第10話 真っ暗な学校

 とうとう私のうちの朝食から、パンの姿が消えた。レトルトのご飯と味噌汁を前にして、私の元気も消えた。食欲もなかったし、電気も点らなかった。停電は、未だに復旧のめどが立っていない。食べ物があるだけでも増しよと言うお母さんに反発して、私は無理矢理、ご飯を口へ押し込んで登校した。

「おはよう、ゆりちゃん」

「おはよう、あかりちゃん。昨日も大変だったね」

 ゆりちゃんは暗い顔を、笑顔に変えて私を迎えてくれた。つらいのは私一人ではない。ゆりちゃんの笑顔は、暗い所に咲いた花だった。私は励まされるばかりで、ゆりちゃんに何も返して上げられなかった。

「いつになったら、停電直るんだろう」

 ゆりちゃんが言った。

「分からない」

 私は小さく首を振った。

「もう直らないのかな」

「えっ。そうだったら、どうしよう」

 取り留めのない会話の中にも、不安がよぎる。本当に停電が復旧しなかったら、どうなるのだろう。この町を引っ越すしかないのか。そうなると、ゆりちゃんとも離れ離れになってしまう。目頭が、じーんとしてくる。

 あの大きな屋敷の門扉には、昨日と同じ張り紙がしてあった。誰がやったか分からない。私はそれを見ると、身震いがした。それが、不吉を示す張り紙に思えたからだ。


 べろべろの犬通るべからず


 私たちは、その不吉から逃げるように登校してきた。校門には、昨日よりも多くの懐中電灯の明かりが輝いていた。先生のあいさつも、一段と強調されていた。先生たちが頑張れば頑張るほど、私たちの心は沈んでいった。つらいときに無理して、元気を出さなくてもいいのに、ただ疲れちゃうだけだよ。心の中でそう叫んだ、頭を下げて校門をくぐり抜けた。

