第20話 自分アピール

 志乃が生まれて初めてのアルバイトである夏期合宿の臨時講師を、無事に終える事が出来た。


 合宿の成果はすぐに表れたようで、その後に受けた模試などで好成績を収めた生徒達が続出したという。

 だが、去年良介が臨時講師として参加した時と比べてその成果は劣るものであったが、志乃はそれは当然だと受け止めた。


 代打はどこまでいっても代打であり、講義で使う物語は良介が制作したうえに語り掛け方も教わった事をなぞっただけで、その方法に裏付けられたものを理解していないのだからと。


 とはいえ、志乃にも思う所があったようで少し悔しいという気持ちを抱いたのは、最終日に大ホールで行った最後の講義の席で参加した生徒全員からお礼を言われて、思っていた以上に自分がこの仕事を楽しんでいた事に気付いたからだった。

 あくまでいい経験になると思って引き受けた仕事であったが、終わってみるとどこか寂しさを覚えた自分がいたからこそ、自分の至らない部分を痛感したのだ。


 合宿会場がある伊豆から東京に帰ってすぐに正規雇用の最終試験の合否発表が行われた。

 といっても、志乃は一秒でも早く良介に会いたいが為に参加者と一緒にバスで帰京せずに終わった足で新潟に向かった為、誰が採用されたのかを知らない。


 その数日後、志乃は社長である天谷に呼び出された。

 その際、呼び出された用件を聞かされる事がなかった志乃だったが、来年のポスター撮影をさせられた事から予想はついていて、そしてその予想は見事に正解を示した。

 天谷直々に来年の合宿も臨時講師として参加を要請されたのだ。

 だが、志乃は要請される前から答えを出していた。

 合宿の全カリキュラムを終えて大ホールで閉会式を行った際、壇上でマイクを握って挨拶をした時に見た生徒達の充実した表情を見た時に、またこの場に戻ってきたいと願ったのだ。


「そのお話、受けさせて頂きます」


 志乃が天谷の要請に即答でそう返事すると、天谷は本当に嬉しそうに「ありがとう」と感謝した。


 その翌日、志乃の口座に講師料が振り込まれたのだが、予定していたギャラよりも多く振り込まれていた為すぐさま確認をとった所、来年の参加確定料を上乗せしたとの事だった。


 このギャラのおかげで当面の頻繁に良介に会いに行ける算段が経った志乃であったが、良介の恋人としてだけではなく一大学生としても有意義な時間を過ごそうと、未知の世界である読者モデルと大学生という新しい生活をスタートさせるのだった。


 ◇


 大学の夏季休講を終えて静かだったキャンパスにまた賑わいが戻った残暑が随分と和らいだ10月頭のある日。


「お疲れ様でしたー! かんぱーい!」

「おー、おつかれー!」

「お疲れ様」

「おつかれっすー!」


 良介が元いた本社の最寄り駅であるO駅前のとある居酒屋で、開発所の同僚の田上が乾杯の音頭をとり、同席している松崎、良介、そして良介の担当先の殆どを引き継がせた渡辺の順で労を労う言葉とともに生ビールが注がれているジョッキを突き合っていた。


 四人同時にゴクゴクと喉を鳴らしてキンキンに冷えた生ビールを流し込んでいく。


「ップハー! やっぱ仕事上がりの最初の一口は最高だよなぁ!」

「あっはは、ですよね!」

「はい! もうこの一口の為に生きてるって感じっすよ!」


 松崎の最高という台詞に田上が同意して、渡辺も口の周りに付いた泡を気にする事なく、幸せそうに笑った。


 そんな3人を見た良介は、どこかの親父連中と飲んでいるみたいだと喉元まで出てきた言葉を飲み込んだ。


 新潟の開発所にいるはずの良介と田上がここにいるのは、松崎と渡辺がエンジニアのフォローを同じタイミングで依頼した為、1人だけ本社に向かわせると日程が被る恐れがあるからと、開発所側から良介と田上を向かわせたからだ。

