ありふれた召喚

次に自身の視覚に捉えたのは、ついさっきまでの薄暗い場所とは真逆の場所であった。


 まるで手品でマントをかぶせられたかのような、一瞬の場面転換。

 ついさっきまで薄暗くも、どこか心地良かったあの座席のあった暗闇とは、似ても似つかない荘厳な空間。


 いつだったかテレビで見た気がする。確かヨーロッパのどこかの国にある宮殿の中のような華やかな、そして俺には絶対縁のないと断言できるであろうそんな場所。


 ……で、ここは何処だろう? 夢の中とか?


「成功ですっ! 確かに術は起動いたしましたっ!」


 そんな明るく煌びやかなこの空間で、声を張り上げる者がいた。

 いろんなことに未だ何が何だかわからなかったが、音の大きさに釣られそちらに体ごと傾け、その正体を確認する。


「……ふむ、ご苦労であったぞクルシアス。もう下がって良いぞ」

「はっ。では失礼いたしますっ!」


 その声の主は地に膝を突け、まるで神にでも祈るのように、数段上に聳える椅子に座る男に傅いていた。

 たった数段の差でしかない高さなのに、それがどうしても絶対の境界になっていると、何もわからない俺でも理解できた。


「……さて。まずは確認から、か。言葉はわかるか?」


 頭上からから振る言葉には、理解の出来ない重みがあった。

 身近に例えるなら、選挙前によく見る街中の大声の演説だが、そんなのは比ではない。言葉で潰されるという錯覚すら引き起こしかねない一つの暴力に等しい。


「……っ ……っ」

「……ふむ。通例では通じるのだが、もしや伝わっていないのか?」


 恐らく俺のことだろう。そう思って返事をしようとするが、返事という音の波が喉から先に出てこようとしない。

 これほどに萎縮していたのは初めてだ。少なくともあの時だって、まだ声自体は出すことが出来ていたはずだ。


「……やはり失敗であろうか? それとも、候補者の言語器官自体に問題が――」

「――あ、あのっ!!」


 ようやく絞り出せた声は、自分でもわかるくらいには情けない音でしかなかった。

 それでも出たその微音を聞き取ってくれたらしいその男の人は、少し安心したように感じることができた。


「通じているではないか。なれば――」

「こ、ここは何処ですか!? 何で、こんな所に俺は――」

「落ち着くが良い」


 一度出てしまえば止まらなかった言葉は、その男の人の一言で簡単に停止する。


 それと同時に、ようやく現実を見ようとしていなかった思考が疑問を提唱し始める。

 なんでこんな訳のわからない場所にいるのか、一体そもそもここは何処なのか、俺を連れてきた目的は何なのか。漠然としたふわふわな疑問が浮かんでは消えていく。


 そんな俺の前に、男は椅子から腰を上げ、一歩ずつ、ゆっくりとその境を踏み越えてくる。


「まずは候補者殿。其方の名は何という?」

「ゆ、優馬です。秋瀬優馬あきのせゆうまと言いますっ」

「ではユーマ殿。儂はグラム。アールスデント十四代国王、グラム・アールブである」


 すべての段を降り終え、俺の前に立ったその男はグラムと名乗った。

 見たことないほど輝く金色の髪、世界史の教科書でしか見たことがない人目を引くであろう派手やかな服、圧倒的な覇気。初めてはっきり見えたその人は、己のチープな想像力ですら、王であると納得できるほどの何かを持っている男。


「アールス、デント?」

「然り。それが其方を召喚した、この国の名である」


 何のこっちゃ、さっぱり理解が出来ない。

 アールスデントとか召喚だとか王とか言われても、素直にはいそうですかとなんてなるわけがない。

 むしろ更に訳がわからなくなった。一体全体何がどうなってこんな場所に誘拐されることになる? どうして俺がこんなことになっている? どんなユーモアがあれば、そんな真面目な面でこの世迷言を吐けるというのか。


