第46話 閻魔裁き

「お地蔵、さん……?」

 有紀は見たままの感想を口にした。


「閻魔大王様ですわ」

 すかさず玉依姫が口を挟んだ。


「閻魔だって? 俺の知っている閻魔は赤い顔して、変な帽子をかぶって杓を持っている感じだけどな」

 慎一の記憶は子供の頃に読んだ水木しげるの妖怪図鑑から来ている。


 地蔵は話しかけた。


「お前が風戸慎一か」

 優しそうな風貌に似つかわしくない野太い、そして恐ろしげな声色であった。


 閻魔は地蔵菩薩と同一の存在だ。


 ややもすれば閻魔は極悪非道な存在と誤解されがちであるが、あくまでも輪廻転生を正しく裁くあの世の裁判官であり、そして裁きの後は菩薩として救済をする立場でもあるのだ。


「ああ、オレが風戸慎一だ」

 そうぶっきら棒に応える慎一に、玉依姫は肘で慎一の腕を小突く。


「いけません、閻魔大王様がここに来た理由は、貴方様でもわかっているはず。丁寧な言葉を使ってください」

 慎一はここで閻魔に裁かれるのかと不安になった。


「これからお前を裁き、とがを償ってもらう」

 そう閻魔が宣言すると、地蔵の容姿から体が2メートル50センチほどの大男に変わり、角帽子すんぼうしを被り、顔面が赤く、髭を湛え、杓を持ったいでたちに変わった。


 ――ほぼ慎一の知っている閻魔の姿である。


 同時に、二人の男がどこからか現れた。


 この二人は「司録」と「司命」で、閻魔の裁きの書記を務める役目である。


 慎一と有紀が思わぬ展開に動揺していると、今度は大きな鏡が―― 浄玻璃鏡じょうはりのかがみが現れ、最後には閻魔が座る椅子と机が降って涌いた。


「閻魔王庁をここに再現なさったんだわ」

 と玉依姫。


 司録はすべてが揃うと、話し始めた。


 閻魔は腕組みをしてじっと慎一を見ているだけである。


「お前の罪状を読み上げる。一つ、お前が数え年で8歳の頃、田んぼで捕まえたアマガエルに餌をやらず死なせた罪!」

 慎一は目を丸くした。


「ちょっと待ってくれ! そんなのも罪になるのか?」

 今度は有紀が慎一を小突く。


「もとい、そんなのも罪になるんですか?」


「そんなものとは、どういう了見だ」


「あっ、いえ。何でもありません」

 気圧された慎一はそういうしかなかった。


 司録は、


「お前はこの罪を認めるか?」

 と訊いたが自分がしたことの詳細は覚えていなかったため、


「覚えていません」

 と正直に答えた。


 するとニヤリとした司録は、


「これを見よ」

 と言って浄玻璃鏡を指さした。


 そこには、満年齢7歳の頃の慎一が映っていた。


 アマガエルを捕まえて満足そうな顔。


 しばらくは餌をあげていたが、終いには放置したこと。


 死んだアマガエルを庭先に埋めて手を合わせている慎一の姿などだ。


 これには慎一もぐうの音も出なかった。


 その後、閻魔から慎一が犯した小さな罪の一つ一つについて、その殆どは詳細を忘れてしまっていたが陳述され、一つ一つの罪について認めるか認めないか、そして認識の違いがあった時は浄玻璃鏡で確認するという気が遠くなるような作業が延々と続いた。


 自分の血を吸っている蚊を潰したこと、友達から借りた漫画を返さずになくしてしまったことなど兎に角あまりに細かすぎるものばかりで、大罪と呼べるようなものは一つもなかった。



 おそらく下界の時間の感覚で言えば2日間ほどが経つ頃だろうか。


「これがお前の咎の最後のものである。お前の母にお前は嘘をつき、母の望まぬ道へ進んだ、相違ないか?」


 これがロクが言っていた閻魔にとっての『大罪』なのかもしれない。


「相違はありません」

 慎一がそう言うと、有紀が差し出口をした。


「あの、私からその事について一言言わせていただいても」

 司録はけげんな顔をして、


「お前はだれだ。そして何の立場でこの男を擁護する」

 厳しい口調で質した。


 すると二日間沈黙を守ってきた閻魔が珍しく口をはさんできた。

「貴様は白石有紀だな」


(閻魔様は私の名前すらご存じだわ。隠し事や嘘は通用しないって事ね)

