第10話 宇宙、旅立ち5

 一時的に翼竜から隠れさせてもらうだけだ。 

 心の中で言い訳しながら、ナナセはクリーム色のしっぽが入っていった宇宙船に向かって走った。


 開いていた搭乗口に、明星と一緒に飛び込む。

 そしてドアを背にして身を隠した。


 ここでなんとかやり過ごして……。


 しかし息を潜めるナナセの耳には、翼竜とは別に気になる会話が聞こえてきたのだ。


「何なのあれは!? 金星じゃ近頃内戦は起きてないって聞いたけど」

「何だか分からんがこれはまずい。このままじゃピットが閉鎖になるかも知れないぞ。いやその前に船が壊されるかも」

「それはダメよ。ただでさえ部品の調達で客を待たせてるんだから。出発許可はさっき取ったでしょ? 今の内に発進よ!」


 と、このような会話が船の中から聞こえてきた。


 んん……? 出発……?


 嫌な予感がした。そして音がした。

 ナナセが振り返ると、ちょうど搭乗用ステップが船体に回収されていくところだった。

 スイーッと、宇宙船のドアが横スライドを始める。

 ええっ? ええ!?


 そしてビタンッと搭乗口が閉まった。閉まってしまった。

 

「ちょっと、待ってよ!」


 思わずドアに拳を打ち付ける。もちろんそんなので電子制御の扉が開くわけがない。

 そんなナナセの体ががくんと傾いた。体全体に大きく衝撃が走る。

 ギュイイイインと、何かを猛烈に噴出するような不思議な音がした。


 直感だが、これは多分船が飛び立とうとしているのだ。


 ガゴンと、さらに体が揺れた。

 慣性に従って体勢が崩れる。


 そして船は、突然乗り込んだ二人を乗せて地面を離れたのだった。




「どうしよう……」


 つぶやくナナセの声が、静かになった船内に消えていく。


 明星は何故か騒ぎもせず、起きたことをそのまま受け入れるように落ち着いていた。

宇宙港にエージェントを残して、見知らぬ船で空高く飛び立ったというのに。


 まったく落ち着かないのはナナセの方だ。


 先程閉まった搭乗口の前を行ったり来たり考え事で忙しいのだ。


 だってこの状況はまずい。翼竜とは別にまずい。よく分からない勘で飛び乗った宇宙船が、どこを目指しているのかも分からないのに動き出してしまった。

 敵の攻撃は逃れられたが、エージェントをはじめ、ツアースタッフ達とは離れ離れだ。


 これってボディーガード失格?


「まあ落ち着けよ、お姉さん」


 相変わらず落ち着いた様子で、船の壁によっ掛かった余裕の体勢で明星が言う。


「これが落ち着いていられますか! てかなんで明星さんはそんなに落ち着いてるの? こういう状況に慣れてるの? さすがアイドル……」

「アイドルは関係ない」

「それにあたし、あたしのせいでこんなことに……。焦ってこんなとこに隠れなきゃよかった……」

「あの場をしのぐためには仕方なかっただろ。あんたのおかげで俺には傷一つ付いてないんだから」


 船に乗ってから初めて、明星がナナセと目を合わせた。いや、あの日カロンさんのアパートで会ったとき以来かも知れない。こうして正面から向き合うのは。


 気のせいだろうか。心なしか声音もちょっと柔らかい。彼の言うように、ナナセが明星を守りきったからだろうか。


「それにこんなとこまで来ちまったら、もう先のことを考えるしかねえだろ」

「こんなとこ?」


 アイドルは視線である場所を示した。

 そこには、窓。


 そこでナナセは初めて気付いた。


 明星の示す先、そこには丸く開いた宇宙船の窓があった。

 その先は暗闇。


 夜だ。いいや星空だ。

 どこまでも深く黒く続く、ここは。


「宇宙……」


 広がる果てしない闇。その中で青や赤に燃えて煌めく星々。

 そこはもう金星という惑星の中ではなかった。


「さっきワープ航法を使ったみたいだから、もうずいぶん金星から離れてるだろう」

「……」


 明星の言葉に何も返すことができない。


 宇宙。宇宙。

 丸く開いた窓から、それが見えている。


「……宇宙」

「そう、宇宙。宇宙空間」


 何度言われてもいまだに頭が追いつかない。


 え? ここ宇宙空間?

 金星の外? あたし金星を出たの?

 宇宙船に乗って?


