第2話 漂流者

 ふっと目を覚ますと、オレは「俺」を見ていた。


 何故か「俺」は、病院の集中治療室みたいなところに横たわり、人工呼吸器をつけられて苦しそうにしている。


 オレは、その「俺」を2m位の高さから見下ろしているわけだが、苦しそうな「俺」のようには苦しくないし、随分と客観的に自分自身を見ていた。


 時折「俺」の体がすこしだけ浮き上がったようにみえた。AED除細動器でショックを与えられている。

 しかし、心臓が動くことはなかった。


 おいおい、マジかよ。動け! オレの心臓!


 看護士が電極の表面にジェルを塗っている。またAEDだ。


 体は弓なりになり、そして鈍い音を立てて処置台の上に戻る。

 そんな事を繰り返す「俺」を見ていて痛々しく思う。


 脈拍のインジケーターは一瞬鋭いピークを描き、また緩やかで、波の小さい線を描く。


 おい、なにやってんだ! 最大パワーでもう一度やってくれよ! 


 頼む! 俺には護らなきゃならない人がいる。まだ死ねないんだ!


 しかし時を置かず、無情にも機器のアラームが鳴り響きやがて凪の海のようにスコープの中の線は一直線を描いた。脈拍を表すデジタル数字は0を指していた。


 処置にあたっていた当直の医師らしき男が、「俺」の左腕の脈をとり両眼の瞳孔を確認して、時計を見やった。

 そして呟く。


「午前2時3分、ご臨終です」

 「俺」は死んだ――


 《元全日本 ロードレース J-GP2 チャンピオン 風戸 慎一死亡》とか新聞に出るんだろうな… …


 マジか…… 

 

 なんてこった。死んだこともヤバイけど、戻る身体がねえって言うのは物凄い不安な気持ちになる。


 どうしよう。さて、本当にどうしたものか。あの世に行くガイドブックなんて持ってないし。


 というか、あまりに唐突すぎて、幽体離脱なんて異常なことを受け入れたくせに、現世に残してしまったあれこれを今更思い出して後悔したり、心配したりし始めている。


 まず頭を過ったのは記憶をなくす前に頭に浮かんでは消えた有紀あきのことだった。


 結婚式まであとちょうど一か月だったのに、オレ死んじゃったよ。


 そう。オレはずっと前から付き合っていた白石 有紀と結婚を約束していた。


 有紀の悲しむ顔、見たくないな。


 お袋の顔が次に出てきた。


 約束を守れなくて、本当に親不孝者になってしまった。ゴメン。父さんのようには死ねなかった。


 それより先に逝ってしまって申し訳ないな。お袋大丈夫かな。一人になっちゃったし。


 それから監督、すみません。レースやめた挙句死んでしまいました。しかも、バイクで死ぬなんて…チャンピオンまで取った男の死に方ではないですよね……。


 ああ、オレ、なんで死んでしまったんだろうな。


 思い出したよ、あのネコだ。


 ネコがあんな時間に、道の真ん中で動けなくなってたんだよ。


 それを避けようとして反対車線から突っ込んできたタクシーにぶつかりそうになったから、スロットルふかして後輪を滑らせてかわしたんだった。


 路面は濡れていたから簡単だった。でも、いきなり半乾きの路面でグリップが戻って、ハイサイドで飛ばされたんだっけ。


 あのネコ、大丈夫だったかな。


 ネコのことを心配している身分じゃないけどな。


 あれが光輝を乗せてた時じゃなくて本当に良かった。光輝はもうすぐオレの義弟おとうとになるはずだったんだ。

 

 光輝が結婚式の二次会を仕切ってくれるというから、有紀の部屋で打ち合わせをしていたんだ。光輝を高円寺の駅で降ろして、有紀の部屋に戻るときに事故ってしまったんだよな。

 

 光輝はさすがにもう家に帰ったよな。


 有紀のお父さん、この事をいつ知るんだろうか。

 有紀や光輝には厳しいお父さんだけど、オレには優しかった。

 でも、「娘を悲しませやがって」って怒るよな。

 

