第4話 お嬢さまとお爺様

 ちょっと!ちょっと!

 馬車の座席から外を眺めていた女の子が、隣に座る初老しょろうの男性に声をかける。

「どうかされましたか?お嬢様じょうさま。」

 お嬢様じょうさまと呼ばれた女の子は、手招きして初老しょろうの男性にも外を見るようにうながす。

じいや!あそこに人がいるわ!」

 じいと呼ばれた初老しょろうの男性がお嬢様じょうさまと同じ方向を見る。

「はて、じいにはよく見えませぬが…」

「もう!私、目は良いんだから。あそこに人が立っているのよ。先刻せんこくのとんでもない大雨で困っているかも…助けが必要かもしれないわ。」

 お嬢様じょうさまと呼ばれた女の子はじいない反応にほほをぷーっとふくらませながら言った。

「しかしお嬢様じょうさま素性すじょうの分からぬ者がお嬢様じょうさまにお近づきになることはこのじい断固だんこ反対しますぞ?」

「あら、素性すじょうの分かる人かもしれないわ?それに、危なそうだったらじいやが助けてくれるんでしょ?元近衛このえ騎士長きしちょうのウィリアム?」

 お嬢様じょうさまはウインクする。

 あきらめたじいことウィリアムはやれやれと首を振り、馬車の手綱たづなを引いている御者ぎょしゃに命じる。

「すまんが、あちらの方に寄り道してくれるかのう?」


 ブフッブフッという鳴き声が聞こえる。

 鳴き声の主は馬車の馬のようだ。

 それと馬車の車輪が回るゴトゴトという音も。

 次第に音が大きくなり、私はその馬車が自分に近づいていることをさとった。

 ずぶ濡れで進退きわまった私の救世主なのか、それとも泣きっ面にはちのトラブルなのか…

 おそわれたとしても最悪、魔法を使えば何とか生きびられるだろう。天変地異てんぺんちいを起こしかねないオマケ付きだけど。

 念には念を入れて身構みがまえる。


 馬車は私の目の前で止まり、初老の男性と中学生くらいの女の子が降りてきた。

 初老の男性は良く整えられたグレーの髪に豊かな口髭くちひげたくわえている。やや糸目いとめで、目尻めじりが上がっている精悍せいかんな顔立ち。

 服はスーツと言うよりはタキシードに近い。そしておっかないことに、腰にはサーベルを吊り下げている。

 女の子は腰の長さまであるプラチナブロンドのストレートヘアーにエメラルドグリーンの瞳。顔はまるでお人形さんのように可愛い。

 服はAラインのドレスだが、レースや飾り気は少なく、きっとこの女の子の普段着なのだろう。

 なんというか、典型的てんけいてきなお嬢様じょうさま執事しつじのおじいさんといった感じだ。

 そして私はふと思った。


――あれ?言葉って通じるのかな?


 二人で何やら話している風だが、聞こえてくる会話の内容が全く分からない。

 これは、またまたピンチなのではなかろうか…!?


じいや、女の子よ?まぁ、ずぶ濡れになって!このままだと風邪を引いてしまわれるわ!」

「確かに、これは早くお召し物を変えた方がよろしいですな。」

「見たところ、お着替えは持っていなさそうですし、助けてあげなきゃ。」

 という会話を二人はしていた。

 そして、立花たちばな由芽ゆめに向かって話しかける。

「初めまして。私はレフィーナ・オルデンブルクと申します。あなたは?」

 目の前のずぶ濡れの女性はキョトンとしている。

 何せ立花たちばな由芽ゆめには

「あzsxdcfvgbhんjmk、l。;・:¥?」

 と、こんな感じに聞こえていたのだから。


「困ったわ、じいや。言葉が通じないのかしら?それとも耳の不自由な方なのかしら?」

「お嬢様じょうさまの姿をご覧になって頭を下げぬところを見ると、領民りょうみんではございませぬな。」


 そう話す二人の会話が、断片的だんぺんてきにではあるが分かるようになってきた。

 ん?断片的だんぺんてきに分かる?

 それはさておき、どうやら私は警戒されている気がする。


「あ、あの。私は立花たちばな由芽ゆめって言います。あやしいものじゃありません!」

 まぁ、あやしい者がみずから「ボクあやしい者です」などと言う事はないので、気休め程度の弁明べんめいにしかならないが。

 いや、そもそも私の言葉、通じているのかな…?