 まぶたを閉じて、すう、はあと息を吐いて吸い込む。

 高鳴る胸を落ち着かせるように。いや、この高揚感をよ〜〜〜く味わうように。


 宇宙……。ナナセは、今宇宙にいる。

 その一言だけでもう。


 そしてそうだここは宇宙船の中? 宇宙船の中だよね。うへへ。

 先のことに悩むのに必死で全然そんなの頭になかった。


 見渡せばそこは無機質な自動ドアが並んだ狭い廊下。

 よく分からないが壁中でピコピコ光る計器類。

 重力制御装置が働いているのか、宇宙に出ても普通に立っていられる。


 うへへへへ。


 船の形状は焦って乗り込んだのでよく分からないが、多分まあまあ大きな船だ。

 廊下に整然と並ぶ自動ドアには、よく見れば番号が振られている。ということはこれは客船で、廊下に並んでるのは客室かな。


 まさに、まさに思い描いた宇宙船の内部そのものだ。

 う、うへへへへへ。


 笑いが止まらない。

 ああ、そんな場合ではないのだ。分かってる。分かってるけど。宇宙……。宇宙船……。


「しまらない顔してる場合じゃねえぞ」


 明星の言葉に、不気味に笑っていたナナセは現実に引き戻される。


 ニヤついていた目を開いて、彼が見ている方へと視線を向けた。

 一本道の廊下の先。

 ちょうどそこにある自動ドアが開くところだった。


 ガーッと、鉛色の扉が横開きに開いていく。

 や、ヤバい! 誰か来る!


 しかし、ドアは半分まで開いたところで唐突に動きを止めてしまった。


「あーあ、また建てつけが悪くなってる……」


 半開きの扉の向こうから声が聞こえた。

 そしてドアの隙間から指が生える。

 その指は開きかけの扉を掴むと、もう半分を無理矢理こじ開けてしまった。

 

 そして声の主が姿を現す。

 ガコッと人力で開いた自動ドアの向こうから、頭をかきかき中太りの男性がやって来る。

 この船の乗組員だろうか。


 ナナセ達は身を隠す場所もなく、彼が近付いてくるのを待つしかなかった。


 そして頭をかきながら何事かぶつぶつ呟きながらタブレット端末に目を落としていた彼は、ずいぶん近付いたところでやっとナナセと明星に気がついた。


 思わず肩に力が入る。ナナセは明星を背にかばった。

 しかし、


「おや、君たちは? 金星で新しく乗るお客さんはいたかな……」


 突然見知らぬ二人が船に乗り込んでいたらビックリするかと思ったが、男性がしたのは予想よりちょっと鈍い反応だった。


 よく見れば彼は、褪せた縦ライン入りのカッターシャツに、茶色のスラックス姿。

 顎にはまばらな髭。とろんと下がり気味のまぶた。

 金星のオフィスビル街で休憩中に居眠りしているくたびれた会社員のような風貌だ。

 

 そんな彼は、相変わらずタブレット型の帳簿をのぞき込んで、何かぶつぶつ言っている。


 新しく乗るお客さん? ってことはこの船、やっぱり客船なのかな。だからいきなり乗っても驚かなかったの?

 乗客のデータを調べてるってことはこの人、顧客管理の人か何かだろうか。


 何はともあれ、ひゃっほう。この人宇宙船の乗組員だ。それだけでナナセにとっては非日常の人だ。

 いやー、憧れるわー。


 そんな浮ついた感情を隠して、ナナセは慌てて男性の言葉に答える。


「す、すいません。あたし達お客さんじゃないんです。乗る船を間違えちゃったみたいで」

「おや、そうなのかい?」


 必死に作り笑いを浮かべる。ここで無断乗船の不審人物扱いされたらややこしいことになるだろう。

 一刻も早く金星に戻らなければならないのだ。


「そ、そうなんです。それで、すでに発進されたところ大変厚かましいんですけど、出来たらもう一回金星に戻っていただいても、」

「この船はどこまで行く?」

「明星さん!?」


 必死に作り笑いを浮かべるナナセのとなりで出し抜けに前に出る男。明星。

 宇宙のアイドルはナナセを無視して再度男性に問う。


「乗り込んだのは間違いだが、この船が客船なら、どこまで行くか聞きたい」

「どこまでって……色々行くけど、最終目的地は冥王星だよ」


 返ってきた答えに思わず目を見張る。冥王星だって?

 明星も男性の返答に何か思う所があるようだった。そして、


「急な頼みで悪いが、俺達をこのままこの船に乗せてくれないか? もちろん冥王星までの代金は払う」


 ナナセの頭は一気にフリーズした。

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