ハットの男

ある年の冬、とある公園のベンチに、中学生ぐらいの少女がいた。


辺りは真っ暗。街頭の明かりが、暗い夜道に寂しく灯っている。


時折白い息とともにため息をつく少女は、ベンチの上に体育座りをしながら、ただぼんやりと地面を見つめていた。


頬には、赤い手形が残っている。


──────────────────


つい30分ほど前の事。


少女は親と大喧嘩をして、家を飛び出して来た。


家を飛び出した理由は、ほんの些細な事。


門限を守らなかっただとか、部屋が片付いていないだとか、夕食の時にも携帯をいじっているだとか。


そんな事が重なっていた中、父親が少女のお気に入りのマグカップを誤って割ってしまった事で、少女のストレスは爆発。


そのまま大喧嘩となって、家を飛び出してしまった。


──────────────────


冷たい風が、少女の頬を撫でる。


少女は、これからの事など何も考えていなかった。


ただ、果てしない虚無感と、思いがけず零れてしまった暴言、そして、父親のセリフと平手打ちの感触が、ずっと、響き渡っていた。



そんな時だった。



「失礼、隣、良いですかな?」



突然、声をかけられた。


俯いていた少女が顔を上げて見てみると、そこには、黒のコートに黒のハットを被った、謎の紳士らしき男が立っていた。


その顔は、鼻や、口、目や耳と言った物が全く無く、まるでマネキンの様に、真っ白で、ツルツルとした顔をしていた。


手には、黒い杖を持っている。


「...どうぞ。」


少女は、叫び疲れて枯れた声で、細々とそう答えた。


夜の公園で黒づくめの男が少女に声を掛けてきた。


本来なら、この上ない恐怖や警戒心を抱くだろう。


しかし、少女はそんな感情を一切感じなかった。


それどころかまるで、幼いころ、両親と仲が良かった時によく感じていたような、安らかで、とても心暖まる感覚がした。


男は少女の隣に腰を落とし、少女に向かって言った。


「いやはや、今晩は冷え込みますな。お嬢さん、そんな格好では風邪をひいてしまうのではないかな?」


「.............。」


少女は、無言のままだった。


何かが気に障ったわけでも無い。


ただ、質問に答える気力が無かった。


「しかし、こんな時間に女の子一人とは...。誰か、不審者にでも行きあったら大変ですぞ。」


その男が言った発言が、冗談なのか本気なのかが分からない。


少女は前を向いたまま、ただ思った事を呟いた。


「不審者なら...もう出会ってる...。」


「ん、おっと。いや、ははは。これは気付かなかった。確かに、私の身なりもあまり気軽な物ではなかったね。」


男は、冗談めかしてそう言った。


しばらくすると今度は、少女の方から口を開いた。


「ねえ...」



「うん?」



「おじさん...私に何か用なの?用がないなら、少し一人にしておいて欲しいんだけど...。」


少女がそう言うと、男は一呼吸置いてこう言った。



「ふふふ、一人になりたい、か。確かに...。」



「親と大喧嘩をした後というのは、しばらくの間虚無に包まれていたいものだものな。」



そのセリフを聞いた時、少女の全身がビクンと跳ね上がった。


さっきまで感じていなかったはずの、恐怖や警戒心が、一気に押し寄せてきた。


「...どうして...知ってるの...!?」


男は、まるで少女の反応を想定していたように、ただじっと地面の方を見つめていた。


そして、一拍置いて口を開いた。


「知っているさ。...なんでもね。」


「一昨日右頬にニキビが出来て悩んでいる事も、机の引き出しの三段目に日記を隠している事も、その日記に、両親の悪口ばかり書かれていることも...。」


速くなっている鼓動が、さらに速くなる。


全身から汗が吹き出し、凄まじい焦りに襲われていた。


そして、男は言った。


「それに勿論...」




「君が激しい言い争いのはずみで、両親を手にかけてしまったこともね。」




その一言を聞いた時、少女の中で何かが切れた感じがした。


少女は、目から大粒の涙をボロボロと零す。


そして、嗚咽混じりにこう言った。



「覚えて...ないの...。本当に、何が何だか、分からないの...。」


「お父さんとお母さんと言い争いになって、お父さんに殴られて...。」


「気がついたら...二人が血まみれになって倒れてて...私が手に包丁を握ってて...。」


少女は、耳まで真っ赤に染めながら、涙を流し続けていた。


夜の公園でベンチに一人、ただ、延々と。


──────────────────


翌日。


とある街のとある公園で、一人の少女の遺体が発見された。


死因は、精神的ショックが原因の体力の低下による、凍死と断定された。


近所に聞き込みを行い身元を特定した所、この公園からすぐ近くの一軒家に住む、三人家族の子供である事が分かった。


そしてその後、少女の自宅で、二人の遺体が発見される。


身元が特定され、少女の両親であると断定。


現場に落ちていた包丁からは、少女の指紋が検出され、


少女の部屋からは、少女本人の日記と思われるものが発見された。


日記の内容から、犯行動機は親子間での関係悪化によるものとされる。


そして、遺体発見の前日、午前1時頃。


公園のベンチで一人、泣きながら誰かと話していた、少女の姿が目撃されていた。




しかし、少女の会話相手と思われる人物は、公園内で目撃されていない。

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