第14話 「身長163センチ」

 腰までなびかせた茶髪は、染めている訳ではなく地の色なんだろうな、と何となく分かった。色染めにしては大分黒かったし、色落ちのムラも窺えなかったからである。

 だけれど女性の髪をじっくり観察したこともないので、染髪している人と比べてどうこう、とかそういうのは分からない。本当はただおとなしめの茶色に染めているのかもしれない。だから、そう感じたのはただの何となくだ。


「ほんっと、ごめんなさい……!」


 黒川さんは、申し訳なさそうに深々と腰を折った。「うっ!?」。しかしジャージがきついようで、不自然な所で身体を止めて、慎重に、ゆっくり逆再生するように体勢を元に戻した


 黒川花芽はなめさん。ブレザーのリボンの色が青色だから三年生。だけれど今はブレザーじゃなくて一回りは小さいジャージ姿だった。なぜ一回り小さいかというと、これは古賀さんの物だからである。「わたし、ジャージ持ち歩く派なんです」。そんな派閥は聞いたことがなかったが、今回はそれに助けられたことになる。


「ごめんなさい、私、謝ることも満足にできないなんて……」


 黒川さんは、物理的に不可能だったお辞儀の代わりなのか、首だけをへこへこと何度も動かした。


「大丈夫ですよ、ジャージを貸しただけですから」


「僕なんてなんにもしてないですし……」


 黒川さんが着替えてる間、反対側を向いて目を瞑っていただけだ。


「うん、もちろんその事もあるんだけど……」


 だけれど黒川さんは、もじもじと、うつむいたままジャージの足りない裾をそれでも引っ張って指で撫でている。ジャージが伸びてしまう、と古賀さんは気が気がない様子でそれを見ていた。


「あの……色々聞いちゃったから……ね……?」


 一体何を、訪ねるほど僕たちは鈍くなかったし、また僕たちの関係は複雑じゃなかった。僕と古賀さんは結局のところ、ピクニックに関することを除けば、まだ一つのことについてしか話していないのだから。


 僕と古賀さんはアッと口をあんぐりあげて、そのまま数秒固まって、そしてほとんど同時に顔を見合わせた。唯一異なっていたのは、僕は顔を赤くさせていたことに対して、古賀さんは青白く血の気が引いていたというところだ。僕はとにかく滅茶苦茶恥ずかしくて溶けてしまいそう、というか溶けてしまいたかった。しかし古賀さんの気持ちも分かる。僕は羞恥心が勝ったけれど、血の気の引くような危機感のようなものを、知られてはいけない物を知られてしまった焦りを、僕も感じている。


「ど、どういう関係だと、思ってます……?」


 誰も何も言えぬ気まずさの中、それでも最初に口を開いたのは古賀さんだった。耳の辺りの生え際に、ぽつ、ぽつと、冷や汗が浮かんでいた。


「多分、わたしたちより先に屋上にいたんですよね……?」


「うん……ごめんなさい。たまにここでたそがれてるの……。大丈夫、誤解はしてないわ……」


「本当ですか……?」


「うん。古賀ちゃんが一樹くんのことを好きで、一樹くんはその返事を悩み中なんだよね。……あれ、違う? だって古賀ちゃん、『惚れられそ?』って言ってたし……え? ごめんね……」


 僕と古賀さんは再び顔を見合わせて、まあそうだよな、と溜め息を吐いた。



*



「つまり、僕と古賀さんは付き合ってる訳じゃなくて」


「一樹くんは自殺を考え直す為に恋をしようと考えてて」


「古賀さんはそれに協力をしてくれてて」


「で、恋をする対象がわたしになって」


「で、先日自己紹介がてらに一緒に出掛けて」


「結局相手はわたしでいいの? って確認をしてたんです」


 難しい顔で腕を組んで話を聞いていた黒川さんは、にこり、とほほ笑んでから、「分からない」と言い放った。


「ですよね……」古賀さんは苦笑を浮かべて肩を落とした。


「あ、言ってることの意味は分かるわ。でも……うーん……」


 黒川さんは首を捻って、口にするべき言葉の候補を頭の上に思い浮かべる。視線を巡らせてそれらを一瞥してから、彼女が選んだ言葉は「変わってるね」だった。


「二人とも、変わってるわね?」


 つまり思考放棄だった。

 自分の理解できない思考の、理解できない行動の二人を、”私と違う価値観の人間だから”と理解から切り捨てる言葉だった。


 でも、それで良いのだ。その方が助かる。

 僕ですら自分の自殺願望のその理解が分からずにいるのに、他人に理解できるはずがない。僕たちのことは理解できないものとして、適当に意識の外に追いやってほしい。


「あ、安心してね? 別に二人のことを誰かに言おうって気はないから……。私の部活、二年生は幽霊部員しかいなくて、告げ口するような相手はいないし、二人のことをあれこれ聞きだすことも、したくてもできないから」


「ぶ、部活ってどこなんですか?」


 食い付くように、僕はそう訊ねていた。訊ねてから、しまったと思った。質問の内容が、ではなくて、質問してしまったことに対してである。


 ほとんど無意識に口を出てしまった言葉だった。何故かってコミュ障だから。

 コミュ障にとって、先輩で異性というのは、もう無理だから。事情の説明以外にほとんど何もしゃべれず、そして喋っていないことに対して申し訳なくなり、すぐ目の前にやって来た質問チャンスに無意識に飛びついてしまった。


 そして「突然話の腰を折ってしまった」「急に黒川さんの領域に踏み込んでしまった」と申し訳なくなったのだ。


 しかし黒川さんは、そんな僕にも優しく笑って「文芸部よ」と答えてくれた。


「文芸部……」古賀さんはその言葉を反復する。「……文芸部なんて、初めて聞きました」

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