第5話「フェアプレイ」

「菱谷さんだ」いきなり降り出した雨を避けるために僕は普段使わない駅に来ていた。駅には同じように雨宿りに来た人々がちらほらと見える。

 そこで菱谷さんを見かけたので声をかけた。

 「あー川井君か」

 「菱谷さんも雨宿り?」

 「雨?」僕は少しだけ雨に濡れてしまったのだが菱谷さんは無傷そうである。

 「そ、急に降ってきて」

 「ふーん。で川井君は雨宿り?」

「ん、そうそう。ネット見てもこれから雨になるって感じじゃないし。雨宿り兼暇つぶし」予報では今日雨が降るなんて言ってなかった。だからこれはすぐやむと思うのだが。

 「確かに。駅ビルだからね。ここ。本屋くらいはあるよ」

 「菱谷さんは電車通学?」

 「んや。普段は自転車。今日はたまたま徒歩」

 「いいねー健康的で」

 「あは。なにその褒め方」

 「いや、フツーに思ったことを言っただけなんですけど。ウケるとこあった?」

 「うんうん。なんか胡散臭かった。あはは」

 「これって怒っていい案件だよね」

 「そうだね」

 「ま、いいんだけど」

 「怒らないんだ」

 「平和主義者なので」

 「はは。やっぱり川井君はいいわー」

 「なんか褒められてる感じしないんですけど」

 「いや。これは褒めてる。まじで」

 「まー褒められるのは悪い気はしないで。もっと褒めていいんですよ」

 「うざ」

 「だよねー」と言って二人で笑った。

 「菱谷さんはなんで駅にいたの?」

 「ん、本屋に寄ってこうと思って。さっきまで本屋いて、今から帰ろうかなって」

 「運が悪かったね」

 「そうだね。でもま、すぐ通り過ぎるでしょ?」

 「たぶんね。じゃ菱谷さんはこれからどうするの?」

 「だねー」

 「僕は本屋冷やかすけど」

 「んーじゃ私も一緒に行っていい?」

 「いいけど。さっき行ったばっかなのにいいの?」

 「しゃーないさ。それに川井君がどんな本見るのか興味あるし」

 「なるほど・・・でどこに本屋あるの?」

 「三階だね」

本屋到着。

 「川井君ってどんな本読むの?」

 「あー色々?」

 「本読むのは知ってるけどさー川井君スマホで電子書籍でしょ?何読んでるかわからないから気になってたんだよね」

 「なる。確かに電子書籍だと何読んでるのかわかりづらいよね」

 「私は機械苦手なんで紙派」

 「菱谷さんも読むほう?」

 「先に私の質問に答えてよー」

 「あ、ごめんごめん。僕はホントいろいろなんだけど・・・そうだね。列挙するのも面白いかもね」

 「列挙?」

 「日常もの、推理、sf、ラブコメ、恋愛、ギャグ、不条理、ホラー、哲学、科学系、衒学あとは・・・」

 「ホントに色々だね」

 「乱読家だから」

 「私は、現代が舞台の奴かな・・・」

 「ああ、言いたいことはわかるよ」

 「川井君はさ。書くの?」ここまで言われて気づかない僕ではない。

 「小説を?」

 「そ」と短く。何かをためらうように。だから。

 「書くよー」と軽く返した。

 「隠さないんだ」と菱谷さんはちょっと拍子抜けしたようだった。

 「本好きは一度は書いてみたいと思うもんさ」と本心だが核心を隠した言葉を言う。

 「私は思わなかったけど」と苦笑。

 「そう?」と僕もとぼける。

 「将来は小説家?」と聞くので。

 「なれたらいいなー」とテキトーに本心を言う。どうでもいいように言う。これは不誠実だが、本心を真顔で話せるほど僕はまだ自分の夢に自信がないし、勇気もない。

 「ガンバ」と、これはうわべだけの会話だ。夢を持っている人には応援しないといけないから「する」だけであり「僕が夢を見ているから」応援するのではない。そういう反応を僕は引き出したのだ。これ以上深入りされないように。これは不誠実だ。菱谷さんが何かを言おうとしているのに気付いているくせに。これはよくない。

 僕らは新刊の平積みを見ながら歩く。

 「なんか注目の作家とかいる?」と菱谷さん。

 「んー最近は古典推理を読むことにしているから・・・話題作とかは押さえてないんだよね」

 「なるほど」

 「菱谷さん最近何読んだの?」菱谷さんは映画化された話題作の名前を挙げた。

 「それって映画化前から知ってたの?」

 「んにゃ。映画で話題になったから」

 「映画は見たの?」

 「うん、で小説ではどうなってるのかなって」

 「なるほど。面白かった?」

 「うーん。微妙。てか勉強がてらに読んでる感じかもね」

 「勉強?」

 「私、アニメーターになりたいんだ」とそれは初耳だった。

 「へぇ。そうなんだ」いつも漫画系イラスト描いてるから、こちら側の人間なのは知ってたけどアニメーター目指してるのは初耳だ。もしも、この夢が話しやすいモノだったら、もうすでにどこかで聞いていたはずだ。なのに初耳ということは、菱谷さんはこれを隠していたのだろう。それを何でここで僕に言うのだろうか?

 「あまり言ってないしね」あまり?とは女性陣はしっているんだろうか?

