聖火ヲトモセ

おこげ

第1話




 始まりは風邪のような症状からだった。


 風土病のように一定の地域で発生したそれは、感染した人々が媒介者となって無自覚に外へと運びだし、世界規模で爆発的に広がった。


 新型の殺人ウィルスとして認知されるや隔離施設に入国制限措置など、各国で様々な対策が実施された。


 しかし危機感というのは国ごとに曖昧で、水際対策と説明しながらも経済的損失を天秤に掛けたが為にウィルスの国内侵入を許す国は少なくなかった。

 またこの緊急事態を好機とみて政治的道具として利用した国も目立ち、その際規制した国外への情報発信が国家間の連携機能を脆弱化させ、ウィルスの蔓延を幇助ほうじょする原因となった。


 結果、世界人口の九割がウィルスに蝕まれることになり、治療法も見つからないまま、高齢者に乳児にと体力や免疫力の低い者から順に死体は積まれていった。




 





 ずんちゃ♪ずんちゃ♪



 大海に囲まれたその島国は連日、大変な賑わいを見せていた。


 子どもから老人まで。性別人種問わずして、大勢の人々が所狭しと街を行き交い、たくさんの色彩を放っている。


 ある者は仮装をし、ある者は菓子をばらまく。プラカードをかざしたり大道芸を繰り広げたり、なかには音楽隊の行進まで。鮮やかな花や奇妙なオブジェで飾り付けられた街中をみんな歌って踊って酔って騒いで、まるでお祭り状態。


 高々と聳え立つビル群の外壁では「東京2020」「人の和 スポーツの輪」「がんばれニッポン!」などの文字が液晶ディスプレイから流れている。


 来たるオリンピックを前に、誰もが笑顔に包まれていた。



 けれどもそんな浮き立つ街のなかに一人、どうにも場違いな人物がいた。



 女の子である。

 せいぜい十二、三歳ほどの黒髪の小さな子どもだ。


 だが少女の顔にはあどけなさといった年相応の幼さは見られない。笑いもしないし怒りもしない、涙だって流しそうにない。ずっと同じ、変化の乏しい無表情のまま、陽気でひしめく大通りを縫うようにして歩いている。


 身に着ける衣装も独特で、東南アジアの民族衣装を思わせるようなカラフルなものだ。広袖で膝下まで丈のあるそれは、美しい模様が緻密に刺繍されている。

 胸元には首飾りの先端に取り付けられた親指ほどの小瓶がぶら下がっている。瓶の中では宙を浮く不思議な灯火が厳かに燃えている。


 絵本のなかに迷い込んだ珍客といった不自然さ。



 でもそれは少女に限ったことなのだろうか。


 不自然といえば、周りの人達もどこか奇妙さを感じる。



 これだけどんちゃん騒いでいながらも、街は祝賀の気配のみで溢れ返っている。普通ならケンカや口論といった、いざこざが起きそうなものだ。しかし実際は暗い気持ちなど一瞬で吹き飛ばしてしまうほどに街全体が嬉々としている。

 なんだか笑顔以外の表情を忘れてしまったみたいで、些細な揉め事すらも介入できそうにない。


 その上、アリの隊列を思わせるほどの人口密度だというのに、誰一人としてぶつかる者がいないのだ。酒を手に肩を抱き合うといった光景はあれど、不注意による接触なんてものはどこにもない。


 正しすぎるからこそ抱く違和感。


 それは予め決められた条件に従って行動しているかのようで。


 作り物めいた平和、そんな気さえしてしまう。



 そんな一抹の不安を残しつつ。


 少女はある住宅通りで立ち止まった。

 首飾りの紐を握りしめ、彼女は遠眼から一軒の住宅を眺める。


 その家の庭先には二人の男女がいた。おそらくそこに暮らす夫婦だろう。三十代くらいで他の住民同様、彼らもまた不気味なほどに破顔しながら賑わう通りを見ていた。


 少女がわずかに眼を細める。

 無表情の彼女が見せた、初めての変化。



 「パパ……ママ……」


 消え入りそうな声で呟いた。


 それはほんのちょっぴり寂しそうで。



 「――っ!?」


 突如、彼女は眼を見開いた。


 うっかり声を漏らしたからだ。

 


 少女が苛立たしげに唇を噛む。




 そして訪れた明らかな異変。



 今の今まで街を包み込んでいた喧騒が、忽然こつぜんと消えていた。

 幸福な夢から覚めてしまったかのように、少女の背中には重く冷たい気配が漂っている。


 頬に汗が伝う。

 自然と全身に力が入る。


 ゆっくりとまばたきをして。

 少女は振り返った。




 全員が彼女を見つめていた。



 感情を失ったような顔を向けて、落っことしそうなまでに大きく見開いた無数の眼球が自分を捕らえている。


 それは精巧に作られた、人形のようで。


 生きてはいる。だが生気というか人間味というか、あるべきはずのものが欠け落ちた、そんな寒気のする視線だった。



 少女が一歩身を引く。


 その瞬間、真正面にいた男の頭が動いた。


 そう、頭だけ。

 まるで祭り屋台で眼にする水風船のように右に左に、果ては絶対に向いてはならない方向へと跳ねるように動き続ける。



 もはや人ではない何かだった。



 の動きに呼応するように、周りも次々と伝染していく。カタカタという乾いた音が街中に響き渡る。

 その不気味な音色は、忍び寄る破滅を謳い扇動する狂想曲カプリッチョのように……。



 動きが止まった。全員が唐突に、音もピタリとやむ。


 街に広がる“無”。


 少女の息を呑む音だけが街の鼓動を静かに告げた。




 ぴくり。


 の身体が小さく跳ねた。


 そして。



 バキボキバギバリ。


 粉砕機で樹木を噛み砕くようなけたたましい音を立てて、背中から何かが突き出てきた!


