第15話 「メサイア」

 うん、そうだよねと、文芸部を知らないという僕たちの反応に対して黒川さんは笑った。「文芸部なんて、文化部の中でも一際地味だからね。場所も、部室棟の最果てだもん」


「あっ……ごめんなさい、そういう訳じゃ……」


「ううん、いいのよ。それを否定するのは、事実から目を背けてるだけだから。埃とカビの臭いのする部室で、本を読んだりキーボードを叩いてるだけなんだから。部員は六人、各学年二人ずつ。でもそれも、幽霊部員とか、ほとんど部活に顔を出さない子ばっか。パソコンが有れば、文芸部にこだわらずとも小説は書けるからね」


 文芸部が存在するというのは、僕も初めて聞いた話だった。

 まあ……新入生歓迎の時期は、上級生の声掛け隊になるべく絡まれないように立ち回っていたから、文芸部に限らずメジャーどころ以外の部活のことをほとんど知らないのだけれど。

 朝は校門が開くと同時に、帰りは陽が暮れてから。その際に身をひそめる為の場所として見付けたのが、この屋上だったのだ。


「特に文芸部は部員をたくさん抱える意義も薄いから、勧誘活動にも消極的なのよ。……人見知りばっかりっていうのも、もちろん理由の一つだけど」


 というか、そっちの方がメインかもね、と冗談めかして笑った。

 人見知りばっかり。なるほど、と僕たちは頷いた。心の中では、そうだろうなと呟いていた。


 会話が一区切りついたからだろうか、黒川さんは、自分の身体を包むサイズの小さいジャージ、それと畳まれて床の綺麗な所に置かれた制服を交互に見て、ふうと溜息を着いた。


「じゃあ……私は、帰ろうかしら……」憂鬱そうに、ため息をもう一度。「いや、その前に水道で軽く水洗いでもした方がいいのかな……」


「あ、それならわたし手伝いますよ」


「いや、そこまでしてもらう訳には……」


 しかし古賀さんはずいと一歩前に出て、引き下がらない意思を示す。


「でも、わたしたちがいなければ転ぶことはなかった訳ですから……」


「いや、私よく転ぶのよ。ほんと、注意力が低いみたいで、忘れ物だってよくするし。この屋上で転んだのも初めてじゃないから」


「……ちなみに、その時はどうやって帰ったんですか?」と僕。「制服、ひどいことになりましたよね?」


「人の少ない時間を見計らって、べそ掻きながら……」


 その時のやるせなさを思い出したのか、がっくりと肩を落とした。


「まあとにかく」。古賀さんは言うが早いか、黒川さんの制服を拾い上げるとそのまま足早に扉の方へと向かってしまった。「洗います。洗わせてください」


 そんな強硬的な態度をとられてしまっては、黒川さんも嫌とは言えない。「じゃ、じゃあ、お願いしようかしら……」。一応許諾を取った古賀さんは、ぺこりと大げさな仕草で頭を下げると、重い扉の向こうに消えてしまった。


「その……」


 二人残されてしまった。僕と黒川花芽さん。彼女の顔を上手く見れないまま、「なんだか、すみません」と謝った。


「いや、いいのよ」


 そう言ってにっこり笑ってくれた、と思う。一対一で、相手の顔をまじまじと見つめられる気概は僕にはない。僕の視線は彼女の青い上靴に向いている。


「もちろん、手伝ってくれることは有難いもの。転んじゃったのも、私のせい。一樹くんが謝ることなんて何もないんだよ?」


「はい……」


 それでも申し訳なさそうな態度を消さなかったからか、「それにしても」と、半ば強引に話題を切り替えた。


「それにしても、良い子だね。古賀ちゃん」


「そうですね」それには、一も二もなく、頷いた。


「古賀ちゃんは何も悪くないのに、ジャージ貸してくれて、制服洗ってくれて。今時珍しい良い子だよ」


「……多分、ちょっと違うと思うんです。古賀さんは、多分優しい訳じゃない」


「えっ?」


 突然僕は古賀さんを悪く言うようなことを口にしたから、黒川さんは驚きと困惑とどちらともつかない言葉を漏らす。


「ああいや……悪く言うつもりじゃないんです!」あわてて、僕は言葉を取り繕う。「古賀さんは、良い人だし、優しいです。僕のためにこんなに体を張ってくれて……いつも、申し訳なさでいっぱいです。でも古賀さんは多分……困ってる人を見捨てられないとか、そういう類の人なんじゃないかな、と思うんです」


 僕の自殺を止めようとするのは分かるが。

 全く関わりの無かった僕に、ただ説得するだけではなくあれこれ手を尽くしてくれようとするのは、かなりお人よしの分類に入るだろう――そしてそのために”自分を僕に惚れさせる”というのは、異常と言われてもおかしくない行動だと思う。


「……言わんとすることは、……うん、ちょっと、分かるかな」


 躊躇いがちだけれど、黒川さんも頷いた。

 僕の言葉にはどうしても、彼女の善行を揶揄したり人格否定的なニュアンスが含まれてしまうから、言葉を濁しながらではあったけれど。


「誰に対しても優しく接すること人って、いるよね」


 知り合ったばっかりだから、あんま色々は言えないし、言うのはあれだけど。逃げるように、茶色の髪に手を伸ばして指を絡めた。


「あっ……すみません、いきなりこんな話して……こんなこと言わせて」


「ううん、いいのよ。一樹くんも、いろいろ思うことがあるんでしょう? 悪口とかじゃなくて……古賀ちゃんに対する申し訳なさ、みたいな」


「……ええ」


「二人の関係だから、それは二人だけのものだから、それに対して思ったことは二人だけのもの。周りがとやかく言うことじゃないわ。なかなかどうして、特殊なものな訳だし」


 ああ、こういう人のことを大人と呼ぶんだな、と。

 茶色の前髪の向こうで、はっきりした黒目がきゅっと細められた。

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