マイ・ブルーヘヴン~兄貴来襲。そしてまたまたトラブル。

江戸川ばた散歩

第1話 ストンウェル兄・ジャスティス現る

 ぱきゅ。


『打ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』


 背中を叩く声。思わずぐい、と振り向いていた。


「……ああ、休憩時間の連中が、ヴォリュームを上げたんですな。しょうもない。下げて来るように言ってきましょう」


 取引先の技術課長はふっくらとしたソファから腰を上げようとする。その姿はTVを観戦していた作業員と同じ作業服だ。

 手で制する。


「や、大丈夫です。技術課長。せっかくの休憩時間を邪魔しては」

「そうですかあ。申し訳ございませんねえ」


 にこやかに、技術課長は再びソファに腰を沈める。柔らかすぎる椅子に、おっと、とバランスを崩しそうになる。

 いい調子で話は進んでいるのだ。その調子を狂わせたくはない。各星系を飛び回る優秀な営業部員は切に思う。


「しかしこの惑星の方々は、皆ベースボールがお好きなのですね」

「や、そうではないんですよ」


 ぐい、と技術課長は身を乗り出してくる。何やらそれまでの商談より目が輝いている。内緒話のように、手を側立てる。


「実はですね…… うちの惑星のチームは、弱いんですよ」

「は」

「非常に弱い。ほんっとうに、弱い。今年も最下位だったら、ナンバー3からナンバー4に降格なんですよ。はははははははは」


 ほとんどやけくその様に言ってから、技術課長はため息をつく。


「は、あ……」

「さすがに今年はふんばってますが……でもおそらく駄目でしょうね」

「そ、そうですか……」


 彼は言うべき言葉を見失ってしまう。

 ところが急に、技術課長の両の拳が強く握りしめられ、どん、とテーブルを叩く。


「でも、だからこそ! 今日の相手から点を取ったって言うのは大きいんですよ!」

「今日の相手? ですか?」

「アルク・サンライズ! 去年のナンバー3リーグの優勝チームじゃないですか!!」

「サンライズ? えー…… すみません、聞いたこと、無いですが……」

「ああ、すみません、……もしや、ひょっとして、あなたは、ベースボールにはあまり関心が無い……」

「や、そんなことはありません」


 手を上げ、きっぱりと彼は否定する。


「こう見えても、シニア・ハイの頃は、スラッガーで鳴らしたものです」


 ほお、と途端に技術課長の顔が明るくなった。しかしそれはすぐに訝しげななものとなる。


「……でしたら、あの新星サンライズの優勝騒ぎを知らないというのは」


 や、と彼は両手を広げる。


「それが、残念なことに、私、ミリオン星系に居たんですよ」

「ミリオン星系?」

「辺境です。三年ほど…… その辺りを飛び回ってまして。最近帰ってきたばかりですよ」

「ほーお…… それは大変でしたなあ」

「ええまあ。それも、産出鋼を、やはりその附近の辺境惑星群へ卸す仕事でしたので、もうASLの情報なぞまるで。それに忙しかったですからね。もう帰ったら寝るだけのような日々で。がはははははは」


 彼は豪快に笑った。


「そうですか…… いやあすみませんねえ。や、去年、いきなり、やっぱり辺境のレーゲンボーゲン星系にある…… レーゲンボーゲンは、ご存じですか?」

「一応聞いてはいますが。ウチの会社の守備範囲ではないんですがね」

「そこのアルクという惑星から、チームが一つ、去年ナンバー3リーグに入ったんですよ」

「でもレーゲンボーゲンじゃあ、まるで反対ですね。さすがにまだ行ったことは無いですが、結構政情不安な惑星じゃあ無かったですか? 確か、私がミリオンに行った頃には、交替したばかりの政権が、ずいぶんと強引なことをやっていたと聞きましたが」

