最も辛い単純作業

 次の日、窓から零れてくる日の光によって目が覚めた。


 少し空気を入れ換えたくなり窓を開け、外の風を取り込む。

 開けた瞬間、もし異世界の空気が俺にだけ有害であるかもしれないと焦りそうになるが、昨日歩いた次第ジョブだろうと勝手に納得しておこうと思う。


 気持ちよく撫でてくるそよ風。季節とかはあるのかは知らないが、日本で言えば暖かくなった春くらいには、寒くもなく暑くもない。まさに丁度良いと言って良い季候だ。


 そういえば、体が痛くないのは何故だろう。

 俺は優しく言っても死にかけと言って良いほどにぼろくそにされたはずだ。腕も曲がり、人体を構成する骨の半分ほど砕けたと思えるくらいには重傷であったと思うのだが。


 ……まあいいか。なんかこう、異世界の奇跡的な何かだろう。

 どうせ考えても答えは出ない。後で覚えていたら、クリアさんにでも聞いてみようか。


 景色もすごい。少し離れた場所にある、見たこともない形の建物。

 見たことない、海外雑誌に掲載されている写真のような光景。どこぞの画家にでもファンタジー系の依頼でもすれば、こんな絵でも描いてくれそうな気がする。


 ……行ってみたいなぁ。でもお金ないしなぁ。

 一応ポケットに入っている僅かな小銭も、ここではそこいらの石と同等の価値であろう。異世界ライフを目指すには、金をどうにかしなければならないのが辛いところだ。


 そんなくだらないことを考えていたら、背後から何かを叩く音が聞こえた。

 どうやらドアをノックしたらしい。……ちょっと心臓がびくってなった。


「入るぞ」


 返事をする前に扉が開く。

 入ってきたのは当然、あの人。銀色の、なんだかかっこいい鎧を纏っている人──クリアさんである。


「起きてるな。体の調子はどうだ?」

「あ、はい。大丈夫です」


 さっき確認したので、もう大丈夫だと伝えたが特に表情を変えたようには見えない。

 ……そもそも兜被ってるし素顔なんて見えないのだけれど、まあそれは気にしていけない。


「なら良い。これを食べたらすぐに降りてこい」


 軽く何かを投げてくるので、頑張ってキャッチする。

 何だろうこれ? 何か包みに入った、肉?


 包みを外し、一口囓る。

 ……美味い。昨日のもそうだが、妙に脂っこいはずなのにしつこくないのがすごい。


 とっても美味しいおにぎりを食べるくらい早く食べ終わってしまった。

 食休みでもしようと思ったが、自身の我欲よりも、クリアさんを怒らせたくない気持ちの方が強かったため下に向かうとする。


 窓を閉めてから、部屋を出て外に向かう。


 昨日と同じ白い雲よりも青さが目立つ空の下にあるここの広い草原の中、明らかに目立っている鎧。

 なんだか少し笑いが零れてしまいそうだが、これも少しずつ慣れるのだろうと頑張って流すことにする。


「来たな。ではこれより訓練を始めるが、その前に言っておくことがある」


 言っておくこととは一体何だろう。注意事項とか?