 巨大な、昆虫の脚のような――。


 首ほどの太さの不気味なものだった。長さは三メートルを優に超えている。先端は鋭利に尖り、おまけに節のようなものまで。

 同様の現象が周囲にも広がる。

 胸、腹、肘――大小様々な脚がそこかしこから身体の体積を超えて姿を現す。


 だが何よりも悍ましく感じるのは、形状そのものにあった。赤黒く、無数の繊維を束ねた筋肉のような塊。それが心臓みたくドクドクと鼓動を打ちながら宙空をうねっている。支えきれずに地面に突っ伏した身体などお構いなしだった。




 世界中を死の淵へと追いやったのは、地底文明の繁栄を担ってきたナノマシンだった。


 古来より地底には地上とは異なる人種が存在していた。彼らは独自の文明を築き、そして科学を発展させてきた。それは常に地上の技術力の千歩先を進み続け、故に悪用されるのを恐れた彼らはクフ王の死後、外界との交流を断ち、地底や洞窟の奥地でひっそりと暮らしていた。


 だがそんな関係をコウモリたちが大きく変えてしまった。



 本来の蟲は知能の向上や老化の遅延など、宿主の補佐的な役割を担っていた。


 しかしそれは蟲の寄生性に適応した地底の民だからこそ。

 超科学のBHMD合成生物医療機器に耐性を持たない虚弱な地上人に対して、それは毒でしかなかった。


 蟲に侵された人々は頭痛や高熱、五感の機能障害などの自覚症状が現れ、やがて数日間の仮死状態に至った。その間、蟲により情報を書き換えられた遺伝子細胞は異常分裂を続け、覚醒した時には既に完全な支配下にあった。



 それを免れることができたのは地底人を先祖に持ち、その血を色濃く継いだ一割にも満たない人類だけ。



 以来、地上に蔓延る蟲は宿主が強く抱いていた感情を増幅させ、それに伴う一定の行動を繰り返させている。


 夢と希望に溢れた、輝く未来――。


 そう、世界は2020年を繰り返しているのだ。

 あの頃と変わらない想いを胸に、オリンピックを待ちわびている。


 来るはずのないその日を延々に。




 ふいに巨脚が前方に枝垂れた。そしてタワークレーンのように上へ上へとり上がっていく。厳かに天高くそそり立ち、メシメシと節を鳴らしながらさらに反り返る。街を猛暑で覆う燦然とした西日が熱を帯びたアスファルトに長い影を落とす。



 風を切る音に乗じて脚が振り下ろされた!

 獲物を穿つ槍のように、先端が少女に向かってくる。



 素早く少女が後方に下がる。


 直後に巨脚が地面に突き刺さった。地鳴りと共に足許を揺るがし、放射状にヒビが入る。


 休む間もなく攻撃は続く。抜け殻のように横たわっていた身体から何本もの脚が飛び出し少女に襲い掛かってきた。


 腰を落とし横に逸れる。回避した脚は頭上を、そして脇を通り抜けて背後に瓦礫を築いていく。

 うちの一本が少女の頬を掠めたが、瞬く間にその傷は塞がってしまう。


 驚異的な治癒能力だ。


 少女が地を蹴り走った。

 子どもとは思えない力強さと俊敏さで、絶えず自分を狙う攻撃に正面から対峙していく。


 人の形をしたが少女に駆けてくる。歩幅の狂ったぎこちない動きで接近するや、不揃いな脚の数々が彼女を狙う――。


 少女が衣服の内側から小型のナイフを取り出した。抜き身のままのそれで彼女は躊躇いなく迫り来る脚を切り裂く。切断面から黒ずんだ粘液が勢いよく噴き出し、少女の髪や身体をべとべとに汚す。


 宙空を走る刀身を陽の光で鈍く輝かせ、少女は前方にいたを蹴りつけると土台にして跳躍した。


 街灯に、そして近くの屋根に飛び移り、少女は路地を見下ろした。

 あの夫婦も他の住人同様に身の毛もよだつ姿に成り果てていた。蠢く脚が眼窩を貫き、地に根を生やしている。


 「ばいばい」


 それだけを告げ、少女はその場を去った。

 屋根から屋根へと進んでいく彼女の目指す先は炬火台。


 この終わらない地獄を止めるには、暴走した蟲たちの活動を停止させるしかない。

 その為の破壊プログラムを物質化させたのが少女が持つ灯火なのだ。それは種火となって炬火台に聖なる炎を焚き上げ、跋扈する蟲たちの回路を完全に焼き切る。


 だがそれは同時に宿主の死でもある。


 そして少女自身も。


 それでも彼女は願う。家族を、みんなを、永遠の苦しみから救ってあげたいと。

 夢も希望もありはしない。残るのは役立たずの灰色の未来だけ。


 無表情で駆けていく彼女の頬に不意にきらりとしたものが流れ、後方へと消えていった。

 果たしてそれは汗だったのか、それとも……。





 …………。



 は少女がいなくなった場所をじっと眺め……。



 やがて。



 ずんちゃ♪ずんちゃ♪



 街は再び陽気な気配に包まれていた。


 何もかもが平和で、異形の姿をしたはもうどこにもいなかった。

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