第30話 忽那

 片膝をつかされた忽那は苦悶の表情は出さずに抉られた胸部と左大腿部の痛みに耐えていた。


 (この俺様が…八咫烏などに…)

 これが好機と八咫烏は突っ込んで来た。


 次に抉られるのは頭か、腕か。


 僅かな時間の中で忽那は玉依姫の事を思っていた。


(あれは、俺がまだ人間だった時のことだ。


 ある日、俺の住んでいた宇陀うだという里に八咫烏ヤツがやって来て、神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこに仕えるかそれとも戦うか偉そうに聞いてきやがった。


 俺の里には兄宇迦斯えうかし弟宇迦斯おとかしという兄弟がいて、里を治めていたんだが、血気盛んな兄宇迦斯のバカはいきなり弓で八咫烏を追い払いやがった。流石に弟はやばいと思ったんだろう。そのあとビビりまくりだ。


 兄宇迦斯の野郎、出来もしないくせに、追い払った手前兵を集めて戦うって言い出したんだが、ほとんど集まらなかった。俺はその頃まだ若く、力を試したかったから兄宇迦斯の兵になった。


 それまで俺は、物は盗む、人は殺す、女は犯す、やりたい放題だったからな。しかし全てが小さい些細なことだった。俺は、今度は全てを手に入れたくなったって訳だ。


 とにかく兵は、ほとんど集まらなかった。兄宇迦斯には、まったくと言っていいほど人望がなかったんだ。兄弟は相談して、神倭伊波礼毘古命を欺いて、仕えるフリをしておびき寄せ、偽の御殿をわざわざ作って誘い込んで罠で挟んで殺してやろうって言い出しやがった。


 神倭伊波礼毘古命に、使者伝えでこれから屈服し仕える事を伝えると、早速二人の使者が来て、いきなり矢をつがえて『じゃあお前、御殿に入って仕えるって態度を見せてみろ』って言ったんだ。


 兄宇迦斯の野郎、止めりゃいいのに意地張って偽の御殿に入りやがった。見事に自分の罠に掛かって死んだよ。ザマなかったな。


 後で知ったが、先に神倭伊波礼毘古命に密告した奴がいる。

 怖気付いた弟の弟宇迦斯だ。


 俺は卑怯者の弟に、罠に挟まれて圧死した兄の亡骸を引き出すように命ぜられた。引き出すのは簡単じゃあなかったさ。

 それで、兄の身体をバラバラにして、腹いせにそこら中に撒いてやった。


 弟は密告、俺は兄の身体を撒き散らす事で忠誠心をーー そんなもんじゃなかったがーー見せた事で、『これで俺も神倭伊波礼毘古命の臣下になれる』と思ったが、甘かった。


 じきに送り込まれてきた料理番が全員刀を隠し持ってやがって結局俺たちは全員殺された。


 今でも忘れてはいない。

 八咫烏の野郎が薄ら笑いして殺される俺たちを見ていたのを。)

 忽那は元々 忽滑谷ぬかりや那智佐なちのすけといった。


 まだサムライという概念すらなかったその頃、里長を守るために集められた私兵に過ぎなかったのだが、死後、忽那と名を改め煉獄で体を鍛え、閻魔の命令に従ってきた。


(そしてあの日だ。閻魔は下界に降りてどういうわけか八咫烏と娘 ーー 玉依姫をーー殺させようとした。八咫烏の野郎は必ず八つ裂きにしてやるつもりだったが、俺にとっちゃ娘のことなんて知らねえ。

 ところが、八咫烏の野郎、日和って閻魔の手先になるといいだしやがった。


 娘可愛さに惨めなもんだ。


 俺は散々考えてあの娘を人質に取って八咫烏やつを監視しようとしたが、すぐに娘は殺してやるつもりだった。


 あの冷たい眼差しを、殺された俺に向けたアイツに仕返ししてやろうと…


 しかし、出来なかった。


 娘は、玉依姫はこんな俺にもキチンと向き合ってくれた。強敵の霊魂狩りに出る時は心配までしてくれたんだ。殺すなんて、流石の俺にもできない。


 いつの間にか俺は煉獄最強の妖として祭り上げられたが、あの娘だけは、俺の本質だけを見てくれていたんだ。


 八咫烏と相見える時、俺は玉依姫の気持ちを振り払う事が出来るか少し自分に自信が無かったが、八咫烏はこれだけこの忽那様を痛めつける相手だ。相手にとって不足はない。

 存分に退治てくれるわ!)

 八咫烏の鋭く重い三本の脚は、まさに忽那の整った顔を抉ろうとしていた。

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