 教室の生徒は、明らかに人数が減っていた。私はランドセルを机に置くと、たいようくんたちの所へ真っ先に向かった。ゆりちゃんも、すぐに追い付いてきた。

 たいようくんは、私とゆりちゃんを認めると、「昨日の張り紙見た?」と聞いてきた。私とゆりちゃんは、こくりとうなずいた。あまりいい気分はしなかった。

「色々聞いてみたけど。誰がやったかは、みんな知らないって。今たかしが、他のクラスの友達に聞いて回っている」

 間もなく、たかしが疲れた顔をして戻ってきた。たいようくんが尋ねる前に、たかしは首を横に振った。何も言わなくても、成果がなかったことは明らかだった。

「誰も知らないって。むしろこっちが、質問攻めにあったくらいだからね」

 たかしはくたびれたように、ふーと息をはき出すと、がっかりした表情で話を続けた。

「情報が少ないんだ。これから、どうする?」

「うーん。そうだな。分かんないことは、後回しだ!」

 たいようくんは黒い瞳をキラキラさせ、まだあきらめていなかった。さえない顔を並べた、みんなを見回した。

「それで、何か手はあるの?」

 私が尋ねた。

「この天気に、べろべろの犬が関係しているのは確かだろう」

 たかしが断言した。

「そこまでは、昨日と一緒だ」

 たいようくんも、たかしに釣られて声を高くした。

「じゃあ、どうするの?」

 私はほとんど、たいようくんとたかしに任せっきりだった。窓の景色を眺めるくらいに様子をうかがって、自分ではなかなかいい考えが思い付かない。

「その先を考えよう!」

 たいようくんが、ちょっと好奇心をくすぐるように、すぐに言葉をつなげた。

「その先って?」

 私は、何も考えずに聞き返した。

「この暗い町のなぞを考えるんだ!」

 たいようくんが、私というよりみんなに提案した。

「なぞ? そんな事、考えても分からないだろ」

 たかしが眉を下げて、たいようくんをチラリと見た。たいようくんは、たかしを見つめ返した。その瞳が、わずかに曇った。

「そうかもしれないけど。でもね。べろべろの犬がかかわっている。そこにヒントが隠れているはずなんだよ」

 たいようくんは、一度気持ちを奮い立たして、みんなに視線を向けた。粘り強いところは、誰よりも秀でていた。

「それじゃあ。べろべろの犬のうわさを、簡単に整理してみよう。その中にヒントがあるかもしれない」

 たかしもようやく元気を取り戻し、たいようくんに従った。私たちにできることから、始めようというのが、これからの方針だった。

「べろべろの犬は、停電の町に田中さんに連れられてやって来る」

 ゆりちゃんがちょっと待って、今持ってくるからと言って、席まで行ってすぐに戻ってきた。手にはノートと筆記用具を携えていた。私は、そこまで気が回らなかった。ほとんど役に立たない私の役回りだと、後になって気付いた。

「いいよ」と、ゆりちゃんは合図した。


 べろべろの犬は、停電の町に現れる。

 田中さんが連れている。

 何でも質問に答えてくれる。ただし、質問は一問一答 一人一つまで

 べろべろの犬の答えたことは、絶対に起こる。

 べろべろの犬は、闇の町に住んでいる。


「これくらいかな」

 たかしが、得意に話をまとめた。たいようくんが、すぐに思い出して発言した。

「懐中電灯を忘れている」

「懐中電灯! あっ、そうか。田中さんは、懐中電灯を持って散歩しているんだった」

 たかしが言い足した。ゆりちゃんが書き終わるのを待って、それから書き取ったばかりのノートを眺めながら、みんなで意見を出し合った。

「懐中電灯は、重要なアイテムなのかな?」

 とおるが、ゲームっぽく言った。

「重要か、どうかは分からないけど。でも、そのアイテムを使ったからって、こんな天気にはできないと思うよ」

 たかしが、とおるに答えた。とおるは、少ししょんぼりした。

「べろべろの犬は、明るい所に出てくることはないの?」

 べろべろの犬に不案内な、私は場違いな質問をしていた。

「そうだと思うよ。べろべろの犬は、闇の町に住んでいるからね。きっと明るい所が苦手なんだ」

 たかしが、私に分かるよう詳しく説明してくれた。

「じゃあ。無理矢理、私たちの世界に連れてこられたら、べろべろの犬はどうなるの?」

「べろべろの犬を、無理矢理連れてくることは不可能だよ。でも、ひょっとしたら、べろべろの犬がいると、ぼくらの世界に影響が出るのかもしれないね」

 たいようくんは首を振って否定してから、ちょっと考えて付け足した。私は黙っていられず、すぐに聞き返した。

「影響? 例えば、何」

「例えば、うーん。停電が復旧しないとか。そうか。停電が復旧しないこと考えると、天気にも少しは影響するのかもしれない」

「それで、朝が来ないの?」

「そこまでは分からないけど、実際に僕たちの町は、そうなっているんだから。それが正解かもしれないね」

 たいようくんは自信なさそうな顔で、私に答えた。でも、はっきりとした口調だった。

「じゃあ、べろべろの犬が、まだ帰れずにこの町をうろついているってこと?」

 私は、少し体が震えた。べろべろの犬を、お化けか妖怪のように思っていたからだ。

「そうだ。きっとそうだよ」

 たかしは、じっとしていられないと、うれしそうに両手を動かした。そこまで話して、ホームルームの時間を知らせて、西村先生が教室に現れた。話がこれからだというところで、尻切れトンボになってしまった。

 私は授業の合間に、先ほどのべろべろの犬の話を考えてみた。何か面白いことが始まる気分だった。しかし、その中には決して楽しいことばかりではなく、厄介な事が含まれていた。それは奇妙な天候が、べろべろの犬によって引き起こされているということだった。ちょっと信じられなかった。

 二時間目の国語の授業が始まって、まだそれほど時間が経っていないときだ。西村先生の声が響く中で、私は目をつぶってもいないのに、突然と目の前が真っ暗になった。教室が暗闇に包まれた。それは、ぼんやりした私の目を覚まさせた。そればかりか、誰もその事を予測していなかった。教室が急にざわついた。