 良介は松崎を、田上は渡辺と行動を共にして、今日無事に顧客との打ち合わせを終えて、こうして4人で打ち上げする事になったのだ。


「うーん! 超久しぶりの東京にテンション上がりますね! 先輩!」

「だから、その先輩ってのやめろって」


 田上は何時の間にか良介の事を先輩と呼ぶようになった。

 確かに年齢的にも勤続年数的にも先輩にあたる良介ではあったが、開発所の勤務歴は田上の方が長い為、良介は先輩呼びを止めるように促していた。


「えー? だって年下感があっていいじゃないですかぁ。先輩も年下好きですよね?」

「俺の好みの問題じゃなくてだな……はぁ」


 何度言っても返ってくるのはこの台詞で半ば諦めていて、いつも溜息を漏らすばかりになっていた。


「年下好きを否定しないのは肯定とみなしますよ! ホラ! 先輩と私っていい感じな年の離れだと思いません? いやーもう! 先輩って幸せ者ですねぇ!」


 もうすでに酔ってるんだろうと黙って田上の話を聞いていると、話題が段々と怪しい方向に向かっていく。


 東京に出張する前日の事だ。

 帰宅する前に仕事の引継ぎで打ち合わせしていた川島から妙なアドバイスをもらっていた。


「田上には気を付けなよ」

「ん? 田上さんがどうかしたのか?」

「間宮君だってあの子の気持ち、気付いてるんでしょ?」

「…………」


 勿論、良介も気付いている案件で、彼は彼なりに空気を悪くしない程度に距離を置いていた。

 あからさまに拒絶してしまうと仕事に支障をきたす為、仕事以外では極力関わらないように立ち回ってきた。

 だが2人で東京に出張が決まった時から一気に距離を詰めようと、色々と作戦を練っているようだと川島は言う。


 気のせいじゃないかと言いたい良介であったが、川島の言う通り思い当たる節があった為、それを否定する言葉が口から出なかった。


「何が幸せなんだか……」

「えー? もう、分かってるくせにー」


 まだ一杯目だよなと田上のグラスに視線を向けた良介は、飲みたがっていたわりには酒に弱いんだなと、この場に連れて来た事を内心後悔した。


 本来は久しぶりに松崎とサシで飲もうと話していたのだが、どこの店にするかと話しているのを田上に聞かれてしまい、遠慮して欲しいという空気を出したにも拘らず、田上は強引についていくと聞かなかった為、これはマズいと良介は急遽帰ろうとしていた渡辺を引き留めて、何とか4人組で飲みに行く形を作ったのだ。


「年の離れなら、間宮の彼女は田上さんよりもっと年下だぞ?」


 自分より年下の可愛い後輩アピールでグイグイ迫る田上に対して、ずっと2人の様子を伺っていた松崎が話に割り込んだ。


「え? 私より年下って、間宮さんの彼女って何歳なんですか!?」

「ふふん! 現役JDの一回生だ。先月二十歳の誕生日迎えたばっかのな」


 ドヤ顔で志乃の年齢を語る松崎の言葉に、田上は口をポカンと開けたまま良介を見る。


「お前だって同じだろうが!」


 清々しい程に自分の事を棚に上げている松崎に、溜息交じりにツッコむ良介。


「え!? って事はお二人とも一回り年下の女と付き合ってるって事、ですか!?」

「……まぁ、そうなる、な」

「……み、右に同じく」


 年の差を理解して付き合っている良介と松崎であったが、第三者に年の差が一回り違うと言われてしまうと、なんだか罪悪感が募った。


 2人の恋人が現役JDだと知った渡辺の「羨ましい!」と言う声で我に返った田上が、若干口元をピクピクと引きつらせながらも、「ふんっ」と鼻を鳴らしておかわりしたジョッキを一気に煽って口を開く。


「プハァ! ま、まぁ若けりゃいいってわけじゃないですもんねぇ! 外見も大事ですし、内面はもっと大事ですからね! その点、私は地元で有名な大学卒ですし、外見だって自信ありますよ!」


