黒の気持ち

三石いつき

黒猫と夜

 窓が少し空いている。夏の夜の生暖かい風が部屋に流れていた。

もう寝ようと、そっと窓をしめる。


 窓の外に影が見えた。薄い月明かりに照らされたその影は屋根伝いにこちらに迫ってくる。


 影の正体は黒猫だった。野良猫だろうか、首輪はつけていない。黒猫はこちらを見ている。黄金色の目がキラリと光る。


 僕はその目に見惚れていた。こんなにも誰かと目を合わせ続けるのは初めてかもしれない。


 視線を外して、閉めた窓をゆっくりと開ける。窓が完全に開くと、黒猫は部屋の中に飛び込んで、床に座る。


 猫の目の前に座り、そっと撫でてみる。


「君は僕のそばにいてくれるんだね」


 黒猫が僕を見上げる。


「僕はさ、ひとりぼっちなんだ。中学校では嫌われているし、家族は学校に行かない僕によそよそしい」


 気がつくと僕は話し始めていた。


「学校に馴染めなかったんだ。入学して数週間、クラスにグループができてきてね。そこには誰も言わないけれど、ランクみたいなものがあるんだ。面白い人、運動が得意な人、おしゃれな人、これが上のランクの人たち。物静かな人、オタクな人、地味な人、こっちは下のランク。誰が決めたんだろうね」


 黒猫は黙って聞いている。開けっ放しの窓からいつでも逃げることができるはずなのに。


「僕にはね。小学校の頃から仲のいい二人の友達がいたんだ。一人目の友達はサッカーをずっとやっていて、よく休み時間に一緒に遊んだよ。彼は運動は得意だけど、勉強はあまり得意じゃなくてね、僕と二人目の友達で教えてあげてたんだ。なつかしいな。

 二人目の友達は、よく本を読んでいた。彼は難しそうな小説をよく読んでいたけど、漫画も沢山読んでいたんだ。よく三人で彼の家に漫画を読みに行ったよ」


 こんなに連続で話し続けるのは久しぶりで、自分がしゃべっているという実感がない。誰がが口を乗っ取って、代わりに話をしているような気分だった。


「中学生になっても三人は同じクラスだった。とても嬉しかったよ。地域のいろんな小学校から人が集まるけど、僕たちの学校は一つのクラスしかない小さな学校だったからね。同じクラスに友達がいるだけで、こんなに心強いことはないと思ったな。でもね、三人は同じクラスだったけれど、一緒にいる時間は減っていったんだ。ひとりは上のランクに、ひとりは下のランクに、気づくと別れていったんだ。上のランクの人たちは、下のランクの人たちとは仲良くしない。感覚的なものだと思う。それはいわゆる、ダサいってことだ。上と下には同じ教室にいても、見えない壁がある。

 僕はどちらかを、選ばなければならなかった。上と下の振り分けは自然に、自分たちの意思とは関係なく行われる。だけれど、そのどっちにも入る余地のある人というのもいる。それが僕だった。

 僕は中途半端だった。身体を動かすのも好きだし、上の人たち特有のノリみたいなものも嫌いじゃなかった。それと同時に下の人たちと、自分たちの好きなアニメや漫画の話をしたりするのも楽しかった」


 黒猫があくびをする。時計を見ると二時を少し過ぎていた。家族に合わせて、一般的な生活習慣を保っているが、少しくらい夜更かししてもいいだろう。


「はじめの頃はね、どちらとも仲良くしていたんだ。ある時は上、ある時は下、みたいにね。

 でもね、長くは続かなかったよ。少しずつどちらにも避けられるようになった。僕はどちらからも仲間と認められなかったんだ。上の人は僕を下に、下の人は僕を上に見てたんだ、そして僕は完全に居場所を失っていた。

 それからはずっとひとりで過ごしてたよ。休み時間は本を読んでいれば楽しかったし、授業のペアの時は話すしかないから、困ることはなかったよ。

 一週間、そんな生活を続けた頃かな、教室の後ろの方で、クスクス笑う声が聞こえたんだ。それは、誰の声かもわからない、誰を笑ったものかもわからない笑い声だったんだけれど、その時の僕は、自分が笑われていると感じたんだ。