「……召喚って?」

「勇者となる素養を持つ存在を呼び出す儀。異なる世界にて、その資格を埋もれさせようとしている英傑をこの世界に招くことである」


 ふと口から漏れた疑問に対してその王が語ることは、映画のパンフレットよりも信用できないくらいに現実味のない話であった。


 ――世界の抑制のためには真なる勇者の力が絶対である。

 なんでもこの世界の始まりからある言葉らしく、この世界に生きるものであれば誰もが知ってるらしく、当たり前の常識であるとされているらしい。

 世界が定めた勇者がいなければ世界は危機に見舞われる。そこで大国と呼ばれる国との間で決められたのが勇者制定の強制。


 なるほど。つまりだ、俺は勇者となり得る者──世界の人柱として召喚されたらしい。


「ふ、ふざけんな! 元の世界に返せ!」

「残念だが、それは現状不可能である。召喚術式はあくまで導くためのもの。偶然を手繰り寄せただけの魔術マクリヤで、もう一度同じ世界に繋ぐのは困難極まる故な」


 すぐさま元の場所に戻せと文句を言ってみたが、王はまったくもって表情を変えずに、淡々と理屈をこねてくる。


 実に身勝手な話だ。呼んでおいて帰せないとは。


 勇者? 世界の均衡? マクリヤ? 訳の分からない単語で話を進めるな。

 仮にその話が全部真実だとして、ここが正真正銘の異世界だとしてだ。無理やり召喚しといて勇者とか舐め腐るにも程があると思うのだが。


「納得できるか!? 無理やり連れて来たくせに!」

「そこは申し訳ないとしか言いようがない。だが、こちらもそこまで悠長に見てられないのだ」


 淡々と俺の感情を、心をへし折ってくる王の言葉。

 知るかよ。こんな何も分からないだけの異界の事情に巻き込むんじゃねえよぉ……。


 これが映画館で寝ていたとかならまだ悪夢の範疇で終われる。しかし悲しい哉、これが現実であることはこの肌に感じるじりじりとした刺激で理解できてしまう。


「……どうすりゃいいんだよぉ」


 この広い空間にぽつりと落ちる自分の嘆きに答えてくれる者なんて存在しなかった。


 ようやく追いついて来た胸の中が、不安と恐怖で満たされていく。

 今も昔も変わらないが、心なんて強くはなかった。

 いっそ哀れみすら投げかけられる、凡人中の凡人。そんな俺がこんな異常事態を、たった一人でどうこう出来るわけがない。


 何回見回しても変わることのない景色。非現実的なようで現実でしかないこの光景が変わることなんてない。


 目を逸らしても良いことなんかないって知っているはずなのに、逃避せずにはいられないのだから。


「……それで、俺に何させようってんだ?」


 絶望した俺の心が僅かでも戻るまでにどのくらい経っただろうか。

 どうにか考えられる程度にまで戻ったメンタルで、今後について聞いてみる。


「まさか呼び出して終わりってわけじゃないだろ? 呼んだからには何かさせたいってことなんだろう?」


 振り絞るような声でした質問は、自身にとってこれ以上大切なことだ。


 何か目的があって呼ばれたのなら、それをこなせばいつかきっと帰れる筈だという希望の糸に縋るという前向きな考え方も出来なくはない。

 しかし、もしさっきの話に嘘はなく、本当に世界の安定とやらの為に呼んだのであれば──。


「こちらから求めることはない。候補者殿が存在するこそに意味があるのだ。別段、強制するようなことはする気はないので、そこは安心して欲しい」


 ――ああっ、つくづく嫌な言葉ばかり当たるもんだ。


「……そう、ですか」


 完全にどうしようもなくなってしまったこの状況に、言葉なんて湧いて出ることなんてなかった。


 俺は、どうなるのだろうか。

 どういう扱いを受けるのだろう。こんな夢と変わらぬほどには理解できない世界で、どのように生きなければいけないのだろう。

