと、ついつい先送りにしてきた数々の問題と向かい合わなければならないときが訪れてしまった。

 暦、気候、人種、職業、貨幣、言語、価値観、国。たいして学のない俺でも思いつくくらいには、何もかもが未知であるのが今の現状なのだ。


 特に気になるのは言語――言葉についてだ。

 どう考えても通じる箇所の方が少ないであろう日本語。この世界でトップテンに入ってるぽい言語が、どうして地球ですらなさそうな所で通じているのか。



 クリアさんに聞くという選択肢もあった。まあ生憎答えてくれるかはわからなかったし、ただでさえ辛い訓練メニューを増やされたらたまらないので辞めておいたのだが。


 街。最初に通って以来、遠目に眺めるしかなかった場所に行けるのだ。正直、めっちゃ楽しみだ。

 だって、異世界とかそういったファンタジー物の定番だろう街って。最初にいろいろ見て回って現状を確認するのがおおよそのセオリーとかじゃないのか。


 それなのに俺がやってるのは命を懸けた訓練のみ。ファンタジー要素といえば、クリアさんの着ている鎧とか、街の中であるなのに何故か広大に広がる草原とそこにぽつんと存在するこの小屋のみ。

 最初こそ違和感ではなかったが、よくよく考えると街中にこんな大きな原っぱがあるのはおかしくと思う。自然公園とかでももうちょっと何かあると気がするが、訓練中はクリアさん以外見たことがない。


 ま、それも含めて誰かに聞いてみよう。何をするかはわからないが、少なくとも何人かと話すことくらいはできるはずだ。

 ……できるかなぁ。まともに話せたのは親友一人しかいなかったから、知らない人との話し方とかもう抜け落ちている気がするけど大丈夫だろうか。 


 ともかく行ってみないことには始まらない。そう結論づけ、ベッドに横になる。


 時計がないのではっきりとは言えないが、多分十時くらいな感覚。そんな時間にベッドに入るのも、すっかり慣れてしまった。

 こんな生活になる前はもっと遅くまで起きていた気がする。やることはなかったけれど、それでも常に不安と恐怖が拭えなくて寝られなかった。


 学校をフケても家には戻れず、補導に怯えながら時間を潰していたあの頃に比べれば、今なんてまだましのはずだ。


 そう己に言い聞かせながら、瞼を閉じて眠りに就く。

 そうしてもう少しだけ考え事でもしてようと思ったが、いつの間にか意識は離れていった。

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