「そうなんですよ」


 技術課長は大きくうなづく。


「だけどそれが一昨年ですか、その交替したばかりの政権が、クーデターで潰れてしまいましてね」


 ほう、と今度は彼が驚く番だった。


「またずいぶん短命な政権でしたなあ」

「びっくりしましたよ。で、新しく成立した政権が、ようやく帝都本星と仲良くなったのですよ」

「それまではそう良く無かったのですか?」

「まあ~…… そう良くは無かったですね」


 それは大変だったろう、と彼は思う。


「……すみません、ちょっと煙草を吸っても構わないでしょうか」

「どうぞどうぞ」


 彼はポケットからシガーケースを取り出す。厚みのある、革製のその中には、数本の葉巻が入っていた。


「ほう、お珍しい」

「如何ですか?」

「いただきましょう。……しかしまあ、そのレーゲンボーゲンのチームですがね、その成果のせいか、全星域統合スポーツ連盟にようやく登録されましたよ」

「それが、あのチームですか」


 言いながら、彼は背後のTV画面を再び見る。


 打者の縦縞のユニフォームに、この惑星「エディット」の文字が書かれている所を見ると、守っている青いユニフォームのチームが「サンライズ」ということだろう。

 ふんふん、と彼はうなづく。帰りに「Photo&Sports」か「ASL TODAY」を久しぶりに買って帰ろうか、という気分にもなる。

 昔はプレイするのが好きだった。今は観るのが好きだ。

 無くてもまあ、日々過ごせてはいるが、あればあったに越したことはない。


「まあだから、うちのチームなんかもう、そうそう打てるもんじゃないんですよ。けどさっきの騒ぎようからしたら……」

「なるほど……」


 曖昧にうなづいて、彼はではそろそろ話の続きを、と体勢を向き直す。全ては仕事がちゃんと終わってからだ。

 ところが。


 こんっ。


 わぁっ、とまた声が上がる。負けずにアナウンサーの声も上がる。


『おおっと何だあ! “暁の黒鮫”ノブル・ストンウェル、またも失投!』


 マイクをスタンドごと掴み、放送席から立ち上がっていそうな勢いだった。

 書類を揃え直していた彼の手が止まった。


「……あの投手……」

「ああ、確か先発投手で」

『どうしたストンウェルーっ!!』


 アナウンサーの声は、ひどく嬉しそうだった。

 がたん、と彼は思わず立ち上がっていた。



 回転扉を押して、男達がホテルに戻って来た。


「……だからさ、ホントなんですよお」


 一つ扉を回すと、そのついでに言葉までも飛び込んで来る。

 お帰りなさいませ、とドアマンの声が重なる。

 だが話している当人達は、それにはお構いなし。

 どうやら外でも大声で話していたらしいが、どんどんヴォリュームは上がってくる。


「ホントかよ~ 結構お前の言うことは眉唾だしよ~ ダイス~」

「ホントですってば! 昨日ちゃんと俺、ここのTVのコマーシャルで見たんですから」


 そして揃いの青のスタジアム・ジャンパーを着込んだ男達が、続いてぞろぞろと入ってくる。

 ロビーに居た客達の視線が、一斉に彼らの方を向く。

 やや複雑そうな表情が、彼らの上にはあった。何せ今日も、このアルク・サンライズに結局負けたのだ。この惑星のチーム「エディット・トマシーナ」は。


「でもさー、いくら何でもよ、顔の倍ってのはよ」

「そりゃテディさんの惑星じゃあ、膨らむものも膨らまなかったかもしれませんがねえ」

「おい~」


 べし、と跳ね跳ねの髪の小柄なほうが、そうでない方のいがぐり頭をはたいた。


「一体あいつら何を話してるんだよ、ホイ」


 数歩下がって歩いている偉丈夫の男が、斜め前を行く同僚に、身をかがめて問いかける。


「ああ、何でもダイスが昨日、ここのコマーシャルで、すごく大きく膨らむチューイングガムを見たんですって。マーティさんは見ませんでした?」

「……ガムかい……」


 偉丈夫は呆れたように帽子を取ると、ぱたぱたと扇ぐ。


「その話をしたら、ほらテディの奴、信じる信じないはおいといて、とりあえずダイスをからかうでしょ」

「けどガム……なあ」


 ふう、とマーティはため息をつく。


「まあそんなげんなりするなって」


 横から、頭半分背の低い男が肩に手を回し、ぽんぽんとその背を叩いた。その手をさりげなく払いながら、マーティは大きな目を半分伏せる。


「いいけどさ。何かお前今日不調じゃないか? ストンウェル」

「や、……そんなことは無いはずなんだけどなあ」


 即答する。そして首をひねる。


