第10話 代償

 気が付いた時、エラは自分が何処に居るのか判らなかった。

 ぼんやりとした頭の中で、クリーム色の天井が、コウモリの羽根のようにカーブしているのを見て、教会のようだわ、と思ったりしたのだが、教会というのが、一体何のことなのか、すぐには思い出せなかった。

 しかし、自分を近くで、心配そうに見ている人の姿は、すぐに判った。


「……お母様」


 大学ではまず使わなかったその言葉が、すんなりと口から出る。何故彼女がそこに居るのだろう。エラにはよく事態が飲み込めなかった。


「気が付いたのね…… 先生! 先生!」


 母親は、部屋の中に備え付けてある端末に叫ぶ。こうまで取り乱した所を彼女は見たことがなかった。しかし先生。何の先生だというのだろう。ふっと頭の位置を変える。


「あ!」


 小さく叫ぶ。背中を痛みが大きくよぎったのだ。


「まだ動いては駄目よ!」


 端末に叫んでいた母親は、慌てて彼女に駆け寄って、位置をずらしたまま動けない身体を、その白い細い手で、やっとのことで元に戻す。


「もうじき先生がいらっしゃるわ。もう大丈夫よ」


 大丈夫、とは、どういうことなんだろう。彼女は問いかけたかった。だが、唇も喉もからからで、上手く声が出なかった。

 いや、声どころでは無い。身体がひどく重くて、まるで動かせなかったのだ。



「あなたはもうここ一ヶ月近く眠っていたのですよ」


とやってきた「先生」は言った。つまりはここは病院なのだ、と彼女はその時ようやく知った。

 ようやく母親に呑ませてもらった水のおかげで、声が出せる様になる。


「あたしは今何処に居るのですか? 確かコヴィエに居たはず…」

「コヴィエから、運んできてもらったのよ、軍の方々に!」


 はっ、と彼女は目を大きく開ける。


「どういう――― ことですか?」

 「先生」―――医師は何か言いたそうな母親を手で制すと、彼女の枕元に座り、ゆっくりとした口調で話しかけた。


「あなたは、コヴィエでアンジェラスの軍の爆撃を受けたのです。それは覚えてますか?」


 彼女はうなづく。その時も一応知ってはいた。だから余計に、あの地へ行くことを実家には内緒にしていたのだ。実家はウェネイクの名家である。少なからず、軍とは関わりがある。


「その爆撃の跡の調査をしていた時に、被害を受けた建物の中から、あなたが出てきたのだ、と彼らは言われました。爆撃の翌日のことです。こう言っては何ですが、生きてるのが不思議な程だったそうです」


 どういうことだろう、と彼女は思う。


「ですので、とにかくあなたの身体を冷凍処理し、こちらへと運ばれたそうです」


 冷凍処理。まるでそれでは死体の様ではないか。


「……あたしは死んだのですか?」

「いいえ生きています。あなたはほら、そうやって生きて喋ってるではないですか」

「そうよエラ、あなた生きてるのよ!」


 しかしそういう母親の瞳は何故か濡れているではないか。


「あたしの身体は、どうなっているのですか?」


 彼女は弱々しいが、はっきりと問いかけた。

 次第にぼんやりしていた頭も、考えの焦点を結びつつあった。医師は母親と顔を見合わせ、ゆっくりうなづく。


「エラさんあなたは強い人だ、と信じています。ですから今から言うことをしっかり聞いてください」


 彼女はうなづくこともできないので、はい、と返事をした。その声がひどく乾いているのが自分でも不思議だった。


「あなたの身体は、本当に生きてるのが不思議な程、滅茶苦茶だったそうです。元の身体を修復する、という形を取るのが不可能な程」


 それは。彼女は目を見開く。予想はしている。だけど確かにあまり聞きたい話では。


「あなたは現在、生体脳を義体に移植した状態です」


 やはりそうか。彼女の中で、そんな言葉が響いた。

 その後の医師の言葉は、またぼんやりとし始めた頭の中で、上手く整理されなかった。

 冷凍保存して、ウェネイクまでの行程がどれだけだったとか、その後ちょうどいい身体の供給に手間取ったとか、そのパーツごとに取り替えるのではらちがあかないから、脳を移植したのだ、とか、未だ既製品のものから顔の整形ができていない、とか。


「あたし――― 今どんな顔をしているのですか?」


 包帯をしている、という感触はない。神経そのものは反応速度にずれがあるのせよ、働いているのだ。顔の上を覆うものは何もない。


「見ない方がいいでしょう。意識が回復しましたから、もうじき整形の方も行いますから」

「いいえ今」


 急に声を出したので、そこでつまづく。医師にうながされ、母親が自分の化粧ケースを取り出す。ぱく、と音がして開いたその中を、エラはじっとのぞき込んだ。

 見知らぬ顔が、そこにはあった。何処の誰が自分を見てるんだ。

 しかし鏡の中の女の目は、確かに自分を見据えている。これは自分の顔なのだ。

 ああ、と一言つぶやいて、彼女はのろのろ、と動く手で自分の顔を覆った。

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