第16話 義母と義娘

 慎一が霊安室に運ばれた後、有紀と敬子は心労で倒れないようにと、半ばファミレスで朝食を義務的に食べていた。

 敬子から慎一との約束について聞かされた有紀は、まだ敬子に話していなかった婚約前の二人の話をどうしてもしたくなったのだ。 


「お義母かあさま、私にも慎一さんの事、話したいことがあるんです」

 

「ええ、聞きたいわ」

 敬子はにっこりと笑って応えた――


 慎一は、四時間耐久レースの活躍がレース関係者の目に留まり、かつてワークスチームのチーフメカニックの経歴がある川口の口添えもあり、メーカーの直接的な支援を受けたトップチームの一つから全日本ロードレース選手権のJ-GP2クラスに出場することになったのだ。

 

 その時のチーム代表者、隅田と慎一の話し合いで、


「夜学でも構わないので、大学に通わせてもらいたいのです」

 と申し出た慎一に対して隅田は、


「理由を聞こう」

 と言って興味を持った。今まで面倒を見てきたライダーの中でそのようなことを言い出す男はいなかったからだ。


「俺は母親にウソをついてレースをしていました。母親は俺に十分な教育を受けさせたいと何度も説得してくれたんですが、それを振り切って黙って川口さんのところに厄介になることになって」


「で、バレちまったわけか(笑)。 でもよ」

 隅田は厳しい眼差しを慎一に向けた。


「お前さんは来年から、ルーキーとはいえプロの選手になるんだぜ? 結果が伴わなければチームの人間はなんというかな」


「それは覚悟しています。両立させるつもりです」

 

「お前、舐めてるのか? たかだか四耐で勝った天狗になってるんじゃねえだろうな?」

 隅田は半分ブラフで―― 慎一を試そうとした。


「チームに迷惑をかけることはしません。もしその時は一つに絞りますよ」


「どちらにだ?」

 

「俺は大学を取って、すっぱりレースから足を洗います」

 隅田はレースに、と言ったら見込みはないと思っていた。だったら最初から大学など行かなければいいからだ。

 ふっと隅田は笑って、


「いいだろう。お前の人生だ。大学生の全日本ライダーっていうのもウチにとっては売り出しやすいしな」


「隅田さん、ありがとうございます!」


「何、学費も出してやるぜ。その代わり、たくさん勝てよ。お前のお袋さんを安心させてやれ」

 こうして慎一は翌年のデビューと同時に放送大学の学生となった。


――敬子はその話を初めて聞いた。


「あの子なりに私の事を考えてくれていたのね」


「ええ。慎一さん、プロになってから2年間はうまく結果が出なくてチームともぎくしゃくした時期はあったけど3年でチャンピオンになってしまいましたから苦労したみたいです」

 その間有紀は慎一にずっと寄り添ってきた。


 四時間耐久レースでペアだった勝呂と付き合っていた土屋亮子が有紀の大学の同級生で、有紀は慎一と鈴鹿サーキットのあのレースの日に出会っていた。


 そのレースで誰よりも輝いていた、慎一の長身で整ったルックスだけでなくぶっきら棒ではあるが、優しさのある態度。そして何かに集中している時の真剣な眼差しに有紀は惹かれていた。


「でも慎一さん、チャンピオンになったら誰にも相談しないで引退すると言い出したので私もビックリしたんですよ」


「あの子、心の奥底に秘めたものは譲らない性格だったから」

 敬子は大学に進学しないと決めた慎一の頑固さは身に染みて知っている。


「ところで有紀さんご家族は?」


「ええ、間もなくここに来ると思います。母がショックを受けてなかなか出かけることが出来なかったって弟の光輝からメールが来ていました」

 敬子の顔が曇る。


「有紀さんのお母様にもご心労を…本当にごめんなさいね」

 有紀は顔を左右に振った。


「お義母さまのほうが、もっとショックなのに」


「あの子、約束を守れなかったのね。約束と言っても単なる戒めのために言ったことだから」

 敬子は少し涙を浮かべている。


「ええ、分かります」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 有紀の両親と光輝がようやく到着したとメールが着信したので、敬子と有紀は急ぎ松庵労災病院のロビーに戻った。


 ロビーで落ち合うと、有紀の父、哲朗と淑子は深々と頭を下げた。


「あの、どうお声を掛けたらよいか。本当にご愁傷さまです」

 哲朗がようやく口を開いた。


 霊安室に五人でゆき、改めて慎一を見た敬子は、


「有紀さんのお父様、この度は息子が有紀さんに悲しい思いをさせてしまい、本当に申し訳ありません」

 と言った。

 刹那、敬子の瞳から、一粒、二粒と涙が溢れ出た。


 有紀にももらい涙がでた。そして光輝はそっと優しく有紀の肩を抱き、母の淑子もそれに従った。


「この後の事ですが、差し出がましいのですが、私にお手伝いをさせてください」

 哲朗は遠方から来た敬子の事を慮り、葬儀などの取り仕切りを申し出た。


「慎一くんは亡くなってしまいましたが、今でも私たちの義息子です。どうか遠慮なさらないでください」


「ええ、大変助かります」

 敬子も気丈に振る舞っているが実のところは気が狂いそうに悲しく、胸が張り裂けそうだったのだ。


 その後、敬子は持ってきたタブレット端末で家族の死亡に際しどのような手続きが必要か手早く調べ、役所などに連絡し、哲朗は葬儀社と打ち合わせを行った。


 時折敬子の意向も確認しながら打ち合わせをしている。行政書士の個人事務所を経営する哲朗らしい、テキパキとした進めぶりであった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


同じ日に命を落とした慎一とサキの葬儀は、奇しくも同じ斎場で同じ日に、隣り合った会場で営まれた。

 両親が逮捕されたサキの葬儀は、サキの祖父、那須野 幸雄が喪主となって執り行われた。


 対照的だったのは、慎一の葬儀にはかつてのヒーローの葬儀という事もあり多くの参列者が居たが、サキの葬儀には、事件の社会的な影響もあり、学校関係者や限られた親族しか居ない寂しいものだった。


 慎一、コマ、サキの三人は自分たちが火葬され立ち昇って行く煙を黙って見ていた。


 陽射しが柔らかく、小春日和な冬の日だった。

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