 「小説読むのってどういう風に勉強になるの?」僕は深入りしないで、気づいていないように話を進める。

 「うーん。例えば文章を見てそのイメージをどう動画にするのかって考えるのが好きなのかな。自分でもよくわからん。これがいい方法なのかも。でも頭の中のイメージを紙に書くのは無駄とは思えないんだよね」

 「ネットで活動とかはしてる?」

 「してないねーしてても絶対教えないけど。あはは」と言って笑った。つられて笑う。

 「確かに。僕も自分のペンネーム身内には絶対教えないわ」

 「えーなんか賞とったら教えてよーみんなで祝おうよ。焼肉行こう」

 「なぜ焼肉」

 「祝い事と言ったら焼肉でしょ」

 「そのあたかも常識であるかのように」

 「あはは。ま、お互い頑張りましょうや」うわべだ。すべては。うわべ。本心には踏み込ませない。踏み込まない。お互い無謀な夢を持つ者同士というそれ以上にはならない。菱谷さんが何に悩んでいるのか、苦しんでいるのか、そういうことは、そこまでは踏み込まない。それは僕も同じ。僕の苦悩には近づけさせない。だからこれはうわべ。一見秘密を共有したようでいて、実のところ心は一センチも近づいていない。

 「そうだね」と僕が同意すると思い出したように菱谷さんは「あ、この話、ほかの人に言わないで」といった。やはりこれは秘密なのだった。

 「ん。わかった」

 「理由聞かないの?」

 「いや、隠し事の一つや二つくらい生きてりゃあるでしょ。というかなんで僕に教えてくれたの?」

 「川井君の将来の夢聞いちゃったし」

 「?」

 「フェアじゃないじゃない?自分の夢話さないの」僕は馬鹿だ。僕は僕のつくり出した菱谷さんの形をした心の壁を彼女に当てはめていただけだ。彼女の方はそんなこと考えもしなかったのに。応援されるのが苦しいから。これは「うわべ」の会話だと予防線を張った。うわべということにしておけば。傷つかないで済む。うわべのつもりだったのは僕だけだ。これは不誠実だ。これはよくない。

 「律儀な人だなぁ」

 「褒められた気がしないんだけど」

 「いや、かっこいいなと思って」今度は本心だ。なのにすべてが手遅れで。何もかもが嘘っぽく聞こえる。

 「かっこいいって」

 「かっこよくない?」

 「・・・いや、自分じゃよくわからんし」と口ごもる菱谷さん。恥ずかしそうにしているので僕は話題を変える。

 「お、これ文庫化したんだ」と文庫落ちを待ってた本を見つけた。

 「なになに?」

 「ちょっと気になってたんだけど。二千円くらいしたから見送ってた本が文庫落ちしたんだ」

 「買うの?」

 「どうするかなー」結局僕らは何も買わずに本屋を後にした。

 駅ビルを出ると雨は上がっていた。

 「ホントに降ってたの?」

 「降ってたよーほら地面濡れてるじゃん」

 「あ、ホントだ」

 「菱谷さんは運がよかったね」

 「確かに」

 「んじゃ、僕は帰るね」言わないといけない言葉がある。なのに。それはどうすればいいのか。わからない。

 「私も帰るよ」と僕らは歩きだす。同じ方向に。

 「川井君もこっち?」

 「うん。菱谷さんも?」

 「うん」

 「ま、もう少しお喋りしながら行きますかー」

 「そだね」

 「あ、でもいいの?」

 「何が?」

 「いや、変な噂になるかも」

 「今日日、男女が一緒に帰ったくらいで付き合ってるなんて発想。短絡の極みだよ」

 「僕は古風な人間だったのか」

 「くふふ。うける」

 「え、笑うところあった?」菱谷さんは少しの間笑った。

 そして突然、何でもないような話みたいに。

 「自分の夢に自信ある?」と聞いてきた。

 「どういうこと?」わかりきった話だ。なのに僕は聞き返す。

 「自分の夢を人に語るときに恥ずかしいと思うかってこと。子供っぽいとか無理なこと目指してるとか。そういう風に思ってさ。自信がないかどうか」これは「うわべ」じゃない。いや、彼女は最初からそのつもりはなかった。僕が単に逃げただけだ。だから今度こそ本心を言おう。その質問に僕ははっきり答えた。

 「怖いよ」

 「うん」

 「本心を言って、本心を懸けて。それが否定されるのは。怖い。だから普段は隠してるよ。自分のやってることが本当は意味がなくて、恥ずかしいことなのかもしれない。いつも誰かから笑われてるんじゃないかと思ってる。でも」

 「でも?」

 「そうやって止まったり躓いて逃げても。僕は戻ってきちゃうんだ。ここに。自分がやりたいことに。戻ってきちゃうんだよ」

 「そか」

と言ってそれから道が分かれるまで菱谷さんはしゃべらなかった。

 別れ際。

 「ありがとね」と。

 それで何となく伝わったので。何が?とは聞かず。

 「どういたしまして」と答え、僕らは家路についた。

 自分の夢に自信を持てるか?

 正直怖い。

 小説家目指してますってポーズは取れる。それが本気だと言うこともできる。でも、心の奥までは見せない。

 そう言っていれば、それ以上聞かれないからポーズをとっているだけだ。

 自分が何を大切にしていて、どれほど本気なのか、そういうものは誰にも言わない。踏み込ませない。誰にも踏み込まない代わりに。そう生きてる。

 誰にでもそんなものを語れる人なんているのだろうか?

そう思いながら、なのに僕はうわべだけの会話を不誠実だと思う。

 誠実でいたいけれど、僕にはまだ無理だ。

 勇気が足りない。

 自信が足りない。

 いつか誰にもはばかることなく。

 いつか誰もが笑ったとしても。

 気にせずに夢を語れるようになったら。

 それは大人ってやつなんだろうな、と。僕は思う。


●了

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