2-③.


 放課後、後期の図書委員になった栞は委員会の顔合わせに出席していた。

 生徒数の多いこの学校の図書館は蔵書も多く、充実じゆうじつしていた。校舎とは別棟べつむねになっているため、静かで落ち着いた雰囲気がなお良かった。

 造りこそ古いが、使い込まれた木製の机は良い味わいを出しているし、滅多めつたにお目にかかれないようなめずらしい蔵書も多い。入り口の前には話題の本や、学習に関連した本などを目立つように配置している。校舎と離れているせいで利用者が少ないという話だが、実にもったいないことだと栞は思った。

「図書委員の主な仕事は昼休みと放課後の本の貸し出し、返却へんきやくされた本を元のたなへ戻す作業です。その他に図書だよりの発行や、実際に本屋さんへ行って、図書館に入れる本を探したりもしますよ。今年は地域の子ども図書館や保育園などで読み聞かせも行います。あとは年に数回読書会も開きますよ。今日は委員長と副委員長、それに会計や書記、曜日ごとの図書当番を決めてしまいましょう」

 年配の司書教諭きようゆが集まった図書委員たちに役割分担やそれぞれの仕事内容など、事細かに説明をしている。自分には大した役職は当たらないだろう、と栞はぼんやりしながらその説明に耳をかたむけていた。つい考えてしまうのは、どうしても葉桜のことだった。

「なんで話してくれないんだろう……」

 図書委員会を終えた栞は昇降しようこう口でくつえながらつぶやく。

「なんだよ、元気ないな、栞」

 ぽん、とかたを叩かれて栞がくと、ジャージ姿で首にタオルを巻いた大将がいた。

「大将くん!」

「今帰りか? ああ、委員会の顔合わせだったな、今日は。俺は部活が終わって帰るところ」

「柔道部だっけ? 似合うね!」

「中学から始めてな。まあ、そんなに強くもないけど。一緒に帰らないか」

「うん! 私、話したいこといっぱいあるよ!」

 栞は着替きがえを済ませた大将と待ち合わせて帰路につく。小学校の同級生たちの進学先や、小学生時代の思い出話に花がいた。

「へえ、香織かおりちゃんも啓子けいこちゃんも、隣町となりまちの私学に行ったんだね。優斗ゆうとくんは工業高校かあ。なんだかみんなに会いたくなってきたよ」

「そういや、夜桜よざくらも栞に会いたがってたぞ」

「え、夜桜ちゃんが?」

 栞はぱっと目をかがやかせる。夜桜は、葉桜の妹だ。栞によく懐いていて、栞にとっても夜桜は妹のような存在だった。

「今朝、ランニングしていたら偶然会ってさ、栞のことを話したら会いたいって騒いでた」

「そうなんだ、嬉しいな。夜桜ちゃん、きっと可愛かわいくなってるんだろうなあ。吉野家はお母さんがとびっきりの美人だったから」

「ああ、あの母ちゃんな。花見の時しか見ないけど不老不死かってくらい変わらないぞ」

「吉野家の皆にますます会いたくなったよ。でも、もう六年もってるから、会っても分かんないかもしれないけど」

「分かるさ。俺や葉桜だって栞のこと、すぐに分かったんだから」

 栞は大将の言葉にありがとう、と小さく笑った。

「ねえ、葉桜くんって大将くんとはよく話すの?」

「葉桜が嫌がるから学校ではあまり話さないけど。学校の外だと電話したり、一緒に遊んだりとか」

「え、そうなの!? いいなぁ。でもなんで学校じゃ話さないの?」

「まあ……いろいろあるんだよ」

 大将は困った顔で言葉を濁した。

「そういや、栞が転校する時、葉桜が見送りに行っただろ? あの後、大変だったんだぜ。葉桜はもう、毎日泣き通しで。この世の終わりみたいな顔でやっと学校に来てたんだ。見せてやりたかったよ」

