第5話 押し入れの奥の花園

 徒歩で二十分ほどの距離にある住宅街を進むと、普通の一軒家が見えてきた。歩きながら、友介ゆうすけは自分のことを語った。

 一人っ子の友介と、両親の三人家族ということ。

 先月から、父親の転勤に母親も帯同して、今は実家で独り暮らしをしていること。なので、友介の家に来るということは、二人きりになることを意味する。

 それでも良いのか、と尋ねても、クロエは微笑むばかりだ。

(……こっちを信じてるというより、危機感がない感じだな)

 エロゲのオープニングかよ、と胸の内で呟く。

 茶化してでもいないと、この奇妙な状況に、友介のほうがギブアップしてしまいそうだった。

(今日会ったばかりのクラスメイトを自宅に招いて、二人きりで一晩過ごすとか、どういうシチュエーションだ!)


「ただいま」


 真っ暗な玄関へ電気をつけたが、やはり返事はない。

 むしろ、急用で両親が帰国していたら、「その女の子を連れ込んでどうする気だ」と大騒ぎになっただろう。

 二階へ上がり、自室のドアを開ける。机の上は辞書が適当に積んである程度で、散らかってはいない。元は和室だったのをリフォームしたので、クローゼットではなく、昔ながらの襖で仕切った押し入れがある。

 通学鞄替わりのリュックを下ろす指が、妙に震えてしまう。

 部屋で一番大きい家具であるベッドが、やけに存在を主張してくる。

(なんで黙っているんだ、雪森ゆきもりは)

 雰囲気を変えようと、友介は押し入れの襖を開けた。

 押し入れの下段には、昔使っていたおもちゃや、もう読まなくなった本が入っている。上段は冬用の布団があるだけで、ほとんどからに近い。


「上の段なら空いてるし、俺の冬用布団でよければ使っていいぞ」

「本当にいいんですか?」

「春の初めに布団クリーニングに出してある……細かいことは気にするな」


 いくら可哀想な子だとしても、出会った日に親の部屋へ行かせるわけにはいかない。貴重品や仕事関係の書類があるだろうし、何か弄って壊されても困る。

 最初は自分が押し入れに行くことも考えたが、部屋を勝手に物色されたら、と考えるとそれもできなかった。

(あと、家出程度の軽い気持ちなら、この待遇を聞いて帰るかもしれない)

 ところが、クロエは嬉々として背負っていた黒革の鞄を下ろすと、そこから石盤風のタブレットを取り出した。荷物はこれだけなのだろうか。だとしたら、着替えを貸してやらなければ、制服が皺になってしまう。

(見ず知らずの人間を泊めるのって、結構、準備が必要なんだな)

 鞄を脇へ置くと、クロエはひらりと身軽な動作で上段へあがった。プリーツスカートから続く白い太ももが露になる。わざとらしく顔を背けた友介には気づかず、クロエは襖に半分隠れながらこちらへ笑いかけた。


「押し入れに入るのなんて、小学生以来です。なんだか秘密基地みたい」

「邪魔な荷物があったら、下の段へ放り込んでおけばいいから。寝やすいように適当にやってくれ」

「はい。襖を閉めて、支度しますね」

「着替え、俺のスウェットとTシャツでいいか?」


 するとクロエは、先ほど鞄から取り出したタブレットを見せた。

 濃灰色の石板の中央に、たまご大の透明な石が埋まっている。ガラスとは思えない輝きだ。輝石だとしても、それなりに高価な品なのではないだろうか。


「大丈夫、これがあるので」

「そうかよ」


 どこまで本気で言ってるのやら。

 苦笑しながら、友介はポケットに財布が入っているのを確認した。


「夕飯、今から材料買って作る時間もないし。一緒にコンビニ行くか?」


 するとクロエは、小さく首を振った。


「泊めていただく御礼に、私が作りますよ」

「たいした食材もの、冷蔵庫に入ってないぞ」

「大丈夫。準備があるから、十五分くらい待っててください」


 十五分で夕飯が作れるなんてベテラン主婦並みだな、と笑うと、友介は一階へ降りていった。浴槽を軽く洗い、湯を張る。だが、クロエが階段を下りてくる気配はない。キッチンは一階なので、料理をするならそこしかないのだが。

(……あいつ、俺の部屋で何してるんだ?)

