その二十三 昼食

「お疲れ様でした」

「こちらこそありがとうね」

 午前11時30分。講師の先生が和室を去っていくのを利用者と一緒に見送る。書き上がった作品は墨が乾き次第廊下に掲示されることになっている。

 こういった作品は上手とか下手ではないのだな、なんて分かったようなことを思いながら支援室へと戻る。

「お、おかえりー」

 椎名さんはコップを洗い終わったところのようで手を拭いている。

「戻りました。なんかありました?」

 スリープ状態だったPCを起動し直し、援助記録を入力する。

「んにゃ。こっちは特になんも」

「でしたら良かったです」

 書道クラブに参加した人の記録を入力して、っと…。

「よーし。んじゃ私桐須君が入力;してる間にトイレ誘導しとくから。終わったら放送よろしくねー」

  俺の返事も待たず、椎名さんは支援員室を出て―――すぐに戻って来た。

「おかえりなさい」

「うん。予備の紙パンツ持ってくの忘れてたわ」


 幸い予備の紙パンツの出番はなかったようで、PCに入力を終える頃には椎名さんもトイレ誘導を終えて戻ってきていた。

「時間的にもぴったりっしょ。放送任せたよん」

 そう言って椎名さんはまた支援員室を出て行った。

 昼食時の移動の際、辻井さんのような車椅子の利用者への対応や現場―――この場合は食堂だが。そこまでの移動の見守りを行うようにしている。つまりそこで人員を一人割くということだ。

 支援員室に残された俺はクラブの時と同じように館内の放送システムを立ち上げる。

 時間を察した利用者は今か今かと、既に食堂へ向かう廊下で待機している。

『えー、お昼の時間になりました。利用者の皆さんは食堂へお越しください。繰り返し連絡します―――』

 その言葉を合図に、ぞろぞろと集団が動き出す。

 放送のスイッチを切った俺は支援員室の電子ロックを掛けて、食堂へ向かう。


 食堂へ着くと椎名さんと看護師さんが利用者に薬―――この場合はワクチンプログラムの入った使い捨て記憶媒体なのだが―——。それを与えていた。

 一応俺達支援員は薬剤師ではないので薬を直接与える、というのは法律上禁止されている。なので自分で飲める人へ薬を渡す、というのが支援員のお仕事。自分で飲むのはちょっと怪しいかな、という人へ直接ワクチンプログラムを与えるのが看護師の仕事、というようになっている。

「お待たせしました」

「ほいほい。じゃ、後よろしくねー」

「ういっす」

 早番である椎名さんはここで休憩。昼食の時間は俺と看護師さんの二人になる。

「んー……と」

 ワクチンプログラム《くすり》の記憶媒体が乗せられたワゴンカートから利用者の名前を確認する。

 AR眼鏡でそれらをスキャンして支援員おれたちが渡す利用者を探し、一つを手に取る。そうしたら食堂を見渡しどこにいるのかを検索サーチする。

 食事の時間は12:00~12:30までと短く、食べ終わった利用者は次々と席を立ってしまうのでそういう人から先にワクチンプログラム《くすり》をあげなくてはならない。

「はい、遠藤さん。昼食後のお薬です」

 ワクチンプログラム《くすり》の入った記憶媒体を渡す。

「……ん」

 短くそう返すと遠藤さんはそれを受け取り、カバーで覆われた接続端子コネクタを露出させる。

 そこに記憶媒体を差し込むのを確認すると俺は席を離れ次の人へとワクチンプログラム《くすり》を与えていく。

 

「ふぃ~……」

 ワゴンの中が空になったことを確認した俺は息を吐く。

 記憶媒体に書かれた名前とワクチンプログラム《くすり》を貰う側の名前が合っているのかを確認しながらの利用者分……二人でやっても何十回とやるのは中々骨が折れる。

「ご苦労様です」

 看護師の薬師寺さんが労いの言葉をくれる。

「あ、いえ。お疲れ様です」

 看護師でさんは俺と同じくらいの若い女性型機械生命体アンドロイドだ。

「結構緊張しますよね」

「看護師さんでもするんですか?」

 なんとなく意外だった。

「それはしますよもうー」

 ちょっと拗ねたような言い方だった。

「いつも間違ったらどうしよー、とか嫌がったりしないかなー、とか。いつも考えちゃいません?」

「あはは……確かに」

「だから……あっ」

 そこで薬師寺さんが何かに気付く。

 視線の先を追うと辻井さんが食事の手を止めぼうっとしているようだった。

「ちょっと行ってきます」

「お願いします」

 薬師寺さんにそう言って俺は辻井さんのところへ向かう。

「辻井さん?」

「はい?」

 俺が声を掛けると辻井さんはいつものように穏やかに答える。

「ご飯、食べないんですか?」

 そう言って食事を手で示す。

「あぁ。そうだったね。ありがとね」

 そう言って辻井さんはまたゆっくりと食事を再開しては止め、俺が声掛けをしてはまた再開し、というようなことを繰り返し七割ほど食べ終わったところで。

「お腹いっぱいになっちゃった。ごちそうさま」

 両手を合わせて辻井さんはお辞儀をする。

「はい。じゃあもう少しだけ待っててもらっていいですか?」

 既に殆どの人が食堂から居なくなっていたが、職員が立ち去るのは全員食堂から居なくなってからというのが決まりになっている。

「ごめんなさい、先に私。これ片付けて来ていいですか?」

 看護師さんがワゴンカートを指して言う。

「あぁ。大丈夫ですよ。こっちももうすぐ行くんで」

「そうですか。じゃあお先に」

 そう言って頭を下げて看護師さんはワゴンカートを押して食堂を去っていく。

 それから5分ほど経っただろうか。食堂に残っているのが辻井さんだけになったことを確認すると、俺は彼女の元へと歩み寄る。

「お待たせしました。じゃあ行きましょうか」

「うん」

 食堂の施錠を行い、車椅子を押してデイルームへ戻った。


 

  

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