「だってよ、あんただってよく知ってるだろマーティ、ホイもさ、今朝の今朝まで、俺、絶好調だったじゃないの」

「そんなにここの気候ってストンウェルさんに合わないんですかねえ」


 さあ、と問われたマーティも両手を広げる。


「実際俺、体調的には絶好調なんだよ?」


 それは言えてるよな、とマーティとホイはうなづき合う。

 実際、試合前の投げ込みだの柔軟だの走り込みだの、そういった部分では、決して調子悪くはないのだ。


「……きっと俺、繊細なんだわ」

「やーめーてー」


 前方を歩いていた二人が、同時に振り向いた。鳥肌が立ったらしい。


「あんたが繊細って言うんなら、俺なんて病弱だよ」

「俺だって」

「俺だって? 何なに何かな~ ダイちゃ~ん」


 ふふふ、と口元に笑みを浮かべながら、ストンウェルはぐい、と今年のルーキーに迫る。

 冗談ですよお、と言いつつ、思わず手で自身をガードするダイスの顔からは、脂汗がたらりと流れ落ちそうになった。


「やー、でも確かに気持ちがふらふらしてるってのはあるかもしれませんよ」


 追い打ちをかけるように、更に背後から落ち着いた声が飛ぶ。


「あんたまで何だよ、先生」

「メンタルな部分というものは投手にとっては大切ですからねえ。何かしら君の調子を狂わすものがこの惑星の環境にはあったのではないですかね」


 ううむ、とストンウェルは立ち止まる。


「何か、思い当たるフシでもあるのか?」


 マーティが問いかける。


「おや、心配してくれるの?」

「そりゃあチームメイトだしなあ」


 ちぇ、とストンウェルは苦笑し、肩をすくめる。そしてフロントに向かって声を張り上げた。


「ねえここ、禁煙?」


 いえ違いますよ、と声がする。


「だけど吸い殻は所定の場所にお願いします」


 へいへい、と言いながら、ストンウェルはバッグから煙草を取り出した。


「あれ」


 彼はお得意の「プリンス・チャーミング」の箱を逆さにする。


「……ちくしょ、後二本ばかり残ってたと思うんだがな」

「君いっそ禁煙したらどうですか? その煙草、結構強いじゃないですか。ニコチンの作用は……」

「うっせ、俺には大切な大切な煙草ちゃんなのよー」

「それならこれは、どうかい」


 ぐい、と彼の目の前にたくましい腕と、太い指と、……そして葉巻が突き出された。

 ストンウェルは目の前のそれをじっと見る。見て―――

 次の瞬間、一気に5メートルは後ろに跳ね退いた。

 何だ? とマーティはでかい目を更にでかくする。ホイは眼鏡のブリッジを修正する。


「いやあ、久しぶりだなあ、ノブル」


 ははは、と飛び退いたままの姿勢で、ノブル・ストンウェルは硬直していた。


「ったく何だあのザマは!!」


 破鐘を思い切り連打したような声がロビー中に響いた。ひー、とダイスは両手で耳を塞ぐ。

 何だ何だ、と動揺するサンライズのメンバーの中、最初に落ち着きを取り戻したのは、マーティだった。

 そしていきなりの来訪者を慌てて観察する。それは彼の永年の習性だった。

 背は……自分より少し低い。でもストンウェルよりは高いな。けど彼を名前で呼んでいる。……知り合い? 身内? ……


 い?


 マーティは開いた目が塞がらなかった。


「ちょっと待て、ストンウェルお前、等、や、あなたも、……」

「何だよ」

「何だい」


 声がユニゾンになる。二人が揃って、ようやく体勢を取り戻したサンライズレギュラー陣の方を向く。


「げげげ、ネガポジ!」


 確かにそうだった。

 テディの奴上手いこと言うな、とマーティは二人を見比べて改めて思う。

 来訪者の髪は明るい色。明るい瞳の色。

 彼らのノブル・ストンウェルは髪も目も黒。

 だがそれ以外の部分ときたら。

 確かに身長はどう見ても来訪者の方があるけれど。

 マーティはにこやかな顔を作る。去年何処かの雑誌の女性記者から、今度モデルしてくれませんか、と言われた上出来の笑みで。


「あの~ もしかして、ストンウェルの身内の方で……」

「……兄貴だよ」


 ぼそ、と同僚の声が、マーティの耳に届いた。


「……だからかあ…… くそ。やけに頭ん中がむずむずすると思ったらよお……」


 つぶやく弟の頭を、兄はべし、と平手ではたく。


「弟が、お世話になっとります。私、こいつの兄で、ジャスティス・ストンウェルといいます」

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