聖剣と歩む最果てまで

わさび醤油

最初の一歩目

始まりはエンドロールの後で

――良いのかい? それを取るということは、君は人を外れるということだ。


 隣から、まるで歌うように軽やかにそう囁かれる。

 銀髪の身勝手な男。この世の果ての果て。こんなご大層な祭壇に、そこに祀られている剣にまで私を導いたヒトガタ。


 ――ほら、もう一度考えると良い。奇跡に縋るにしても、もうちょっとまともな手段もあるはずさ。


 声色はいつもと変わらない。彼の心はいつだって言葉から読めるものではない。

 けれど長い付き合いだ。自分で連れてきといて、この黄金の希望を前にして諦めろとまともなことを言ってくるのは、この人外のほんの僅かな良心みたいなもの。


 ……ああっ。だけど、本当に悪いけど。ここだけは譲れない。


 思わず口に出ていたのはそんな当たり前の言葉。この男と初めて会ったときにも出てきた、そんな言葉。


 少しずつ、己の指がその魔性の煌めきを放つ剣に伸びる。

 覚悟など最初から決めていた。心残りはあれど、それは些末な事。そんなのは後から考えればいいだけのくだらない思考。


 例えこの世界――アーフガンドに認められなくとも。私が真に所有者足り得ないのだとしても。


 世界を救わなくてはいけない。私が、このすべての命を紡がなくてはならない。

 それが、私の愛したすべて――あの子達への報いなのだから。


 ――そうかい。……なら、さよならとは言わないさ。いずれまた、ラビリス。


 その言葉を最後に、その男はまるで最初からいなかったかのように存在を消した。

 

 ……まったく、最後の言葉くらい聞いてくれればいいのに。

 あなたには伝えたいことがたくさんあったの。せめて別れの時くらい、ちゃんと聞いてほしかった。


 そんな僅かな恨みと寂寥を抱えながら、その剣に五指が完全に触れきる。

 

 剣から――いや、正確にはこの空間すべてからとてつもなく強い光が満ちる。

 その極光が場を支配したのは人が一回瞬きを出来る程度の僅かな時間。ほんの僅かな刹那。


 光が、その白い嵐が過ぎ去ってその場に残ったのは何もない。

 そこに人がいた痕跡はこれっぽちもなく、遠く昔から在ったであろうそのくたびれた祭壇が、ただ寂しそうに残るのみであった。





 

 真っ暗な映画館の中。見慣れたエンドロールを眺めながらポップコーンの残りに手を付ける。

 すでに大きいのは食べ切ってしまったのが、かまわない。この最後の余韻に浸る僅かな時間が映画というもので一番好きな瞬間なのだから。


 どんな傑作でも駄作でも、その最後に至るためにいくつもの想いが詰め込まれている。エンドロールというのはそのすべてに浸り、己の中で整理を付けるにとっておきの時間なのだ。


 例えば今の映画。王道ファンタジーという口コミにふさわしい世界観を構築していた実に見事な映画。ファンタジーと現実を混同させがちなテーマであったというのに、中途半端にせずこの世界を一点に貫いていた、実に見事な作品であった。

 

 唯一残念なところとして挙げるとするなら。それはやはり、シリーズとして組まれていることか。

 この作品は俗に言うとニッチな人向けの作品。ようは嵌まる人だけに刺さってくれれば良いと割り切って作られている映画。

 

 この空っぽに近いシアターを見れば、嫌でもそれが理解できてしまう。

 これが公開初日であるのだから笑えない。田舎の映画館でももう少し人が入りそうなくらいと言えば、虚しさの程が伝わるだろう。


 ……まあ、俺は学校をサボって見に来た身。野暮なことは言えはしない。

 別に、テストが近いとかそういうわけでもないのだから、気にしてなくてもいいとは思ってるし。

 

 今すぐにでもこの映画の感想をどこかのSNSにでも投稿したい。こんな面白い作品がこのまま結末も描かれずに埋もれていくなんて俺には耐えられない。

 

 けれど、それをするとどうしてか学校という未成年を囲う鉄の檻の管理者共の目に付いてしまう。

 あの連中はいつもそう。どうにもつまらない些細なことだけは口出しするくせに、給料分にそぐわない本当に助けてほしい問題は当たり前の様に見て見ぬ振りをする。

 それが間違っているとは俺には思えない。それをするのが人間だと己が一番分かりきっているから。その本能抗うことなど、全うに生きていても出来ないことだから――。


 ……思考が逸れた。せっかくの娯楽が台無しだ。

 こんなつまらない心情で、このおおよそ二千円の享楽――財布の金をほとんど使ってまで見た映画を台無しにしていては、たまったもんじゃない。


 最早誰も姿もなく、ぽつりと取り残されたその密室から自分も出ようと椅子から立ち上がろうとする。

 しかし、どうしたことだろう。まるで尻に接着剤でも付けられたかのように腰が上がらない。


「??」


 体が己の思考通りに動くのを拒んでいるかのように固まっている。

 足が痺れた訳でもない。実はシートベルトでも付けられていたとかそんなわけでもない。


 楽観的な思考は、少しずつ焦りに変わっていく。

 何度も立ち上がろうと五体すべてに指示を送るが答えてはくれない。これほどに脳と体が一致しない事なんて、それこそ小学校の運動会ぐらいでしか無かった。

 

 己の回らない頭脳でも、ようやくおかしいことに気付き始める。

 扉は閉まったまま。次の上映のための清掃人が来ない。そして――。


『準備中』


 先程まで映画を見ていたその画面に映る真っ白な画面と中心の黒い文字。

 準備中? 次の映画ならそこまで早くは切り替わらないと時刻表を確認したはずなのに。


珍しく思考が回そうとする。ぐるぐると、荒れる大渦のように大雑把且つ荒々しく。


 だが、この場を打開する方法などいくらでも思いつきそうなのに、それでも何故だか意識はそこに集中されない。


『準備中』


 その文字が脳裏を、体の芯という芯までもが意識を傾けてしまう。


 変化などないこれっぽっちも動こうとしないその画面が、まるで使い切れないくらいの現金の束を見せつけられているかのように強く存在感を露わにする。


もう諦めて大声で、泣きじゃくる子供みたいに助けでも求めようとしたその瞬間──。


『3』


突如、見ていた画面の文字が変わる。

見たこともない形。何処ぞの象形文字くらいに意味も測りかねるその日本人にとって奇妙極まりない形。


『2』


 けれど不思議と読めてしまう。読めるという気味の悪さ、そしてそれが意味することすらわからない恐怖が不規則に心を刺激する。


『1』


 画面の光が、文字以外の白い部分がこの暗い空間にそぐわないぐらいに強く輝きだす。


 五感の全てが──己の歩んできた一生の経験が、そのとてつもない光に対して警戒のシグナルを発する。


『0』


 そうして光がすべてを取り込み、その暴力的なほどにまで白い閃光がすべてを飲み込む。

 そして――。


『終わりの先へ。ようこそ』


 後に残ったのは数字に変わるそのこの青い天体に生きる者には読めないであろう、その不可解なカタチ。

 

 静寂のみ。その直前の映画の結末と同じように、或いはそれ以上の静けさだけを一瞬だけ置去りに。

 その次の瞬間には既に、その白い画面はおろか少年がいた痕跡すら残っておらず、ただ映画館の清掃員の扉を開ける音だけが響いた。

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