第9話

 なぜか少しだけ気分のいい俺は、食料調達の次いでに東側のルートも少し調べることにした。


 これまでに南と西……二つのルートを探索して判明したことは、進むルートによって出現するモンスターが異なるかもしれないということだ。


 南側のルートにはゴブリンと二種のスライム。もっと奥へ進めば別のモンスターもいるかも知れないが、確認できたのはこの三種のみ。

 西側はそれにプラスして犬型のモンスターコボルトが確認できた。


 非力で体格の小さいゴブリンとは違い、コボルトは素早い上に膂力も幾分かゴブリンより上だ。


 この事から南側よりも西側の方が危険度が増していることが分かる。

 仮に白川から教えられた情報――先生たちが西の通路を進んでいたら最悪もあり得る。


 しかし、悲観的になるには時期早々だと思う。


 理由はわからないが、俺でも倒せる程度のモンスターなのだから、ラオウとまで恐れられる飯塚先生が付いていれば生存している可能性は高いと予想する。


 ひょっとしたら今頃外へ出て救助を呼んでいる可能性も……いや、やめよう。楽観的な思考で現実逃避することに何の意味もない。


 希望を抱いた大きさだけ、絶望は膨れ上がって襲いかかる。悲観的になり過ぎるのも良くないが、今は先生たちの無事を祈るしかない。


 東側通路の入口こそ、南側と西側双方と違いはなかったが、30分程進むと如実に違いが現れる。


 まず一つが岩肌から発せられる光の色だ。

 これまで学校が位置する地点――仮に中央と名付けよう。二つのルートと中央は青白い光に包まれていたのだが、東側は違う。


 これ以上進むな危険と言わんばかりの目が眩むほどの赤が、周囲を照らし出している。


 そしてもう一点。岩壁には車のタイヤ程の大きさの穴が所々に空いていた。匍匐前進すれば中を進めると思われるが……危険すぎると判断した。


 というのも、穴の入口には樹液のようなものが付着しているのだ。


「一体なんだこれは? ……スキル鑑定!」


 試しにそれを鑑定してみた結果、それは『イーター』と呼ばれる花の蜜だということが判明する。


「ダンジョン内に花が咲いてるのか?」


 いや、ダンジョン内とはいえ植物が生えていることは知っている。フルフル草にリントウなど、俺も幾つか採取していた。


 しかし、問題はそこじゃない。

 なぜ穴の縁に『イーター』なる植物の蜜が付着しているのか……重要なのはここだと思う。


 周囲を見渡しても、それらしき樹木も花も見当たらない。

 考えられる可能性は……。


「何者かが花の蜜を採取し……穴の向こうへ運んだ」


 そう考えるのが妥当なところだろう。

 南側にも西側にもこのような歪な穴は確認できなかった。


「……やはりゴブリンやスライム、それにコボルト以外のモンスターだと考えるべきか」


 これは本格的に調査しなければならないな。


 この穴を発見したのは東側通路を歩き初めて30分程経った辺り、仮に1分間で80mを移動したとして2400m――約2.4km地点にこの穴があったと仮定する。


 さらに穴に生息していると思われるモンスターは蜜を集めている可能性が濃厚だ。


 この二つの事実を組み合わせると、東側の先には蜜が入手可能な樹木……あるいは花が存在するはず。


 それを知った生徒……例えば陸上部の生徒が蜜を入手しようと試みて、そのモンスターと遭遇して逃げ帰ったなら……数分でモンスターが中央まで這い出てくる危険性がある。


 そうなると被害は甚大だ。

 それに注目すべき点は穴の数。


 穴はモンスターの巣穴だという可能性が濃厚なのだが、一つの穴に対して一匹だけなのか……はたまた数匹いるのかによって、危険度は大幅に変わる。



「考えていても仕方ないな……とりあえず先を調べるか」


 ここからは前後に細心の注意払いながら進むとする。


 あれから20分程進んだ先で、俺は奇妙な……聞き覚えのある物音に足を止めていた。


「何の音だ?」


 耳を澄ませば聞こえてくるのは……羽の音?


「虫か!」


 これは羽を持つ虫が鳴らす羽音に違いない。

 しかし……かなり大きくないか? それに打音のような……何かを叩きつける音も同時に響いてくる。


 俺は出来るかわからなかったが、一堂寧々が有するスキル……『洞察眼発動!』と心で念じてみる。


 すると、ダンジョンの先が見える!?


 開けた場所にはチューリップに似た真っ赤な花が咲き誇り。その上空をサッカーボール程の大きさの蜂のような生き物が縦横無尽に飛び交っていた。


「っ!? あれは!」


 俺は飛び交う虫の大群の中に人影を発見した。

 天から降り注ぐ陽光を束ねたような絹糸の髪に、少し丈の長いスカートを翻しながら木刀を振り回す……有栖川アリス先輩をっ!!