 もう完全にデキあがっていると判断するには十分な台詞だった。

 自分で自分をここまで褒めたたえるなんて、素面じゃ出来ないと思ったからだ。


「おー! かっけーなぁ!」


 ドヤ顔で自分アピールをする田上に若干引き気味になる間宮と違い、面白い玩具を見つけたと言いたげな顔をした松崎が一応の誉め言葉を田上に送る。


「そうでしょ!? そのうえ私はあの川島女史の後継者になる女ですからね! 仕事だってバリバリのキャリアなわけですよ!」


 後継者ってのは自己評価での話だよなとツッコみたい気持ちをグッと堪えた間宮の顔を横目でチラリと見た松崎が、ニヤリと笑みを浮かべて口を開く。


「でもさ! 間宮の彼女、瑞樹ちゃんっていうんだけどさ。彼女K大生なんだぜ? しかも現役合格!」

「け、K大!? げ、現役合格!?」


 K大現役合格という言葉に狼狽える田上に、松崎は更に追い打ちをかける。


「しかも、読者モデルやってる子なんだよ!」


 読者モデルなんてやりたいと思っても、誰にでもできるわけではないのは常識だ。

 現役K大生で読モとしての顔をもつ恋人がいるんだから諦めろと松崎は言葉にこそしなかったが、ついさっきでのヘラヘラした表情から笑みを消した事で田上に圧をかける。


「ふ、ふーん、そうですかぁ。でもアレですね! それだけ完璧女子がいつまでも遠恋なんて続けられますかねぇ。というか、実はこっちにイケメン男子の1人や2人いるかもしれませんよ?」


 一般的な遠距離恋愛なら有り得るというか、よく聞く話だろう。

 だが志乃の事をよく知る者なら、それは絶対に当てはまらない事を知っている。


「ま、一般論でいえばそうかもな。一般論であれば、な」

「その瑞樹さんってのは違うと言い切れるんですか?」

「あぁ、言い切れるね」


 何時の間にか当人である良介を放置して、田上と松崎で志乃についての討論が始まっていた。

 そんな2人を肴にジョッキを煽る良介は渡辺の「流石の余裕ってやつですか?」という問いに、苦笑する。


「余裕なんてあるわけない。でも、こればっかりはアイツの事を信じるしかないだろ」


 不安がないわけではない。

 松崎の言う事を否定したいわけじゃないが、ただでさえこの年齢差があるうえに物理的な距離が不安材料になっているのは確かなのだから。


 志乃がどういう過去を乗り越えたのかを誰よりも知っている良介にとって、自分が彼女にとってどんな存在なのかを理解していても不安を感じない理由にはならないのだ。


 この場にいない志乃に想いを巡らせていると、更に酒が入って討論を激化させていた田上が不意に静かに飲んでいる良介に目を向ける。


「間宮さんって明日の夜の新幹線で帰るんですよね?」

「ん? そうだけど」

「それって彼女さんと会う為ですか?」

「まぁ、そんなとこだ」


 明らかに酔っぱらって目が座っている田上がニヤリと口角をあげた瞬間、ゾクッと背筋に寒気を感じた良介はゴクリと喉を鳴らす。


「私も明日の夜に帰るんで、噂の彼女さんに会わせて下さいよ!」

「……はぁ!?」


 酔った勢いで言い出した事とはいえ、とても容認出来る内容ではない。

 そんな事をしたら志乃がどんな反応をするのか、容易に想像出来るからだ。

 それに確かに明日会う予定になってはいるが、2人で会うわけではなくK大の学際に参加する事になっている為、ここにいる松崎を始め愛菜や結衣に佐竹達と現地で落ち合う手筈になっている。

 そこに田上が現れたらどうなるかって話なのだ。


 それは断固として阻止しなければと即答で断わる良介だったが、田上は全く話を聞こうとしない。

 そこでここは助けを頼もうと松崎に目をやったのだが、スマホを耳に当ててどこかに電話をかけていた。

 田上を煽るだけ煽って無責任な奴だと変わらずグイグイと明日の約束を取り付けようとする田上を必死に交わしていると、電話を終えた松崎がニヤリと笑みを浮かべて2人の間に割って入る。


「間宮ー! 連れてきていいってよ」

「誰がそんな事言ってんだよ」

「瑞樹ちゃんご本人が、だよ」

「…………は?」

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