 アイツはひとりで寂しいやつ、友達がいない、上にも下にもなれないはぐれもの。言われてもいない悪口が聞こえてきたんだ。

 するとなんだか恥ずかしくなって、心臓がバクバクと、動き始めたんだ。あの時、きっと僕の顔は真っ赤で酷いものだっただろう。あまり思い出したくはないね。

 すごく惨めな気持ちだった。居場所のない自分がひどく嫌になったよ。

 それから教室の中の話し声が、笑い声が、椅子を引く音さえも自分の悪口を言っている気がして、僕は学校に行けなくなった」


 なんで僕はこの黒猫に、自分の事を語っているのだろう。たぶん、黒猫の目がとても誠実で、それに答えるように勝手に言葉が漏れ出したのだ。


「ありがとう。ここまででいいよ。つまらない話をしてごめんね」


 黒猫を優しく持ち上げて、窓まで連れて行く。黒猫はされるがまま、抵抗はしなかった。


 窓の外に出た黒猫はその強い眼差しでこちらを見ていた。動く気配がない。窓を閉めたらそのうちどこかへいくだろう。


 黒猫の視線を遮るように、窓を閉める。


「そのままでいいの?」


 窓が閉まりきる前に、その声は聞こえた。驚いて、窓を開け直す。確かに今、この黒猫から声がしたのだ。


「もう学校には居場所がない、僕は上にも下にもなれない」


 僕は答えていた。黒猫が口を開く。


「違うだろ。君は本当は上になりたかったんだ、下は嫌だった、バカにされるのが嫌だったんだ。君は必死だった、だから友達を使ってまで上に入ろうとしたんだろ?

 でも、それを上の人たちは良しとしなかった。君が明らかに下の人間だったからさ。君は下の人とも仲良くしてあげたかのように言ってきたけど、君も下の人間だっただけなんだ」


「違う……‼︎」


 黒猫は話を続ける。


「違うことなんかないさ、君は全てが悪口に聞こえるっていたけど、それは君の居場所がないからじゃない。君が下に属してしまった劣等感からくるものだ。それもただの自意識過剰だけどね」


「僕は…下じゃない…僕は上にも慣れたはずなんだ‼︎猫の癖に知ったような口を聞くなよ‼︎」


 黒猫の言葉に口調が荒くなる。この黒猫は僕を見透かしているようだった。僕の作った綺麗な言い訳をやすやすと壊してしまった。


 部屋には夏の夜風と時計の針の音だけが鳴っている。


「上でも下でもいいじゃないか」


 沈黙を破るように黒猫は話し始めた。


「黒い猫は人間に嫌われる、悪魔の使いだとか、縁起が悪いだとかそんな言いがかりで嫌うんだ。猫の中で僕はは、君の言う下なのさ。けれど、愛してくれる人もいる。夜空のようで綺麗だって、褒めてくれる人もいる上も下も存在しないんだよ。人も猫も違わない。それは君が自分で作ってしまった壁なんだ」


「僕が作った……?」


「そう、みんな自分と気の合う仲間といるだけ、勝手に上下を作ったのは君さ。僕も昔はそうだったんだ。人間から嫌われて、誰からも相手にされなかった。だけど、そんな僕を拾ってくれる人がいて、僕はその人を見下した。彼はボロボロの服で、とても醜かったから」


「それは君を綺麗と言って愛してくれた人?」


「ああ、彼は僕を大切にしてくれた。僕も彼を大切に思えた。一緒にいてくれるだけで楽しかったよ。上下なんていらないよ。君もその壁を壊せば君の居場所は見つかるよ」


黒猫の姿が霞む。視界が端から暗くなっていく。




 気がつくと朝になっていた。窓から差し込む光が眩しい。さっきまで黒猫と話していたはずなのに、いつのまにかベッドで横になっていた。


 ひどい夢を見た。久しぶりに見た夢で、まさか猫に説教をされるなんて。

 

嫌な夢だったはずなのに何故だろう、悪い気はしなかった。むしろ、気分が晴れている。いつもならまた部屋の中に引きこもる一日が始まると思うと憂鬱なら気分になるはずなのに。


 もしかしたら今日なら……ハンガーにかかった学生服に手を伸ばす。


 夢の中で黒猫は言っていた、壁を壊せば居場所が見つかると。試しにやってみよう、居場所が見つかるかはわからないけど、見つかったらそこに、僕と同じように居場所のない誰かを連れてこられたら最高だ。

 

 何ヶ月ぶりかに、制服に着替える。

 まずは、家族におはようを言おう。

 ここからまたやりなおそう。


 部屋にこもっていた空気は、全開の窓から逃げていき、新しい空気が部屋に満ちていた。

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