第10話

 7日目の夜――俺のスライムベッドには有栖川アリス先輩が寝ている。


 あの後、俺は一か八か有栖川先輩に回復魔法を実行してみた。それしか助ける方法がないと思ったのだ。


 結果から云うと回復魔法は発動し、有栖川先輩の傷口があっという間に治ってしまった。念のため解毒魔法『ポイゾーナ』も使っておいた。


 しかし、回復魔法は傷を癒せても体力や精神疲労までは癒せない……と言うことをなぜ自分が知っているのか。有栖川先輩を背負って、学校の屋上にある自宅へ帰ってくるまでの間ずっと考えていた。


 帰宅して先輩をスライムベッドへ寝かせた後も、俺はソファに腰かけて考える。


「知るはずのないことなのに……まるで以前から知っているような感覚になるのは……なぜだ?」


 どれほど考えてみたところでわからない。

 なぜ自分が魔力のことをミストラルなどと変わった表現をしたかについても……。


 そもそも魔力ってなんだよ。


 いや、それがステータスに表示されているMPに関係しているということはわかる。ゲームなどでは当たり前に使われる言葉なのだから……。


 頭の中に流れてきた映像と声……これについてもさっぱりわからない。

 ただ、幼い頃から見ていた夢の中の俺と、先程の映像の中の俺(?)が同一人物だった気がする。


 いや……そもそも前提がおかいしい。

 俺はなぜ夢の中の彼が俺自身だと思い込んでいるのだろうか。それは幼い頃から繰り返し見ていたことにより、単に俺がそう思い込んでいただけのこと。


 第一、夢の中の彼は有栖川先輩のような金髪であり、実際の俺は違う。


「染めたことなんて……一度もないよな」


 俺は指先で毛先を摘まんで唇を『へ』の字に曲げた。


「全然違うじゃないか……サラサラストレートでもないし、どちらかと言えば癖毛だよな?」


 結局、俺は考えることを放棄した。

 考えるだけ時間の無駄であり、何より思考するという行為はまったく以て無意味なカロリー消費へと繋がる。


 無駄な努力はしない。

 省エネ第一主義。

 それが俺という人間。


 それなのに……今日の俺はどうかしていた。

 みんなが危険に遭遇しないようにダンジョン内を調べ、一人躍起になって未然に防ごうと努力する。


「ハァ……お前は誰だよ。何やってんだか……」


 学校がダンジョン内に転移してから一週間。冷静であろうと努めてきたつもりだが、その考え方自体、俺という人間から逸脱していた。


 きっと俺もみんなと同様混乱していたのだろう。知らず知らずのうちに精神崩壊を迎えてしまった俺の心は妄想を生み出し、聴こえるはずのない幻聴が聴こえてくる。


「……寝よ」


 精神回復に最も有効的な手段は睡眠を取ることだ。

 俺は毛布に包まり、ソファで眠りについた。



 8日目の朝――目覚めた俺はベッドで眠りにつく有栖川先輩の容態を確認する。

 死んだように眠っている。


「死んでたりしないよな……」


 そう思ったが、一応呼吸はしている。

 熱などの症状がないか確認したかったが、女性の肌に触れるという行為に躊躇いを覚え、出しかけた手を引っ込めた。


「雫に……頼んでみるか」


 部屋を出た俺は庭(屋上)から校内へ入り、三階に位置する2年2組の教室へと向かうため移動を開始する。

 階段を下りていると……何処から途もなく金切り声が響いてくる。


「何の騒ぎだ?」


 俺は四階の廊下に出て声の方へ体を向けた。一先ず2年2組の教室へ向かうことをやめ、声の方へ向かって歩く。


「生徒会室……か」


 どうやらヒステリックな声は生徒会室内から漏れてきているようだ。


『わたくしは生徒会長ですのよ!』

『会長……既に学級は崩壊しております。この状況でご自身が生徒会長だと自己主張することに何ら意味はありません』

『なっ!? あなた副会長という立場でありながら……わたくしに意見するつもりですのっ!』

『既にっ! 生徒会メンバーは皆私の意見に同意しております』

『それは貴方がっ!』