「今の葉桜くんからは考えられないな」

 栞は葉桜の冷たい物言いを思い出して、複雑な表情をする。

「あの頃の葉桜くんは表情豊かで優しかった。引っ越す日も私より大泣きして見送ってくれたんだよ」

「あいつらしい。子どもの頃は栞にべったりだったから無理もないな。お前がいなくなってから葉桜はあいつなりに努力して大分泣き虫がましになっていったんだがな……」

「ましにって、もう治ってるでしょ。大将くんは葉桜くんが変わってないって言うけど、どう見ても変わったよ。私の知ってる幼馴染みの葉桜くんはどこにもいないもん」

「そんなことねえって。根っこは全然変わってないんだよ、本当に。俺じゃどうにでもできないほどにな……でも、栞ならあいつを変えられるのかな。昔から、葉桜の面倒めんどうはいつも栞が見てた。いじめっ子からあいつを守ったりとか」

「それって大将くんじゃない!」

「まあ、そうなんだけど。とにかく葉桜のこと、またよろしく頼むよ。俺には正直、もう荷が重い。あいつを助けてやれないよ」

「何それ。葉桜くんは確かに一匹狼いつぴきおおかみみたいになってるけど、本人が望んでいるんならいいじゃない」

「それはそうかもしれないんだけどさ……」

 大将はまたしても曖昧あいまいに笑って、栞の問いを誤魔化すのだった。なんだかもやもやした気持ちのまま、栞は商店街に続く橋の前で大将と別れた。すっきりしない気分の栞は昨日と同じく、自宅を通り過ぎて、丘の桜へと向かった。丘には何本も桜があるけれど、この桜だけは何かが違った。ただ大きいだけじゃなく、その下にいるとほっとして気持ちがやわらぐのだ。栞は子どもの頃から、何かあればすぐにこの場所へ来た。気持ちが落ち着くし、何より、ここに来ればいつも葉桜と会えたからだ。

 桜の下に座り、栞は鞄からハードカバーの小説を取り出す。委員会の後、図書館で借りてきたのだ。ページをめくりながらゆっくりと読み進めるが、大将の言葉が気になって、なかなか集中できない。

 活字を追えなくなって、本を閉じた。

 栞は風の音に耳を澄ませる。夕方になると、さすがに風も冷たい。も短くなり始める季節だ。

 もうしばらくすると、夕陽は完全に沈んで本は読めなくなるだろう。本を片づけようとしていた時、足音がした。栞が期待を込めて顔を上げると、呆れ顔の葉桜がそこにいた。

「はざ……じゃなかった、吉野くん、こんばんは」

 微笑ほほえみかけるが、葉桜の無表情は崩れない。栞はに落ちなかった。この桜は道から少し外れたところにある。それなのに、この場所で会うということは葉桜もわざわざ寄り道しているということだ。

 用があってここに来ているんじゃないのかな、と栞は内心思っていた。

 けれど、今日もまた、葉桜は何も言わずに去っていく。

「また明日ね!」

 栞がその背中に声をかけても、無言のままだった。

 葉桜はクラスメイトに対しても言動は冷たいが、あからさまに無視するようなことはしない。けれど、他の人間と比べて栞への対応はどうにも感じが悪い。悪すぎるのだ。

「……私、帰ってこないほうが良かった?」

 遠のいていく背中に向かって、呟いた。私を忘れたわけじゃないなら、どうしてそんな態度を取るんだろう。何かきらわれることしちゃったのかな。考えても、考えても、栞には分からなかった。

 葉桜の姿が見えなくなると、栞は本を鞄に仕舞しまって立ち上がる。目の前に広がる故郷の景色をぼんやりとながめた。この町にずっと帰りたかった。この懐かしい場所で、誰よりも会いたい人がいた。

 だから、冷たくされても、無視されても、それでも。

あきらめたくないよ」

 したおもいは夕闇にけていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る