第11話 ご挨拶 last act

「愛おしい、か」

「はい」

「でも、君は志乃に気持ちを伝えなかった」

「……ですね」

「それはどうしてだい? 志乃の気持ちにも気付いていたんじゃないのかい?」

「慕ってくれているのは分かっていましたけど、恋愛対象としてではなく兄のような気持ちを抱いていると思ってました」


 この歳の差ですからねと付け足して当時の志乃を思い出してみた。

 思い込みっていうフィルター越しからじゃなくて、ちゃんと真っ直ぐに志乃と向き合っていたら、きっと俺の事をどう見ていたのか分かったんだろうな。

 だけどそれが分かっていたとしても、あの頃の俺はきっと志乃を拒絶していただろうけど。


「だから俺は彼女の殻を壊した人間として、志乃さんが必要としてくれるなら兄として支えるつもりだったんです」


 気にはなっていたけど異性としてじゃなくて放っとけない妹みたいに思ってたから、俺は距離をとる事なく接していたんだ。


「……つもり、ね」


 拓郎さんが俺が付けたそうとしている事を察したのか含みのある笑みを見せるから、俺は言葉を飲み込む事で肯定した。


「だが、君は志乃を1人の女として好きになった」

「……はい。でも気持ちと行動がちぐはぐだった結果、志乃さんを傷つけてしまいました」

「なるほど。それが君の意識が戻った日になるんだね」

「………………」


 拓郎さんはどこまで知っていて、俺とこうして話しているのか気になった。


「志乃さんから僕の事を訊いたんですか?」

「ん? 君の名前と職業と現住所、それから年齢くらいかな」

「本当にそれだけですか? それだけで僕が話している事を結びつけるなんて出来るものなんですか?」

「ははっ、偶々だよ。まぁ強いて言えば、私も無駄に年をとっていないと言う事かな」


 ……本当だろうか。

 年を重ねていくだけで出来る芸当とは思えないんだが。

 それに一番気になるのが、今一緒にいる拓郎さんそのものだ。


 志乃から聞いた話では、これまで俺の名前が出る度に誰なんだと騒ぎ出して煩かったとか、機嫌が悪くなってフォローが大変だったと言っていた。

 だけど今目の前にいる拓郎さんは落ち着き払っていて、まるで今日こうして顔を合わす前から俺と志乃の事を知っているように話すから……。


「ずっと――志乃さんを見守っていらしたんですね」


 こう考えるのが自然だと思った。

 俺の名前が出ただけで慌てふためいたのが真実であるならば、今こうして話をしている拓郎さんは別人と言っていい。

 だけど、もしそれらが全て芝居だったとすれば……。


「……情けないと思うよ。本音を言うと娘は嫌だったんだ……。ずっと心配事が尽きないし、中学の時もそうだ。そしてこと恋愛の事となると、娘の父親なんて無力なんだと思い知らされるだけだからね」


 拓郎さんは言う。


 俺と知り合ってからの志乃は感情の振れ幅が大きくなったと。

 心から楽しそうに笑ったり、心底機嫌が悪いと口を尖らせたり。そんな人として当たり前の感情表現を親の前で出したのなんて、中学生になってすぐまでだったと言う。

 母親の華さんには色々と相談したりしているみたいだったけど、父親には一切そういった事はなく、拓郎さんは華さんと志乃さんが話しているのを聞いてないフリをして意識はずっと2人の会話に向けたりと。兎に角、大切な娘の事を可能な限り知ろうとしてきたんだと言う。

 だから唐突な今日の訪問でも拓郎さんはずっと落ち着いたままで、土下座して謝罪した時も取り乱す事なく冷静に俺と話をしてくれた。


『親の苦労子知らず』なんてよく言ったものだ。

 今まさに拓郎さんのこれまでの気苦労を聞かされて、それを痛感しないわけにはいかない。

 とても、本当にとても素敵なお父さんだ。

 世の中には自分の子供に関心を持てずに放っている親や、子供を虐待する親なんているというのに、この人は誰よりもカッコいい父親だった。

 もし、俺が結婚して子供を授かり娘の父親になったとして――果たして拓郎さんのように振舞えるかと考えた時に、少し怖くなってしまった。


「そんな事ありません。生意気かもしれませんが、とてもカッコいいと思います……本当に。そんな人にこんな事言うのは恐れ多いというか……ですが、拓郎さんから見ればまだまだガキの戯言に聞こえるかもしれません」