「停電!」

 暗闇の中で、誰かが叫んだ。それに釣られて、数人が「停電だ、停電だ」と悲鳴を上げた。電灯は点っていなかったのだから、その発言は正確ではなかった。その時の状況を表すには、十分な表現だ。停電は停電でも、空の停電だった。

 すぐに黒板に向けて、一つの光の輪が現れた。それに続けと、後から後から同じ光の輪が、黒板を照らし始めた。懐中電灯の光だった。生徒の誰かが、暗闇に反応して、家から持ってきた懐中電灯のスイッチを入れたのだ。

 私も慌てて、懐中電灯を取り出した。懐中電灯は小さいのに、思ったより大きな輪ができた。しかし、輪っかは一番大きくても、明かりは一番、暗くてぼやけていた。ちょっとがっかりした。

 空の停電は、五分ほどで元の夕暮れの教室に戻った。ほっとしたが、それでも十分みんなに恐怖を与えた。

 もしこれからどんどん暗闇の時間が長くなったら、どうしよう?

 教室中の生徒は、誰もがその事を考えていた。最後には、全ての時間が暗闇に沈むことを暗示していた。

「停電だ、停電。べろべろの犬は、停電させるんだ!」

 休み時間に集まった輪の中で、たかしが一際声を張った。たいようくんも目を丸くして驚いた。

「しかも、空の停電だよ。ぶっ飛んでいるよな」

「そんなの有りなの?」

 ゆりちゃんが不安そうに、私の隣にくっ付いてきた。私もさっき起こったことが、まだ信じられない。

「有りも無しもないよ。現実に起こったんだからね。大問題だよ」

 たかしは上気して、鼻息を荒くした。ゆりちゃんは、ぼそりと悲しくつぶやいた。

「そうだけど。怖いね」

「このまま、一日中真っ暗になったら、どうしよう」

 私は心配になった。この心配は、私だけが抱いている問題ではない。みんながそう考えていることだ。たいようくんが、みんなの心配を退けるように宣言した。

「その前に、僕らが何とかしないといけない!」

 授業中に空の停電が起きたのは、その時一度だけだった。先生たちは、それがあたかも偶然だったように装っていた。これから起きるであろう最悪を認めたくないのだ。この町が闇の町になるなんて、想像したくもなかった。が、大人のウソは、子供には通じない。

 放課後、私たちの間では、べろべろの犬をどうやって見つけるかが、盛んに話し合われた。しかし、いくら話し合っても、妙案は浮かばなかった。

「闇雲に探したって見つからないよ」

 たいようくんが、その事を強調した。みんな分かっていても、他に打つ手がなかった。

「そうだけど。でも、その後のことも考えなくちゃ」

 私が言って、たかしが言葉を補足した。

「そうだな。何てべろべろの犬に質問すればいいかだろ」

「簡単じゃないか、そう質問すればいい」

 とおるが、あっけらかんと叫んだ。たいようくんは察しがいい。

「どうやったら、この町が元に戻りますかだろ」

「でも、ちょっと待って」

「何だ、あかり。急に話の腰を折るなよ!」

 とおるが怒鳴った。

「そうじゃないの、その答えは聞かなくても分かるかなって」

 私はこわごわと答えた。

「どういうことだよ!」

 とおるがあごをしゃくって、突っかかってきた。私はとおるの脅かしに、自信をなくした。でも、言うことは口に出した。

「えーと、たぶんべろべろの犬は、自分を闇の町に帰らせればいいって答えると思うよ」

「それじゃあ、また質問が増えるじゃないか」

 たかしが苦笑した。せっかくの答えも、その解決方法が分からなければ、意味がない。

「そうだけど、そうなるでしょ」

「これは一筋縄ではいきそうもないな。でも、あかりの言う通りだ」

 私はたいようくんに助けられ、ほっとした。余計なことを言ってしまった、と思っていたからだ。

 学校の帰りに歩道橋に上がって、遠くを見渡した。そこから太陽の姿は見つからない。が、日暮れが訪れようとする町の景色が一望できた。時計はまだ正午を回ったところだった。明らかにおかしな景色だった。私は、朝もその日暮れの中を登校してきた。