 そう心の中で思うと、


「閻魔様。左様でございます。私は白石有紀。この風戸慎一の婚約者でございます」

 と毅然とした顔で言った。


「申告することがあれば特別に言うてみよ」

 そう閻魔が言うと司録は、


「閻魔様……何故この者たちにそのような施しを」

 と言うと閻魔は、


「何か、不服でもあるか」

 と低い声で言った。


「い、いえ、何でもござりませぬ。失礼いたしました」

 と、司録は引き下がった。


「白石有紀よ、言うてみよ」

 司録は咳ばらいを一つ、改めて有紀に説明を促した。


「風戸のお母様とは私は風戸の死後でも交流をさせていただいております。彼女はそれは親切に私のことも労ってくださいます。」


「それでどうした」

 司録は本筋から離れたと思ったのであろう。

 有紀に単刀直入に質問に答えるよう促してきたのだった。


「お母様は、風戸がオートバイに乗りたがっていたことを知っていましたし、そのことについてはもう納得しているのです」


「果たしてそうか?」

 司録はそう言うと、浄玻璃鏡で、あの日 ―― 慎一が亡くなり、朝食を慎一の母敬子と二人で摂っていた時の姿を映し出したのである。


―― 敬子が川口健三に話している。


「あの人があんな亡くなり方をしたので、私はオートバイに乗るなんて大反対だったけれど、慎一がバイクに乗りたいと言い出したら許すつもりだったんですよ」


「そうなんですか?」


「ええ。父親の影響を受けていましたからね。もう、既成事実があるし。でも、私に隠してたのは許せないわ」


「でも、この子はこの子。私の勝手な思いで縛ってはダメ。一人の男として認めなければならないのかもしれないわね」――


 このやり取りを映し終わった時、司録は「マズい」と言うような表情をして、下を向いてしまった。

 

 そして脂汗が額から噴き出した。


 慎一が閻魔を見やると、閻魔は明らかに司録に対して怒っている。


「司録よ。貴様からの報告によって俺様は何度も風戸慎一に使者を送りそして魂を閻魔王庁へ連れてくるように指示を行っていたのだがどういうことか」

 司録は自分の失敗をどうにか隠蔽できないか思案している。


 すると浄玻璃鏡は司録の内心を映し出し、心の声を再現した。


「不味いことになった。この母の内心について捕獲しきれずに嘘という大罪を犯したと閻魔様へ報告してしまったが、何とか誤魔化すことは出来ないだろうか……」


「うわぁああ、やめ、やめてくだされ!」

 司録は懇願したが、いつの間にか先ほどコマと忽那を連れ去った餓鬼が現れて司録を連れていってしまった。


 司録の絶叫する声が遠くで聞こえてくるが、閻魔は一顧だにしなかった。


 直ぐに補充の司録が再び現れたからである。


「風戸慎一よ」

 閻魔は低い声で慎一に問いかけた。


「貴様は大威徳明王ヤマーンタカになるのであろう」


「は、はい。そうです。オレにはそんな力が備わっているようです」

 慎一はそう答えた。


「『ヤマーンタカ』の意味を知っておるか?」


「いえ、オレは何も知りません」


「貴様は、私すら手を焼いていた忽那をその力でねじ伏せたのであろう? ヤマとはこの私そのものの事だ。そしてンタカは滅ぼすという意味だ。つまり、貴様はこの私を滅ぼすこともできる力を持っていることになる」

 慎一は神妙な顔をして何も返さなかった。


「貴様は、この私と事を構えるつもりか」

 閻魔は射貫くような視線を慎一に投げかけている。


 慎一は、


「いいえ、閻魔様。オレは死んでしまったから有紀を護りたかっただけなんです。何故にこんな手に余るような力を手に入れることになったかは本当にわかりません」

 閻魔も黙って聞いている。慎一は続ける。


「オレがやった罪は償いますが、できれば有紀を見守りたい。何とかできませんか」

 閻魔は思案顔だが、何か意を決したように杓を上に掲げて言った。


「風戸慎一に判決を言い渡す。」

 慎一にも、有紀にも緊張が走った。

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