「絶対に守ってもらうことがある。私の言うことは守ること。それと自分で考えて動くこと。この二つだ」

「は、はい」


 強く言われたので、思わず勢いで返してしまう。

 ……でもこれ矛盾する時が出るよな。それ含め、自分で考えろってことか。


「……始めにこれを付けろ」


 手渡される銀色のリングのような物。よく都会のウェイウェイしてる奴らが付けてそうなリングだが何だろうか。

 とりあえず片手に通してみる。金億特有の、皮膚から伝わるちょっとの冷たさ。それ以外は特に何かあるわけでもないが。


 ──そんな楽観的な感情が湧いた瞬間。唐突に、とんでもない重みが襲ってくる。

 体が思うように動かない。全身に金属の板でも張り付けたような重みに、立っているのがやっとだ。


「……ふむ。ちゃんと動作しているな」

「あ、あの!? これは、一体……?」

「魔道具

マギル

だ。短期間で鍛えるのにはもってこいのやつさ」


 き、鍛えるって言ったって。こんな重さでは、運動なんて出来るとは思えないのだが。


「これから二週間。その貧弱極まりない体を造り替える。その過程で死ぬのは勝手だが、一度やると言ったのだ。私は一切手を抜くことはしない」


 俺のことなどお構いなしに話を進めるクリアさん。

 まるでどこぞの漫画でありそうな重力トレーニングだ。そう考えながら、なんとか重さに耐えようと足に力を込め、踏ん張る。


「拾え」


 そんな俺のそばに、何かが投げられる。

 落ちたのは剣。多分昨日使ったのと同じであろう剣が、赤色の鞘に入ったまま地面に転がっている。

 手を伸ばしても届きそうにない。意を決して膝を曲げ、今にも崩れ落ちそうなのをこらえながら、どうにか剣を掴む。


「立て」


 ようやく拾えたと安堵した束の間、すぐにかかる非情な指示。

 昨日持ったときよりも、明らか重みが増している剣。明らかに重さが増しているこれを持って、立ち上がらなきゃいけないのか。


 ……やるしかない。そう決意し、全力で力を込め先程の体勢にまで膝を伸ばす。


「落とせ」


 やっと元の体勢戻れて、一息入れようとしたときに耳に入る指示。疑問に思いながらも、言われた通りに剣から手を放すと、上げたときとは違い一瞬で地面に落ちていく。


「拾え」


 ……え。拾うの? じゃあ何で落としたの? ……まさか。訓練の内容って──。


「早く拾え」


 淡々と放たれる宣告。それは脳裏によぎった、どうしようもなく嫌な予感が当たっていることを告げていると同じ事。

 再び拾う。案の定の重量である剣。当然拾うときも立ち上がるときも、全力を使わなければならない。


 繰り返す行われるその苦行に、全身が悲鳴を上げ始める。

 たった二回。それだけで膝が、筋肉が、骨が、体のすべてが今にも使い物にならなくなりそうなほどの苦痛が襲ってくる。


「立て」


 死にものぐるいでこなしながら、果たしてどれくらい経ったのだろうか。

 照りつける日差しの中、回数を数える余裕などない。何かを考える余裕など、ない。


「拾え」


 辛いと考えることすら無意味。突き抜ける平坦な声に、どうにか従うために全力を注ぐ。

 いつまで、続くんだろう。もう、これ以上は本当に死ぬ。いつ倒れても、おかしくはない。


「……そこまで」


 言葉を聞き終わる前には、体が地面に吸い寄せられる。

 もう、今日は動ける気はしない。けど、やりきった。俺は、無事に、耐えきった──。


「十分休憩したら、次の訓練に移る」


 その冷酷極まりない宣告を受け入れるのには、この疲れ切った脳では時間を要した。

 既に立つことすら叶わない、限界の先にまで足を踏み入れまくっているこの状態で、まだ訓練するというのか。


「そこにある水と飯は無理矢理にでも摂取しておけ」


 いつの間にか置かれていた、恐らく水が入っているだろう筒と朝ももらった包み。

 冗談じゃない。食ったらすぐにでも吐きそうな、この有様で、物を食えると思ってるのか、この鬼畜は。


 そう心の中では悪態をついても、体はその意志に反してエネルギーを求めていた。

 気合いで体を起こし、不満と共に勢いで胃の中にぶち込んでいく。


 冷たく飲みやすい水、朝と同じであろう美味な肉。

 しかし今、そんな些細事はどうでも良い。味わうことすら時間の無駄と、己の体力を戻すために休むことに専念する。


「……時間だ」


 いじめっこの呼び出しよりも遙かに恐ろしい地獄の始まりを告げる。

 再び俺を縛り付ける重みという枷。今にも倒れそうなこんな状態で、一体何をさせようというのだ――。


「ここからあの木までを三十往復。自分で数えながらこなせ」


 指さしたのは、ここからだと随分と遠くに見える小さな木。 

 距離などわからないが、とりあえず運動会で走る直線を遙かに超えるということは確かな長さ。……これを、三十往復。


「始めろ」


 ――再び地獄が始まる。終わりの見えない、長い道のりだ。







 もうどれくらい走っただろうか。学校のマラソン大会なんて比じゃない距離。時計がないので確認は出来ないが、確か、始めた頃は夕暮れ時ではなかったのだけははっきりしている。