「ユメ…さん?」

 女の子が発した言葉は、今度は鮮明せんめいに理解できた。

 どういうことだろう?急速に言葉が馴染なじんでいく感じがする。

 そして私はまたもや思い出した。

 そうだ、能力値のうりょくちだ。すべての能力値のうりょくち最大カンストの私。知力の値も当然最大カンストだ。

 きっとこの世界の言語を猛スピードで取得しゅとくしているのだろう。


「は、はい。ユメです。あの…お二人は?」

あらためまして。私の名前はレフィーナ・オルデンブルク。この地を治めるオルデンブルク伯爵はくしゃくの娘です。」

 スカートのすそをつまんで持ち上げつつ、軽くお辞儀じぎをしながら話す。なんとなく映画とかで見たような気がする西洋の礼儀作法れいぎさほうだ。カーテシーとか言ったっけ?異世界でもあるんだな…と我ながらみょうなところに感心してしまった。

「レフィーナ・オルデンブルク…伯爵はくしゃく嬢様じょうさま?」

「うふふ、堅苦かたくるしいのは苦手です。どうぞレフィーナとお呼びください、ユメ。それとこちらが執事長しつじちょうのウィリアムです。」

 レフィーナに紹介されたウィリアムは深々と頭を下げた。

「初めまして。オルデンブルク伯爵はくしゃく執事長しつじちょうつとめさせて頂いております、ウィリアムと申します。早速ですがお召し物を着替えられてはいかがでしょうか?」

「そうそう、そのままでは風邪を引いてしまうわ。背丈せたけは私とよく似ていらっしゃるので、私の着替えをどうぞ使って下さい。遠慮えんりょはなしですよ?」


 そんな恐れ多い!と言いかけた私の機先きせんを制するようにレフィーナにたたみかけられてしまった。

 ここまで言われては、有難く好意こうい頂戴ちょうだいするしかなさそうだ。


 馬車の座席の下は引き出しになっており、そこには替えの衣服の他、出かける用の道具が詰め込まれていた。

 ウィリアムが手際よく服とタオルを準備する。

 ここでまた私は困難にぶつかった。


――この世界の服の着方きかたがわからない


 転生したときに着ていたこの服も、どういう構造なのか。どうやって脱いでいいのか分からない。

 困った私は、レフィーナにひそひそと話しかけた。

「レフィーナさん、ごめんなさい。先ほどの雨で身体が冷えてしまって上手く動かせないのです。服も貼りついてしまって…。お嬢様におたのみすることではないのは重々承知じゅうじゅうしょうちの上なのですが、その…着替えを手伝っていただけませんか?」

 自分で言った通りだが、こんなこと伯爵家はくしゃくけ御令嬢ごれいじょうに頼むことではない。

 しかし、御者ぎょしゃとウィリアムは男性。さすがに男性に裸を見られるのは抵抗がある。

 あれ?でも執事しつじとかは着替えのお手伝いもするんだっけ?よく知らないけど…ウィリアムさんに交代されちゃったらどうしよう…

 私の不安を感じ取ったのか、レフィーナは笑顔を浮かべる。

「ええ。そうね、メイドがませんもの。私で良ければ喜んで♪」


 まずは腰のコルセットのようなものを外す。

 普通はひもゆるめたら簡単に取れるそうなのだが、ひもも布も濡れてしまっているので、脱ぎづらいことこの上ない。

 次いで、肩で吊っているスカートを脱ぎ、最後にシャツのような服を脱ぐ。

 脱いで初めて気づいたのだが、ブラジャーとショーツは普通に前世で使っていたものによく似ている。パンツの両サイドがひもで肌の露出ろしゅつが多いのは恥ずかしいのだけれど…。


 タオルでひととおり身体をくと、レフィーナは替えの下着を渡してきた。

 さすがにレフィーナの下着まで借りるというのは抵抗があったが、屈託くったくのない笑顔のレフィーナに負けて受け取る。濡れた下着のまま、と言うわけにもいかないしね。

 ただ、その…ブラはカップのサイズが合わなくて(レフィーナはAくらいかしら?)スリップのようなものを借りることにした。


 レフィーナの替えの服は振袖ふりそでのような大きなそでのついたシャツとノースリーブのAラインドレスで、腰はコルセットではなく、布を巻くようなものだったので、簡単に着ることができた。

 着替え終わるとようやく気持ちが落ち着いてきた。

 衣食住いしょくじゅうの大切さを改めて思い知らされる。


「しかし、災難さいなんでしたね。あんな見たことない大雨にあたってしまうなんて」

「あ、ははは。そ、そうですね。」

 その元凶げんきょうが自分だなんて絶対に言えない。


「ねえ、ユメ。」

 レフィーナが何か聞きたそうに問いかける。

「はい?」

「ユメはどこの領民りょうみんなの?」

 あー気になるよね。

 異世界人ですよ、と言おうとしたとき叫び声が聞こえてきた。


――なんてこった!!

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