 いなきゃいけないということはすぐにどうこうするということはないのだろう。けど、それが丁重にもてなされるということではない。

 手足をもぎられ、かろうじて生きたような状態で監禁でもされるのかもしれない。死んだ方がましだという苦痛を受けなくてはならないのかもしれない。


 漠然とした恐怖だけが己を蝕み、侵し、飲み込もうとしてくる。

 体の震えが止まらない。今にもへたり込み、何かを吐き出しそうになる。


「そこで提案なのだが候補者殿。もしよければだが、こちらでこの世界について教える者を用意するというのはどうだろうか」

「……えっ?」

「元よりこちらの都合で呼んだのだ。もし候補者殿が望むのなら、こちらで生きるのに不都合がなくなるくらいまで手助けする者を紹介しよう。無論、このまま客として扱う、という選択肢も考えてくれて良い」


 それは天の助け。地獄に助けられた一本の糸。だが、こんな時だからこそ脳がデメリットについて考え始める。


 確かに客として養ってもらえば、当分は安心のはずだ。

 この煌びやかな空間が偽物でなければ、きっともてなしは日本で泊まったことのあるどのホテルよりも豪華で洗練されたもので、十数年生きてきた中で一番の贅沢をできるのだろう。


 ただ、本当にそれでいいのか。それで安心できるのか。 

 思い出せ。そうやって楽な方向に流されて、取り返しの付かない後悔をし続けていたのが俺の人生ではなかったのか。


 ……いや、あんな後悔をするために生きていたかったのではない。

 二度とごめんだ。あの日の屈辱と悲観だけは、例え忘れても、どれだけ現実逃避をしようとも失ってはいけないのだ。


「……紹介、してください」

「ほう? 儂が言うのもなんだが、そちらはローデンロードより苦難に満ちたものになると断言できるが」


 知るか。何だローデンロードって。知らない単語を使うな。

 俺がそう決めたんだ。少なくとも、今この場ではそう覚悟している、この種火程度の意志を吹き消そうとするな。


 どうせ、こんなことなったのなら何を選んでも辛いことばっかりだ。なら、選ぶ地獄くらいは勝手にさせてほしい。


「……決意は固いか。なればよし! マルコスっ!!」

「承知いたしました。ただ今呼んで参ります」


 横に付いていた一人が王の言葉に応え、次の瞬間にはその声の主は姿を消していた。……忍者?


「候補者殿ならそう言ってくれると信じておったぞ。やはり、聖剣を担う者というのは違うということか」


 先程までと変わらず迫力で豪快に笑う王。

 まあ、王といってもすでに敬う気持ちなどない。最初こそ圧倒されたものの、俺をこんな目に合わせたやつに敬意など払うつもりはない。


「っていうか、わかっていたのか? 俺が楽をしないって事が」

「否。儂としては、本当にどちらでもよかったのだ。……まあ待たせた上に頼むことがなかった、などと言えばあやつは怒りをぶつけてくるだろうがな!」


 どちらでも良かった、か。生憎とその言葉の意味を、今は測りかねない。

 この世界について何も知らない。そんな俺が、一国の王の真意など読み取れはしないのだから。


 いずれにしてもやること――これからの方針がぼんやりと定まりつつあった。

 知識を集め、この世界に適応する。帰る方法を探すにしても、まずはここから始めるしかない。


 手に力が入る。やることを決めたら少しだけ、元気になれた気がした。


「国王様っ! シリウス様をお連れいたしましたっ!!」


 先程出て行った者と同じように、大きな声が部屋内に響く。

 どうやらさっきの男が戻ってきたらしい。なら、先程言っていた俺に生き方を教えてくれるひともいるのだろう。


 姿を確認するために後ろを振り向く。

 視線が捉えたのは、先程の王に付き従う男。――そして、全身重装備の人の姿であった。

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