 首を捻りながら、階段を上がっていく。

 当たり前のことだが、自室から料理をするような音がするわけでもない。

(頼むから、襖を開けたら血の海、とかやめてくれよ)

 緊張から喉を鳴らし、友介は押し入れの前に立った。一呼吸おいて、声を掛ける。


「雪森、開けるぞ」


 返事はない。

 嫌な予感に、心臓が大きな音で鳴っている。

 もう一度だけ声を掛けると、震える指で襖に手を掛け、一気に開いた――。


「…………どこだ? ここ」


 呆然と呟く友介の前に広がる、青い空と広大な薔薇園。様々な品種の薔薇が、大輪の花をつけている。

 英国風イングリッシュガーデンの奥には、黒く塗られた鉄製のガーデンテーブルとチェアのセット。テーブルには食器が並び、湯気を立てている。

 なぜかロング丈の古風なメイド服を着たクロエは、こちらへ手を振ってみせた。


「海野くん、こっち!」

「こっち、って言われても……」

「そのまま歩いてきて大丈夫だから」


 左手に持った石盤型タブレットの透明な石を、クロエは右手の人差し指で触れた。

 すると、石盤からは、電子音声とは思えない滑らかな声が聞こえてきた。


『体温を検知。現実拡張空間へ侵入者がいます、クロエ』

「海野友介くんだよ、アイちゃん」

『ウミノ氏――住居提供者で間違いありませんか、クロエ』


 お固い言葉遣いとは裏腹に、少し舌足らずな口調が愛らしい。


『了解、ウミノ氏の生体認証を登録いたしました』

「それじゃあ、仕上げのフラワーシャワー、行くよ!」


 クロエは学校とは打って変わって、はしゃいだような声をあげている。石盤の白く輝く宝石から指を離すと、何かを放り投げるように、頭上高くで手を開いた。

 次の瞬間、白く輝く花びらが花園全体へ吹雪のように舞い散った。

 おおよそ現実とは思えない奇妙な光景に、友介の口は半開きになったままだ。


「海野くん、ごはん冷めちゃうよ」

「いや、今はそれどころじゃ……これは……」


 後ろを振り返る。襖の奥には、自分のベッドが見えている。

 間違いなく、ここは友介の部屋の押し入れだ。

 理解しがたい二つの世界の狭間に立ち尽くす友介のところへ来ると、クロエはぐいっと彼の手を引いた。さくさくと、裸足に芝生の感触が心地よい。


「この世界の『悪』は、どうやらまだ顕在化していないようです」

「はあ……」

「ですから、この世界の『悪』が感知できるまで、私はこの世界で待機するよう、指示を受けました」

「いつ? 誰に?」

「今、灯台プハロスの女神様から」


 そう言って、クロエは手にした石盤型タブレットを指さした。

 日本語やアルファベット、その他、友介が見たことのない言語らしきものが、つらつらと書かれている。恐らくは、メールのようなものなのだろう。

 妄想と片づけるには、あまりにも手が込みすぎている。


「なので、海野くん。しばらくここに居候させてください」

「まさか……本当におまえ……」

「あなたの世界が、魔法少女わたしを必要とするその日まで」

「ウソだろ、おいっ」


 叫んでみても、どこまでも広がる空の下、聞こえるはずの反響もない。

 信じがたい世界の入り口で、友介は自分の部屋とクロエの顔を何度も見比べるしかなかった。


not continue...

※エイプリルフール企画のため、内容は未完ですが、ここで完結です

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秘密のクロエちゃん 千 楓 @Kaede_Asahina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