「何やってんだよっ!」


 俺は堪らず遥か前方で戦う有栖川先輩に、届くはずのない声を震わせていた。


「まずいっ!」


 有栖川先輩は全身から血を流しており、長時間氷水にでも浸かっていたかのように顔色が真っ青なのだ。


『ぐぅぁっ……』

「有栖川先輩っ!」


 有栖川先輩が吐血した。攻撃を耐え忍んでいたように見えたのだが、木刀を握りしめながら血を吐き出している。それでも先輩は気合いだけで踏み止まり、虚ろまなこで巨大蜂から目を逸らさない。


「なんて人だ……」


 常人なら意識が吹き飛んでいてもおかしくない程の怪我。それにあの顔色の悪さ……相手が蜂に酷似していることから毒による攻撃を受けた可能性が高い。


「できれば無駄なカロリー消費は避けたいんだけどな」


 ……ってのが本音だけど、さすがに見過ごす訳にはいかない。何よりこれで死なれたら目覚めが悪い。また余計な罪悪感を抱えることにも繋がるし……ああ、考えるだけ無駄なカロリー消費だ!


「ったく……仕方ないなっ」


 恐怖はなかった。

 ただ、考えるよりも先に身体が動いていた。


「俺がすべての者を助ける! それが俺の使命なのだからっ!」


 ダンジョン内を一気に駆け抜けながら、剣を抜き取り尚駆ける。


「遅いっ! 強化魔法アクセル!」


 俺は一体……さっきから何を言ってるんだ?

 それに全身が蛍のように発光すると、あり得ないくらいに速度が増した。


 刹那――頭の中に走馬灯のような光景が飛び込んでくる。



『やはり※※※※様は凄いです!』

『我々オフィーリア騎士団が束になってもこの有り様です』

『さすがは賢者ゴーゲン様の孫にして剣姫様のご子息!』

『恐れ入ったでございます』


 なんだ……これ?


 宮廷の庭先のようなところで金髪の少年……俺(?)が誇らしげに笑って剣を肩に担いでいる。周囲には鉄の鎧に身を包んだ男女数人が俺に憧憬の眼差しを向け、楽しげに談笑していた。


「うっ!?」


 一瞬、記憶力や想像力にひらめきを司る右脳に針が刺さったような痛みを覚える。片目を閉ざすと謎の光景が消えていく。


 映画館へ赴き、席について映画を観ていたら突然、モニターが遥か彼方へ遠ざかっていく……そんな感覚だ。


 しかし、今はそんなことどうでもいい。

 有栖川先輩を助けることが最優先される問題だ。


 俺は通路から開けた場所へ飛び出ると、勢いを殺すことなく地面を繰り上げ跳躍する。そのまま膝を突いた先輩の真上からブロンドソードを振り下ろし、巨大蜂を一刀両断。


「大丈夫ですかっ!」

「き、きさま……は……」

「今は喋らないでください。すぐ助けますからっ!」

「むりだ……にげ、ろ」

「逃げませんよ。あなたを助けるために来たんです!」

「!?」


 俺は襲い来る無数の巨大蜂を斬って斬って斬りまくるが……。


「くそっ、数が多い!」


 ――その時だった。


『そういう時はな、魔法を駆使するんじゃよ』

『お父さんっ! 余計なこと教えないでよ! そういう時は剣技を使うのよ』


 誰だ……? 頭の中で誰かの声がする。


『どっちの方が効率がいいんだ?』

『魔法じゃな!』『剣よっ!』

『お前は黙っとれ! この子は儂の後を継いで賢者になるのじゃ』

『お父さんこそ子育てに口出ししないでよっ。この子は立派な剣聖になるんだからっ!』



 凄まじい怒気を含みながら言い争いを始める二つの声が、遠ざかっていく。

 その声はどこか懐かしくて……思わず笑ってしまった。


 そして、同時に頭の中に文字が浮かぶ。


絶対零度スノープリズン

風覇空波斬ふうはくうはざん


 ほとんど無意識だったと思う。

 俺は左手を前方にかざし、魔方陣を展開すると、「絶対零度っ!」と叫び声を響かせていた。


 絶対零度は水魔法による空間結界を作り出し、使用者を中心点としてドーム状の結界を創りあげる。

 その空間に存在するすべてのモノの肉体を瞬時に凍りつかせるというもの。


 上級者になってくると定めた対象だけを凍らせることも、またその逆も可能となってくる。


 今回は有栖川先輩以外のすべてを凍りつかせる。

 さらに、範囲外にいた虫には……。


「風覇空波斬っ!!」


 大気を漂う濃い魔力――ミストラルを風圧で叩き斬ることにより、空中を漂っていた魔力ミストラルが激流と化した川の流れのように、一点に沿って流れて行く。


 普段は人体に影響を及ぼさないほど薄い魔力だが、急激に一点に集められた魔力密度は刃のように触れたものの体躯を切り裂く。


 瞬きするほどの時の中、無数の虫が地に落ちていく。同時に舞い上がった赤い花びらと、キラキラ光る氷の微粒子がダンジョンから滲み出た紅に照らされ、何とも幻想的な空間を演出する。


 というか……なんで俺はこんなことを知っているのだろう?