 ですがと続けようとした時、拓郎さんの優しい目が俺の口を止めた。


「君の事を子供とは見ていないよ。実際結婚を決意した事があるわけだし、ね」

「……拓郎さん」

「勿論思うところがないわけじゃないけど、君にならと納得もしてるんだよ」


 拓郎さんの言葉にベンチから立ち上がった俺は拓郎さんの前に立って、深く頭を下げた。


「拓郎さんが心配されるのは当然だと思いますが、もう志乃さんを悲しませません! 2度と泣かせないと誓います! ですから、僕達に時間をください。お願いします!」


 これ以上拓郎さんがどれだけ志乃を想っているのか知ってしまうと怯んでしまう。

 そう思った俺は拓郎さんの話を遮るように俺達に時間が欲しいと嘆願した。

 少し卑怯だと思ったし、失礼な事をしたと自覚している。

 だけどそんな拓郎さんだからこそ、俺の心からの願いを聞いて欲しかったんだ。


「……約束だぞ」

「…………え?」

「志乃をもう泣かせないでくれ。もう志乃に作った笑顔をさせないでくれ」

「はい……。はい! 約束します! 絶対に拓郎さんの期待を裏切りません!」


 頭を下げたまま誓いを立てた視界にあった拓郎さんの足が動いたかと思うと、頭の上に大きな手の感触を感じた。

 その手の感触を確かめようと頭を上げた視線の先に、柔らかく微笑む拓郎さんの顔があった。


「志乃の事を宜しく頼むよ、間宮君」

「……拓郎さん」


 拓郎さんの表情が一層柔らかいものに変わっていた。

 それこそ、まるで家族を見るような拓郎さんの優しい表情に不覚にも目頭が熱くなった程だ。


「ありがとうございます!」


 俺はまた深く頭を下げて拓郎さんの父親として、1人の男としての器の大きさに、心の底から込み上げくる感謝の気持ちを伝えた。


 ◇


「さっきからそわそわして、少しは落ち着きなさい」

「そんなの無理だよ! 今頃お父さんが良介にとんでもない事してるんじゃないかって思うと……落ち着くなんて」


 ただ付き合っている恋人だと紹介するのならまだしも、今日ここへ良介が来たのは私が良介の家に入り浸る許しを得ようとしてるんだから。

 普通こんな事はこそこそとバレないようにするものだと思うんだけど、それを良しとしない良介はお父さんとお母さんの許可を得ようとしているんだ。

 その誠実な気持ちは勿論とても嬉しいんだけど、私達を応援してくれているお母さんは兎も角として、私に少しでも男の影を感じると取り乱すお父さんの事を考えると、やっぱりこんな事は止めるべきだったんじゃないかと今でも思ってる。

 だって、どう考えてもお父さんが私達のお願いに首を縦に振る姿が想像できないから。


 今頃、怒鳴られているんじゃないだろうか。

 それどころか、もしかしたら殴られているかもしれない。

 お父さんがどれだけ私や希を大切にしてくれているのかは知ってる。だけど、それが逆に今は不安でしかたがなかった。


「普段のお父さんは志乃事となるとあんなだけど、きっとお父さんなら心配いらないわよ」


 普段のお父さんがあんなだと言うのに心配いらないとか、矛盾してるようにしか聞こえないし、どこにも安心できる要素があるとは思えない。


「どうして、そう言えるの?」

「ん? だって、お父さんは私が本気で愛した人だもの」


 この状況でまさか惚気を聞かされると思っていなかった私は呆気に取られてしまって、気が付けば吹き出していた。


 何時か私も誰かに恥ずかし気もなくそんな事を言える時がくるのだろうか。そう考えると、お母さんもお父さんと出会うまでは決して平坦な時間を過ごしていないのだと思った。

 だって、お父さんの事をそう話すお母さんの目から、深い、とても深い愛情を感じたから。


 そんなお母さんを私は誇らしいと思った。

 そして、そんなお母さんの娘として生まれた私自身にも誇らしさを感じたんだ。


「ただいまー」


 やがて、玄関が開く音と共にお父さんの声が聞こえた。

 私はお母さんへ向けた意識をすぐさま玄関に向けるのと同時に、リビングを飛び出すように駆けだしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る