 自分が戻れなくなった「俺」の体を見ながら、絶え間なく、そしてとりとめもないことを考えていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「ふう、さっきは危なかったわい」

 ろっこつの浮き上がった老猫が呟いた。


 あの若者 ――風戸 慎一が避けようとして命を落とす原因となったネコ、正しくは化け猫である。


 肥前国佐賀藩は二代目藩主、鍋島光茂の臣下であった龍造寺りゅうぞうじ又一郎が光茂に惨殺された。

 理由は、囲碁に心酔した光茂が、これもまた囲碁の名手である又一郎と対戦した時、臣下である又一郎の腕が上だと認めたくなくていきなり切りつけたというとんでもない話だ。

 

 しかも又一郎惨殺の後正気に返った光茂は、近習頭きんじゅうがしらである小森半左衛門とともに古井戸に死体を隠し、ことにした。


 藩主に参上すると言っていた又一郎が帰って来ないため、母のお政は不審に思い小森を問い詰めるが要領を得ない。


 毎日毎日お政は又一郎の父、又八郎が長崎の港の警備にあたっていた頃買い求めた黒猫を膝に抱いて又一郎を無事を仏前で祈っていた。

 黒猫は又一郎とともに育ち、家族に愛されていた。又八郎もまたその事件の前に不審死を遂げている。


 ある雨の降る夜、コマが外へ出て行ってなかなか帰って来なかったが、心配していたお政が返ってきたコマが又一郎の生首をくわえたコマをみてすべてを察し、光茂を呪いながら小刀で自刃してしまった。

 

 コマはお政から流れ出る血をすべて舐め尽くすと、異様に目を光らせ、再び又一郎の首を咥えて闇夜に消えていった。


 コマは光茂のめかけに化け、光茂を気狂いにさせた。そうして鍋島家を恐怖のどん底に陥れた化け猫だったのだ。


 世に伝わる化け猫伝説では正体を見破った小森半左衛門によって退治されたことになっているが、実は360年も長く生きながらえていたのだ。


「あの若者には申し訳ないことをしたのぉ。先ほど奴の霊魂の鼓動を感じた。まずいことになったな」

 そう、この化け猫こそがコマだ。


地獄に通じており、死んだばかりのいわば剥き出しの霊魂を巡って、地獄へ引きずり込もうとする力が働くらしい。コマはそのことを心配しているのだ。


「ワシが奴を殺めたようなものじゃ。何とか救ってやる方法はないか」

 コマは思案した。


 思案したがこれといった名案が浮かぶわけでもなく事故の現場をうろうろするばかりである。


 その頃、地獄でも慎一の霊魂が体から離れたことを察知し、慎一の霊魂を捕獲すべく使者が送り込まれようとしていた。


 コマの髭が動いた。


 使者の動きをコマも察知したのだ。


「流石に閻魔のやることは早いのぉ。問題は奴めが誰を差し向けたかじゃ。もしが来ると、ちと厄介じゃなぁ」


 コマと地獄の番人である閻魔は、いわば共生関係でもある。


 半兵衛に退治されたのち、コマは閻魔の手先になって死んだばかりの霊魂を地獄からの使徒に引き渡す役割を担っていたのだ。


 しかし今回は事情が違う。


「ワシが死ななくてもよい若者を殺してしまった。何とか隠してやらねばならん」

 飼い主のために化け猫になったロクだ。


 閻魔に心を売っても、良心のかけらは残っていた。


「まずは奴に会わねばならんな。どこへ行ったんじゃ?」

 コマは、慎一に会うために、事故現場を離れることにした。


 あのやかましい音を鳴らす、白い車のにおいを辿って行けば・・・


 コマは、五日市街道を西の方へヨロヨロと歩き始めた。


 雪はすっかり止んで、星が雲間から覗いていた。

 まだ2月。シリウスの青白い光が煌煌と天空に瞬いている。

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