『副会長が……正しい、と……思われま……す』

『……くっ』

『お分かりですかな、会長。これが彼らの本心であります』


 生徒会室からは聞き覚えのある気品に満ちた声が鳴り響いてくる。俺は関わると碌なことにならないと思い、慌てて踵を返したのだが……一歩遅かった。


「もういいですわっ!」


 と、怒鳴り声をあげながら生徒会室を飛び出してきた伊集院琴葉先輩と、目が合ってしまったのだ。


「ヤバッ!」


 鬼の形相できっと眦を吊り上げた伊集院先輩に背を向け、俺は足早にその場を後にしようとしたのだが、ホイッスルのような甲高い声が背中越しに突き刺さる。


「お待ちなさいっ!」

「……な、なんでしょうか?」

「立ち聞きするなんて最低の行為ですわ!」


 憤慨する伊集院先輩が勢よく間合いを詰めてくる。そのまま目前でまで歩み寄ると、グッと顔を近づけて『謝罪なさい』と睨みつけられる。

 声に出さずとも目がそう言っている。


「すみません……」

「貴方は……なるほど、そういうことですのね」

「え……」


 伊集院先輩はまじまじと俺の相貌を見やり、納得したようにコクリと頷いた。


「いいですわ。貴方をわたくしの従者に任命して差し上げますわ」

「は……?」


 従者? 何言ってんだこの人。


「貴方のことは噂程度ですが聞いていましたわ。確か……無職のニート君……でしたかしら?」

「モザイクですよっ!」

「ああ、そうでしたわね」


 何がニート君だよっ。これ以上変なあだ名を増やさないでもらいたい。


「貴方……行く宛も頼る先もなく、生徒会長たるわたくしに救いを求めて来たのですわね。わたくしは哀れな子羊を見捨てたり致しませんわ。寛大なわたくしに感謝なさい」

「……」


 何か酷い勘違いをしているな。それに上から目線が若干腹立たしい。


「……結構です。俺、急いでますので」


 頭を下げて丁重にお断りし、背中を向けて歩き出すと……制服が引っ張られる。


「あっ、貴方失礼ですわよ! このわたくしが……伊集院琴葉が善意で手を差し伸べてあげているというのに……断るとはどういった了見ですのっ!」


 非常に面倒臭い上に、俺の第六感……野生の勘が絶対に関わるなと警鐘を鳴らしている。


「え……と、生徒会室の前にはたまたま通りかかっただけで、その……そう! 友人が寝込んでいるのですぐに戻らなきゃいけないんですよ。そういうことで」

「あら、でしたらわたくしが看病して差し上げますわ。無頓着な男性の貴方より、わたくしの方が気配りができ、その方も大層有り難がりますわね」


 無頓着って……どっちが失礼なんだよ。

 しかも逃がさないとずっと制服の裾を掴んでいるし……。


「とりあえず貴方の拠点へ行きますわよ」


 人の話を一切聞こうともしない伊集院先輩が歩き出す。早く案内なさいと押し掛ける気満々だ。


 こうなってしまっては、反論は却ってカロリー消費……悪手になってしまう。

 俺は笹舟――流れに逆らわずに身を委ねよう。


 大丈夫、どうせすぐに生徒会室に戻るさ。


「……この上は屋上ですわよ?」


 階段を下りようとした伊集院先輩に「そっちじゃないですよ」と一声かけ、上へ続く階段を指差した。

 すると伊集院先輩は怪訝に小首を傾げる。


「校内はどこも埋まっていたので、屋上に住んでるんですよ」

「……そうですの」


 明らかに肩を竦めて落胆の色を滲ませた。

 伊集院先輩は生徒会室を追い出され、行く宛がないからとりあえず……と思っていたのだろう。それがまさか屋上だと聞かされて、失敗したと思ったのだろうな。


 しかし、階段を上っているだけだというのに、姿勢や動作から気品のようなものが滲み出ている。試しに頭頂部に書物を積み重ねてみても、きっと落ちないと思われるほどだ。


 代々政治家家系……俺のような一般人とは住む世界が違うのだろう。


 屋上へ続く扉の前で立ち止まってしまった伊集院先輩が動かない。

 何やってんだろ……早く行ってくれないかな?


