第19話 霊科学者と助手

 道足みちたり 恭代は、「闇」を目の前にして興奮を覚えた。


 霊科学という分野の学問はいかにも抹香臭く、眉唾だと物理や、化学の専門家から特に蔑まれてきた。


 道足も元々霊の存在を否定する物理学者だったが、英国に存在するSPR(心霊現象研究協会)での著名な物理学の研究者の論文に触れるチャンスがあり、自分も検証に ―― サイドのテーマ研究として ――  参加してみたいという興味を持ったからだ。


 蛇足ながら、SPRには放射線研究でノーベル賞を受賞したマリー・キュリー女史が参加していたとされている。


 しかし、物理学で説明のつかない超常現象に関する研究に次第に没頭していった。ミイラ取りがミイラになる典型である。


 遂に、道足はそれまで所属していた大学の研究室でのポスドクを辞め ―― ただでさえ生活には困窮していたにも関わらず ――  新興の東京科学工科大学の助手として霊科学を本格的に研究し始めた。


 東京科学工科大学はFランとのレッテルが貼られているが、実にバラエティに富んだ、そして興味深い研究室が多く存在している。


 差別化の一環としての方針だろうが、必ずしも就職の実績は芳しいものではないため、イロモノ扱いされている。


 政府からの補助金も乏しい中、よく存続している、と言うのが一般的な見方だが、研究者達は精神的にタフな人材が多くて、スポンサーとしての民間企業を見つけては実業への実利を与える活動を行い研究費を稼いでいるケースが多い。


 産学協働の新しいカタチとも言える。


 道足も例に漏れず、アニメ業界への考証・監修を中心に研究費を得ていた。額はとてもではないが足りているわけではないが、無いよりマシだ。


 研究に没頭できる環境ではないものの、道足の講義「超常現象物理検証学」は出席率が高く人気のある講義の一つになっているのが自慢だ。専門ではなく、「一般教養パンキョウ」としての単位の扱いであることにいつも不満はあるのではあるが。


 他に東京科学工科大学のような変わった方針の大学もなく、いつのまにか道足はその道の第一人者に自然となったわけだ。


 様々な取り組みを行ってきた彼女ではあるが、実際にこの「闇」を目の当たりにすると、頭の中が真っ白になり、そしてドーパミンが大量に出て興奮するのだ。


 未知のものに強く惹かれるのは研究者としての誇り、とさえ公言している。


 道足は、「闇」を撮りまくったが、メディアの容量が直ぐに一杯になりそこで撮影は終了になった。


「そうよ、電磁波を測定しないと」

 そう彼女は呟いて、スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 道足 恭代に呼び出されたのは、助手のマリー=テレーズ・ジュネだった。


 マリー=テレーズは、フランス人の両親から生まれ、日本で育った若き研究者だ。


 フランス語と日本語はネイティブ、英語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語、スペイン語を操るマルチリンガルであると同時に、助教の道足同様物理学の修士を取り、博士課程に進んだところで子供のころから超常現象スピリチャル体験をしてきたことから、道足の霊科学研究の虜になり彼女の門を叩いた。



「道足先生、これは凄い! なんですかこの巨大な結界は?」


「マリー=テレーズ、これを結界と言ったわね。これは結界なの?」


「はい、結界です。先生には見えないかもしれませんが、一番上に、なんだか変な生き物がいます。八つの頭をもった蛇みたいな」


「マリー=テレーズ。私は物理学者よ。あなたもそうでしょう? 説明できないときに『先生には見えないかもしれませんけど』っていうのは止めなさい」


「まだ私が結界師として生まれてきたことを認めてくれないんですね? 私は生まれて間もなく両親の仕事の都合で東京にやってきて、育ち、そして様々な不思議な体験をしてきたんです!」


「それは何度も聞いたわ。ねえ、マリー=テレーズ」


「先生、ほかの日本人みたいにマリーって呼んでくださって結構です」


「いえ、私はマリー=テレーズと呼ぶわ。私のことをヤスヨではなく、ヤスと呼んでいるようなものでしょう?」


「ええ、それはそうですが。舌、噛みません?」


「噛まないわよ!」

 この師弟関係は、この巨大な超常現象を前にしてもこの調子だ。


「結界についてのあなたの物理的見解なんだけど、要するに『念』は何かしらの電磁波だってことだと思うんだけど、結界が電磁波によるもので、特定の存在、例えば霊魂やそういうものの侵入を阻止したり、弾き飛ばすわけよね?そうだとしたら、霊魂の存在もまた電磁波、量子であるということなのかしら」


「ええ、もちろん検証は十分できていませんし、まだ仮説にすぎませんが」


「では、こんなにはっきりとした結界が、こんなにも長い時間存在しているってことだから、いい研究のサンプルってことよね」


「その通りです。先生」


「で、持ってきたの? あれ」


「持って来いといったのは先生です」

 マリー=テレーズは手で引いてきた黒いスーツケースを指さして、


「先生、使ってみます?」

 と、思わせぶりな顔をした。


「これを待っていたのよ。あなた、いつまで経っても作り上げないんですもん。スポンサーにも遅れの原因は何なんだといつも説明させられているから、本当にヤキモキしていたのよ」


「それは申し訳ありませんでした。でも、今日はそれがここにあります」


「早速やってみましょうよ。私のほうで電源車は何とかするわ」


「それは頼もしいです。お願いします」


 マリー=テレーズは、スーツケースのカギ用の物理キーを差し込み、トランクケースに入っていた『あの』装置を取り出した。


 装置は20cmの直径、45cm程の長さをもつ、アルミの筒状の筐体であった。マリー=テレーズは、アタッチメントのカングリップと、スコープのようなものを本体に取り付けた。


 頼りない短砲身のロケットランチャーのような出で立ちだ。


「マリー=テレーズ。何よこれ。あなたの趣味丸出しじゃないの」


「先生。私の趣味のことはさておき、電源車の確保をお願いします」

 マリー=テレーズはミリタリー趣味について否定しなかった。


「ようやくこの、…そう言えば名前をつけてなかったわね」


「先生、そこは抜かりございません。E.G.o.I.S.T.エゴイストです」

 道足は、眉毛の端を釣り上げて聞いた。


「エゴイストですって? 一体全体何の略よ」


「Electromagnetic Ghost or Intelligence Sensing Teach-deviceですわ。先生」


「マリー=テレーズ。電磁霊的知的生命体検知装置、って訳ね。最後、エゴイストって読みにこだわって『デバイス』で良いところを『テックデバイス』に変えたわね?」


「さすが先生。私のことは何でもお見通し」


「貴方のことは大体分かるわ」


「先生」


「何よ」


「電源車」

 道足は自分で言い出したにも関わらず態度を変えた。


「ねえ、マリー=テレーズ。良い勉強だから電源車も自分で何とかしてみない?」


「はあ? 先生。私はその手の交渉大嫌いなので」


「はあ? じゃないわよ。自分でなさい!」


「ほらほら、先生。結界が小さくなってきましたよ」


「えっえっ? 本当?」


「言い合っている場合ではないようですね? 私、まだこのエゴイストの調整が残ってますから宜しくお願い致します」

 道足は仕方なく自分たちの警護にあたってくれていた機動隊員に電源車を直ぐに配備してもらうように要請した。

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