第37話 二人の覚悟

「有紀様。私がこのような事を言えば、あなたは私の事を蔑むかもしれません」

 玉依姫は物憂げな表情で言葉を継いだ。


「忽那様は、それは粗暴でこの煉獄では今まで殺戮の限りを尽くしてきました」

 有紀は軽く頷きながら聞いている。


「しかし、忽那様は私に対してはとても慎重に、そして慈悲深く扱ってくださるのです。とても私には信じることができませんでした。あの方は私の侍女達を切り裂いて私をここに連れてきたからです」


「そんな、ひどい・・・」


「有紀様、私は少し混乱しています。何故あの方が私のような人質に対してこのような丁寧な扱いをするのか。自分でも不思議なのですがあの方が悪い人間とは思えないのです。こんな事をあなたは認めないでしょう」

 有紀は首を横に二、三度振った。


「そしてこの度の事、何故あなたをさらってここに連れてきたのか。あのような怯え方をしている忽那様を見たことはございませんし、忽那様が恐れる姿を見たものは煉獄ではないはずです」

 玉依姫は眼を見開いて言った。


「風戸様は、一体どんな力をお持ちなんでしょう⁉ あの忽那様が体中に傷を負い、蒼ざめた顔でここに戻ってきた姿を見て私は全く信じることができませんでした。いつも過剰なくらい自分に自信を持っていらっしゃたのに」


「玉依姫様は、風戸が私の傍らにいて私を助けた、と仰いましたよね? 私は風戸が亡くなってから私の前に姿を見せることはありませんでした。ですから、仰ったことが本当なのか今は信じることができないのです」

 玉依姫は首を縦に振った。


「それは普通のことです。彷徨う魂は生きている人間と触れ合うことは出来ないのです。きっと風戸様はあなたにどうにかしてご自身が有紀様の傍にいることを知らしめようとされたはずです」


「そんな事って・・」

 有紀の目には、再び涙が溢れてきた・


「でも、玉依姫様。私こそ軽蔑されるかもしれないのですが、風戸が亡くなったあの一年前の夜、風戸の命を救おうとしてくれた人が、風戸に生き写しのように似ていて、その人が気になって仕方がないのです」

 玉依姫は有紀をそっと抱き寄せた。


「ご自分の御心に、素直に従うのです」

 有紀は驚いて玉依姫の顔を見た。


「しかし、そんな自分が許せなくて。私、半年以上気が病んでどうしようもなかったのです」


「分かりますわ。父君を殺そうとしている男に思いを寄せるような女ですもの。この私めも」


「風戸と、話すことはもうできないのでしょうね」

 有紀は諦めたように言う。


「いいえ、風戸様はきっとここにあなたを取り戻しにいらっしゃるわ。でも、その時私は忽那様の無事を願ってしまうかもしれない。あなたが風戸様の無事を望むように」

 なんて残酷なの、と有紀は言いかけたが飲み込んだ。


「有紀様、何が起こってもその事を受け入れることがあなたには一番必要な心構えだと私は思うのです」


「私には、風戸がここで死ぬことを受け入れる準備はできません」

 有紀はそう言い切った。


「そうよね。あなたと私はこんなことさえなければ、きっと良き友になれたかもしれませんのにね」


「風戸は、きっと負けません」

 有紀はそう思うほか選択肢はなかったのだ。


「それから」

 玉依姫は思い出したかのように続けた。


「その風戸様の生き写し、というお方なのですが」

 有紀は少し身構えた。


「ええ」


「風戸様と深い関係がすでにあるようですわ」


「玉依姫様には、何でも見えるのですね?」


「はい。見えてしまうのです。それはそれでとても辛いことではあるのですが」


「どんな事でも受け入れろと仰ったのは玉依姫様です。風戸とここで会ってしっかりと話を聞くことにします」


「その前に忽那様との闘いに勝利しなければなりません。ここは煉獄です。あの方が有利に事を運ぶことができる領域です」


「風戸は、どこでも自分の能力以上の力を発揮するところを私は見てきました。大変申し訳ないのですが風戸が負ける気がしません」


「そうかもしれませんね。有紀様は風戸様を本当に信頼していらっしゃるのね。私はただ見守り結果を受け入れるだけですわ」


「私も同じですよ。玉依姫様」

 有紀は立場が違い、相容れない気持ちをお互いに持ち合いながら、玉依姫には強い信頼感を抱いていた。

 包み隠さず有紀に自分の本当の気持ちを吐露してくれたからだ。


 それ故に有紀もまた、玉依姫には素直に自分の事を話すことができる。会って間もない二人ではあったが、二人とも忽那に連れてこられたこと、二人が闘うことは不可避であることすべてを包括して相互に信頼関係をこの短い会話の間に築き上げることができたのだ。


 すると、少々周囲が騒がしくなってきた。刹那、忽那が牢の前に戻って来て、


「今、風戸慎一は煉獄にどうにかやって来たようだ。玉依姫よ、少し待っていて欲しい。俺様はヤツを地獄に突き出したら、お前と二人で涅槃に行くつもりだ」

 有紀は黙っていなかった。


「あなたのような身勝手で、粗暴な男は玉依姫様には勿体ないわ! 風戸を、私の許嫁をあまり舐めないでちょうだい!」

 忽那は怒った。


「ここは、俺様の支配する領域だ。下界のようにはいかぬ」


「さあ、それはどうなの? ここに私をさらって逃げ込んだくせに!」


「貴様。この俺様を誰だと思っているのだ?」


「あんたなんて知らないわよ。この弱虫!」

 忽那は半笑いして、


「ああ、とくと見ているがよい。貴様の目の前で、奴を八つ裂きにしてくれるわ」

 忽那はそう言うと、ずかずかと歩いて牢のある部屋から出て行ったのであった。

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