 1分程後ろで待機していると、凄い剣幕でこちらへ振り返る伊集院先輩。

 何か言いたそうな相好だ。


「あの……どうかしましたか?」

「貴方ねぇ! わたくしがこうして立っているのだからわかるでしょ!」

「はぃ? 何がですか?」

「貴方が扉を開けるのよっ――! レディーファーストッ! そんな当たり前のことすら出来ないとはどういうことですのっ。幼稚園児からやり直したい方がよろしくてよ!」

「………」


 ……知らないよ。

 というか扉くらい自分で開けられるだろ。本当に面倒臭い人だな。


「じゃあ……開けさせて頂きますね」

「やれば出来ることを怠るのは怠惰ですわよ。これからはわたくしがニート君をバシバシ教育して差し上げますわ」


 それでいいと頷いた伊集院先輩が、完全に俺をニート君と認識している。モザイクと呼ばれるのも嫌だが……ニート君は具体的過ぎてもっと嫌だ。


「ななななっ、なんですのこれはっ!?」


 改造してしまった屋上に目を見張る伊集院先輩が、サッと俺を見る。


「貴方学校を改造するのは校則違反ですわよ……と、本来なら退学もあり得ることですが、緊急時なので目を瞑ることに致しますわ。寛大なわたくしに感謝なさい」

「……そりゃどうも」

「それにしても……貴方建設現場でアルバイトの経験があったのですわね。お見事ですわ! これならわたくしが住むに相応しいですわね。褒めて差し上げますわ」


 いちいち上から目線で話さないと気が済まないのか? 遠目から見ていた分には凛々しくてかっこ良かったけど……実際に話すと随分印象が変わるな。


「ちょっ、ちょっと!? 露天風呂までありますの!?」

「ああ、まだ一度も使ってませんが……」

「はっ、入れますの!? み、水は……お湯はどうしていますの!?」


 食い気味に尋ねて来る伊集院先輩。


「一応水は張ってますけど……」

「でも……外は気が引けますわね」

「一応家の中にも浴室はありますよ? 石釜ですけど……」

「ほほっ、本当ですのっ!? というか……貴方一人だけ反則ですわよ! これでは一人だけリゾートですわよ! と、本来なら処罰もあり得ますが……コホン、許して差し上げますわ。貴方を種植高校建築大臣に任命して差し上げます」


 任命していらないし、全然嬉しくもない。


「とりあえず中に入りましょうか?」

「そうですわね」


 家の中に入ると伊集院先輩は室内を見渡し、満足そうに頷いた。スライムベッドで眠る有栖川先輩を一瞥し、興味がないのか無視した。


「……何処ですの?」

「ん……病人ならそこで寝てるじゃないですか?」

「そんなこと見れば分かりますわよ! わたくしが言ってるのは、浴室は何処かということですわ!」

「ああ、それなら奥の部屋ですが……」

「借りますわ!」

「あっ……!」


 慌てて奥の部屋へ駆け込んで行く伊集院先輩……。


「まだ……沸かしてないんだけどな」


 案の定、数分後には「冷たいっ!?」と悲鳴のような声が浴室から響いてくる。それと同時に怒り狂った伊集院先輩が部屋へ飛び出して来た。


「ちょっと、話が違いますわよ! 水じゃないのっ!」


 慌てて衣服を身に纏ったのだろう。制服の裾がスカートから飛び出し、第三ボタンまで外されたシャツからは肌着が顔を覗かせていた。


「まだ沸かしてないので」

「すぐに沸かしなさいっ!」

「………はい」




 もはや召使いのような扱いの俺は、とりあえず伊集院先輩がお風呂から上がるまでの一時、ソファで寛ぎ英気を養うことにした。


「無駄に疲れたな……」

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