2-②.


 それから放課後まで、栞は幾度いくどとなく葉桜と話そうと試みるが、ことごとく失敗に終わった。話しかけようにも全く相手にされない。仕方がないのでこっそりと葉桜のことを観察した。そこで分かったのは葉桜がやはり別人のようになっていたということだった。

 笑いもせず、泣きもせず、かたくなに誰とも話さない。葉桜はクラスでは孤立こりつしているようだった。いつも不機嫌そうで、美しい容姿も相まっていっそう近寄りがたい雰囲気ふんいきを放っていた。表情豊かだった幼い頃の姿は見る影もない。

「吉野くんがどんな子かって? さあ、ほとんどしゃべったことないし、分かんないよ。話しかけてもさ、全然会話にならないっていうか、会話してくれる気がないんだよね」

 そう教えてくれたのは、前の席に座る女子だった。

「無口っていうか、クラスメイトとあまり関わりたくないように見えるよ。話しかけても会話続かないし、よく分かんない奴だよ」

 これはななめ前の席に座る男子の証言だ。

 彼らの言葉は、栞が実際に葉桜を観察していても同じように感じたことだった。

 葉桜がどうして人と話したがらないのか、理由は分からないまま、転校一日目は帰途きとについた。

「話しかけるとげちゃうし……ちょっとくらい話を聞いてくれたっていいのに」

 栞はぶつくさ文句を垂れながら河川敷かせんじきを歩いた。自宅に着くもまだ、家には帰りたくなかった。栞は脇道わきみちに入って、丘に続く一本道を上り始めた。

 この道をずっと上っていくと丘の上にぽつんと吉野家が建っている。

 二つの家の間に、町一番と言われている、一本の立派な桜の木がある。栞が初めて葉桜と出会った場所であり、子どもの頃は毎日のように通った遊び場でもある。思い出の場所に六年ぶりにやってきた栞は、子どもの時のように太い木の根を椅子いすにしてこしかける。

「良かった、ここから見える景色はおんなじだ」

 夕闇ゆうやみに染まる町はどこかなつかしいにおいがした。木の葉がれ、風が草木をでる音に耳をませると、故郷へ帰ってきたのだと実感できる。

「ここは私と一緒で何も変わってない」

 放課後、葉桜は栞が声をかけても無視してさっさと教室を出て行った。大好きだった葉桜に冷たくされるのはひどく悲しい。葉桜は変わってしまった。離れている間に彼に何があったのか、何も知らないことがもっと悲しかった。

「あ……」

 うつむいていると、すぐ近くで低い声がして栞は顔を上げる。そこには気まずそうに足を止めた葉桜の姿があった。

「葉桜くん……じゃない、吉野くん」

 偶然ぐうぜん立ち寄ったのか、葉桜はあからさまに迷惑めいわくそうな顔をする。なんでここにいるんだ、と言いたげだった。そして、栞に対して口を開きかけるものの、結局無言のまま来た道を戻り、自宅へと歩いていった。

「……やっぱり、私のことなんて覚えてないんだ」


  ***


 翌朝、栞が登校すると葉桜はやはり一人でいた。

 栞は机にかばんを置いて挨拶あいさつするが、葉桜は話しかけるなと言わんばかりに席を立って教室から出て行ってしまった。隣の席なのに朝の挨拶もままならない、と栞はしょんぼりして椅子に座った。

 教室の中では他のクラスメイトたちがいくつかグループを作って楽しそうに盛り上がっている。いかにも運動部らしい坊主ぼうず頭の集団、その中の一人と目が合った。ひと際身体からだの大きな男子が、輪を離れて栞に近づいてきた。がっしりとした体形で、餃子ぎようざみたいな耳をした男子だった。昨日はこんなこわそうな男子を教室で見た覚えがない。栞は相手の迫力はくりよくに何ごとか、と身構える。

「よう、栞! おれのこと、覚えてるか?」

 ついさっきまでの威圧いあつ感は人懐こいみで消え去った。奥歯おくばまで見えそうなくらい豪快ごうかいな笑い方に栞は見覚えがあった。

「もしかして……大将たいしようくん? さくら小学校五年二組だったあの大将くん!?」

「おお、そうだよ!  久しぶりだな、元気だったか?」

「わー! 本当に久しぶり! 大将くんもこの高校だったんだね!」

 栞はうれしくなってその場でねそうになった。

 大将もまた、栞にとっては幼馴染みと言える存在だった。大将というのは、本名ではなくあだ名だ。さくら町唯一ゆいいつの小学校、さくら小学校の子どもたちを束ねる親分のような存在だったからみんなから大将くんと呼ばれていた。

 昔の彼は体格に物を言わせたいじめっ子で、葉桜をよく泣かせていた。けれど、葉桜があんまり泣くものだから、早々に良心の呵責かしやくを覚えていじめっ子を卒業したのだという。ちなみに、本名はもっとありきたりな普通ふつうの名前である。

「俺もこのクラスなんだ。昨日は柔道じゆうどう部の大会があって公欠だったんだよ。夜に電話で葉桜から栞が転校してきたって聞いて本当に驚いたよ! でも、お前、何も変わってないな! すぐに栞って分かったぞ」

「は……吉野くんから聞いたの? じゃあ、吉野くんって私のことをちゃんと覚えてたの!?」

 栞は信じられず、大将にった。

「当たり前だろ? 俺たち、幼馴染みなんだから」

「だって、葉桜くん……じゃない、吉野くんがあまりにも変わっていたし、全然話してくれないし、私のことなんて忘れちゃったのかと思ってたよ!」

「あー……まあ、あいつなりに努力した結果なんだけど、そうだよなあ、うーん、なんと言っていいもんか」

 大将は言いにくそうに口をもごもごさせて、言葉をにごした。

「あいつはさ、変わったようでいて、実のところ何も変わってないんだよ」

 大将は苦笑くしようして頭をいた。予鈴よれいが鳴ったので、それ以上はくわしく話を聞けず、大将は席に戻っていった。いつの間にか葉桜は席に戻ってきていた。栞はちら、と葉桜をぬすみ見る。

 私のこと、覚えていたんだ。

 嬉しい反面、栞は冷たくされる理由がますます分からなくなった。それでも、もう一度勇気を出して、栞は葉桜に改めて声をかけた。

「吉野くん、昨日はハンカチ貸してくれてありがとう」

 栞は綺麗にたたんだハンカチを取り出して、葉桜にわたした。

 葉桜はにこりともせずに受け取ると、すぐに机にしてしまった。大将は、変わっていないと言ったが、どう見たって葉桜は悪い方向に変わってしまったと栞は確信してなげいた。


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