「有栖川先輩っ!」


 不可解な自分自身の言動よりも、今は有栖川先輩の手当てが先だ。




 ◆




 私は愚かであり、弱かった。

 校内で唯一、特異な能力を有さない――通称モザイクと呼ばれる生徒がいた。


 私は彼から洞窟の奥にゴブリンと呼ばれる魔物がいることを教えられ。さらにその得体の知れないグロテスクな生き物を食せると聞いた。


 当然、私は仲間を引き連れ食料を確保しようと躍起になる。そうしなければ直に皆飢えてしまうと思ったからだ。


 しかし、私は勘違いしていた。

 意思ある生き物を殺めることがどれほど難しいのかを……。


 私は臆してしまった。

 ……怖かったのだ。

 これまで剣道の大会で誰と対峙しても臆することのなかった私だが、生まれて初めて恐怖を覚えた。


 小さな体躯の緑色の生き物に……。


 だって仕方ないじゃないかっ。言い訳をするつもりはないが、刃物を向けられて襲われる経験などないのだ。


 当然ながら、生き物を殺めた経験など皆無。

 私たちは多くの犠牲を出しながら僅か二匹のゴブリンを討伐したが……。


 その後……スライムなる紫色の液体に攻撃され……仲間はその場で嘔吐し、吐血した。

 やむを得ず撤退した私に待ち受けていたのは、仲間たちからの痛烈な批判である。


 ゴブリンに大切な友や恋人を殺された者からは、『あんたが死ねばよかった』と言われてしまったよ。命からがら連れ帰った仲間は毒に侵され死亡した。


 しかも、教えられたゴブリンを焼いて食ってみれば……とても食えたものではなかった。

 きっと彼はモザイクと蔑まれ、この状況下に耐えきれず……精神に異常をきたしていたのだろう。



 私は少しでも罪滅ぼしになればと、一人でダンジョンを抜け出し、救助を呼ぼうと試みたが……このざまだ。


 花畑にたどり着いたと思ったら、突然無数の巨大な蜂に襲われた。

 私は死を悟った。

 当然の報いだ。

 後悔は……ない。


 しかし死の間際、私の目の前に突然人が降ってきた。

 見覚えのある癖っ毛に、お世辞にも表情が豊かとは言えない少年……モザイクだ。


「大丈夫ですかっ!」

「き、きさま……は……」

「今は喋らないでください。すぐ助けますからっ!」


 なぜ……モザイクがここに。

 私は魔物の毒に侵され幻でも見ているのか? だとすればなぜ彼なのだ。


 モザイクはどこで入手したのか不明な刃を構えるが、ド素人にどうにか……って、あれ?

 やけに……様になっている。

 というか……一切隙がない。


 これまでに出会い、剣を交えてきたすべての者を思い出せど、比較にならないくらい……隙がない、だと?

 しかし相手は魔物……いくら隙がないとはいえ……。


「むりだ……にげ、ろ」

「逃げませんよ。あなたを助けるために来たんです!」

「!?」


 まるで幕末に生きた武士のような精悍な面構えで、彼は……私を助けると言ってくれている。


 その言葉に涙がこぼれ落ちた。

 だけど勝てない。彼だけでも逃げてほしい。

 そう思ったのだが、彼は達人……いや剣豪と呼ばれる人以上の剣捌きで魔物を次々に斬り刻んでいく。


 しかも時折笑みをこぼしていた。まるでこの状況を『血沸く』と楽しむかの如く。


 さらに謎の魔法を使い虫を凍りつかせ……。

 剣の神様……そう呼ばざる得ないほどの白刃一閃 を放ったのだ。


 私は夢でも見ていたのか……?

 私は死の間際……剣の神様と出会ってしまった。



 ああ……もっと早く出会いたかった。

 もっと早く彼と話がしてみたかった。

 ……無念。


 混濁する意識が途絶え始める。

 私は死へと旅立つのだ。


「有栖川先輩っ!」



 最後に彼の……剣の神様の腕の中で死ねるのならば……本望だと思った。

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