 歩道橋を渡って、みんなで例の大きな屋敷の門の前に行ってみた。昨日と変わらず、同じ文言の張り紙がしてあった。

「べろべろの犬通すべからず」

 とおるが大きな声で読み上げた。

「変わりなしか」

 たかしが立派な木の門扉に手を突いて、ぼそりと言った。木の門扉はちょっと触ったくらいでは、びくともしない頑丈なものだった。

「それで、あかりは何を質問するか決まったのか?」

「ごめん。全然、浮かばなくて」

 私はたかしに振り返って、首を振った。正直、どう考えていいかも分からない。でも、この町を救う質問がきっとあるはずだ。

「それじゃあ、さっきの続きから始めよう」

 たいようくんが仕切って、みんなに提案した。張り紙をにらんでいた、とおるが最後に輪に入った。

「さっきの?」

「どうすれば、べろべろの犬を闇の町に帰らせるかだろ」

 たいようくんが、とおるを指差すような仕草をした。それを見て、とおるがすぐに続けた。

「そしたら、何て答える?」

 みんなちょっと目をふせて、考え始めた。私はうーとうなっても、何も思い付かなかった。みんなも困っている様子だ。

「べろべろの犬を引き止める、問題を解決したらとか、困ったことがなくなったらとかじゃないかな」

 たいようくんは、まだ形にもなっていない考えをあいまいに答えた。

「ううん。でも、それじゃ。答えが、色々考えられるから難しいな」

 たかしは頭をひねった。あごに手を当てると、また考える素振りをした。

「じゃあ。質問の仕方を変えたら、どうだろう?」

「例えば、どんな?」

 私は、たいようくんに聞いた。

「べろべろの犬が闇の町に帰らない、理由は何か?」

「これなら答えは一つだけど、迷子になったって答えられたら、どうするの?」

 たかしが、たいようくんを見て口をゆがめた。質問しても、また新たな質問が生まれてくる。これは切りがない。

「そうか、そうか。そう言うよね」

 ゆりちゃんが納得したと、何度もうなずいた。

「そしたら、どうする?」

 私が聞いた。

「どうして迷子になったのかだろ?」

 でも、この質問はある程度、答えが予想できる。

「田中さんと、はぐれたんじゃないかな」

 たいようくんが、たかしにこくりとうなずいた。私は手を打って納得した。私も懐中電灯の電池を買いに行ったとき、お母さんとはぐれて迷ったからだ。

「でも、この場合。最初の質問は飛ばせないな」

「どうして?」

 私は、たかしの瞳をのぞいた。

「迷子になってなかったら、困るだろ」

「でもそうすると、べろべろの犬は何て答えるの?」

「迷子になっていない」

 たかしが、意地悪そうに私へニヤリと笑った。むすっと不機嫌になった、犬の顔が浮かんだ。最初の質問の仕方で、全く質問の流れが変わってくる。この聞き方だと、最初の質問は絶対に飛ばせないと思っていた。しかし、そうではなかった。

 その時、私は偶然にも名案がひらめいた。質問しなくても迷子になったか、簡単に見分ける方法が見つかった。それを言うと、すぐにとおるが突っかかってきた。

「それ、どうやるんだ?」

「べろべろの犬の側に、田中さんがいなければ、迷子でしょ」

「でも、いたらどうする?」

「田中さんまで、道に迷ったってことになる」

 私は、とおるを見つめ返した。

「それなら問題ないよ。帰る道を教えて上げれば済むことだ」

 たいようくんが、口をはさんだ。

「何でも答えられるのに、道に迷うのもかわいそうだね」

 ゆりちゃんが、同情するような声で言った。

「べろべろの犬は、自分のことは自分じゃ質問できないんだ」

 たかしが少し笑った後に、肩をすくめた。

 次第に話がまとまってきた。べろべろの犬に出会ったとき、まず側に田中さんがいるか、いないか確認する。そこで質問を選ぶことが決まった。

 おそらくべろべろの犬は、田中さんとはぐれてしまったのだろう。その原因を突き止めることが、べろべろの犬を闇の町に帰す方法だと、私たちは結論づけた。

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