第4話 新天地で始めよう

 志乃と付き合いだして10日程が経った。

 週末に志乃がやっぱり会いたいってしつこかったんだけど、心を鬼にして断固として拒否した。

 勿論、俺だって会いたかった。

 朝から会って1日遊んで帰るのならいい。

 でも、ここは新潟で志乃は東京の人間だ。日帰りが不可能とは言わないが、決して安くはない交通費を考えたら現実的ではない。


 となれば、俺が1人暮らしだから志乃が泊まる形になってしまうのだが、俺個人としては嬉しいんだけど、頻繁にそれをしたら世間体的によろしくない。

 それに、これからずっと一緒にいたいと思っているからこそ年頃の娘が毎週末外泊するというのは、やっぱり親御さんとしては心配だろうし特に父親にしてみれば面白くないはずだ。

 志乃と同年代の男が恋人ならそんな事も考えずに暇さえあればイチャつくんだろうけど、生憎俺は30歳の大台に乗ってしまった男なんだから、ある程度は志乃の行動に制限をかけて正す必要性を求められると思うのだ。


 せめて交通費を俺に払わせてくれたらまた違ってくると思うんだけど、何度言ってもそこだけは頑として譲らないのだから困ってしまう。

 であれば俺の方から会いに行けばいいんだろうけど、生憎やりたかった仕事とはいえ立場的に1年生な俺にはまだそういう余裕がないという悩ましい現状なのだ。


 そんな事を考えながらキーボードを叩き、予定どおりに今日のタスクを終えてバックアップに入る。

 各タスクの最終チェックを終えダブルチェックに回す為にサーバーにアップして、担当者に簡単なメールを送ってPCの電源を落とした。

 そして何時ものように仕事に集中している時は気付かなかった首回りの硬くなった筋肉を和らげようと、首に手を当ててゴキゴキと間接を鳴らす。

 あまり良くない事らしいのだが、これをやらないと首回りや両肩周辺がスッキリしないのだから仕方がない。


 時計を見ると19時前を指していて3時間程ノンストップで作業していた事に気付いた俺は、どうせ急いで帰っても誰もいないのだからと、缶珈琲でも飲んで休憩してから帰宅する事にした。


 自販機が設置されている休憩スペースに足を運ぶとどうやら先客がいるようで、4人の人影と楽しそうに笑う声が聞こえて、その中に川島さんの姿もあった。


「お疲れ様です」


 何気にそう声をかけると、話声が止んで川島さんが俺の方に向き直る。


「あら、お疲れ様、間宮君」

「うん、お疲れ様、川島さん」


 川島さんと挨拶を交わして自販機に小銭をチャリチャリと音を立てて投入していると、川島さんと一緒にいた女性スタッフの1人も俺の方に向き直った。


「あ、間宮さん。お疲れ様です! あの、これから皆で飲みに行こうかって話してたんですけど、間宮さんもどうですか?」


 そう声をかけてきたのは、確か田上さんだ。

 彼女はここに配属されて4年目になる女性スタッフで、この開発所を色々と案内してくれた縁で仕事は勿論の事、それ以外でも色々と相談にのってもらっている。

 基本的に俺をここへ引っ張ってきた川島さんが担当みたいになってるんだけど、川島さんはチーフという立場で多忙な為そんな時に頼っているのが田上さんだ。


 飲みか。悪くないというか、ハッキリ言って最近の俺はご機嫌そのものでガッツリと美味い酒が飲みたいと思ってた。

 理由は単純で、ずっと想い続けていた瑞樹志乃と付き合えた事に尽きる。

 あの夜、自分の思いの丈を伝えて、そして彼女の想いを知り――そのまま俺達は朝を迎えた。

 まるで壊れ物を扱うように抱いた志乃の姿は綺麗なんて言葉が陳腐になってしまう程で、俺の腕の中で眠る志乃が愛しくて愛しくて……。

 ずっと離したくない。もう二度とあんな想いをするのは沢山だとずっと続く未来を心から願った。


 あの日から俺達は直接会う事がなかったけど、毎晩テレビ電話でお互い一日の出来事を話し合ったりしている。

 ちょっと子供っぽいかなとは思うんだけど、志乃がこれだけは譲れないと言い張るから続けている。

 通話時間はまちまちで、俺の帰りが遅くなったりした日は気を使って5分程で通話を終わってくれたり、志乃は志乃なりに働いている人間の気持ちを酌みとってくれているようで、その気持ちが嬉しかった。


 おっと話が逸れたな。


 とにかく俺が言いたいのは川島さんはともかくとして、この田上さんと一緒に社外で会うのはマズいという事だ。

 付き合う前からある程度は知ってはいたけど、志乃は人一倍ヤキモチ焼きだから、東京と新潟での遠距離恋愛をするうえで祓える不安材料は祓っておくべきだろう。


「あーごめん。時間指定してる荷物が届く事になってるから、今日は帰るよ」


 うん、こんなもんだろう。

 東京での営業時代に女性社員に食事に誘われたりしてきたから、角の立たない断り方はお手の物なのだ。


「えー!? それじゃまた誘うんで、次は付き合って下さいよー!」

「はは、機会があればね」


 次があるのか……また何か言い訳考えとかないとな。


 そんな事を考えながら休憩スペースを後にした俺は、そのまま荷物を纏めて開発所を出た。


 先週末にメンテしてやった愛車がすっかり日が落ちた空間を切り裂く風に少し湿り気が帯びていて、梅雨入りが近い事を感じさせた。

 梅雨が好きな人間なんて少ないだろうけど、それを抜けた先にある夏が待ち遠しいと思う人間は多いと思う。


 解放的になる夏が待ち遠しいとか、昔の俺が聞いたら鼻で笑うかもな。

 ずっと人を拒絶して、ただ生きているだけだったあの頃の俺を解放してくれた女性が恋人になってくれた。

 その人と恋人として初めて迎える夏を楽しみにするなという方が、無理な話だ。


 海にプール。それに東京では中々難しかったBBQってのもいい。

 いや、この際だからアウトドアを始めるのはどうだ?

 昔から興味があったけど、きっかけがなかった。

 新潟ここなら星がとても綺麗に見えるし、2人でキャンプなんて楽しそうだ。

 折角都会から離れたんだから、東京や大阪では中々出来ない事を始めてみようか。

 2人で始めれば、何をしてもきっと楽しいと思うから。


 とはいえ、志乃がインドア派かもしれないから、帰ったら電話して聞いてみようかな。

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