 体の中には、もう活力が残されてはいない。

 人は汗を掻かなくなって、どれくらいで死に到るのだろうか。体力の限界を超えて、どれくらい走ってられるのだろうか。


「……あ」


 気がつけば、俺は倒れていた。

 どうしてこうなったのか、どのタイミングで耐えきれなくなったのか、いつ頃から倒れていたのか。記憶がはっきりしない。


 そもそも走り始めたのさえ、都合の良い幻の類ではなかったか。実際はあの地獄の屈伸運動で潰れ、夢を見ているだけの可能性すらある。


 ──駄目だ。もう立てない。まったく力が入らない。


 既に心は諦めている。どれだけ頑張れば達成できるかではなく、ここで辞めてしまえば楽になれるだろうと後ろ向きな考えだけが満ちていく。


 遠くに見える、あの鬼よりも恐ろしい鬼教官は助けちゃくれない。スタート地点の側にある小さな木に、ただ寄り掛かっているだけだ。


 ──逃げてしまおうか。今なら、不可能ではないかもしれない。


 この重量の枷を強いてくる腕輪が取れないものであるかと言われれば、そうではない。

 どうせ見てはいないだろう。あの悪魔は、俺のことに興味なんてない、はすだ。


 ……何考えてんだか。それをしたら今までと何も変わりはしないのだと自分が一番、分かっているはずだ。


 確かに嫌なことから逃げるのは悪いことではない。見たくないものからは目を背け、振り返らずにのうのうと生きていく。実に正しくて、楽な生き方で、俺好みの人生だ。


『優馬はさ、どんな風に笑ってたいの?』


 ……ああ、くそったれが。思い出しちまうじゃねえか。

 記憶に残るあの娘が──俺にとって唯一の友達の言葉が、たった今浮かんだ、最高の生き方を惰性でしかないと自覚させる。


 もしこれを達成できたとして、俺が立っていられるか、なんて馬鹿な考えは辞めよう。

 前と後ろ、どっちに向かって走ったって辛いことのは一緒なんだ。なら、前に進んだ方がまだマシだろう。


 足は止まらない。子供が歩いた方がまだ早いかもしれない速度。それでも、一歩には違いない。


 足を一回前に出す時に、命が削れる感覚がする。

 このまま本当の地獄に行くのか、その前に達成できるのか。


 ──もう止まる気はない。死ぬか生きるか、それだけだ。


 空の色はさらに変わる。太陽は落ち、白い月がこの夜の大地を照らす。

 ……どうでも良い。時間なんて知ったことか。そんなこと、気にしてられるか。


 ようやく、ようやく近づいてきた終了地点。辿り着けば、それで終わりだ――。


 ゴール地点に到着した瞬間、足がもつれ情けなく転倒する。

 最早立ち上がることすら、叶わない。達成したと、やりきってみせたと、あの鬼畜鎧人間に言ってやりたかったが、無理そうだ。


 もう瞼を閉じたい。今眠ればそのまま天国へ昇っていきそうな意識の最中、体が唐突にふわっと浮く感覚に襲われる。


「三周多い。勝手に増やすのは勝手だが数は正確に数えろ」


 眼前の視界が銀の鎧に変わる。接触している部分に伝わる金属の冷たさ。

 恐らくは抱きかかえられている。俗に言う、お姫様抱っことか言う形で。


 ……というか、ちゃんと数えていたんだ。なら、言ってくれれば良かったのに。 

 一言文句でも言いたかったが、その前に限界が訪れたのか眠気が全身を包む。


「……――――った」


 最後にクリアさんが何を言ったのか、聞き取ることは出来なかった。

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