第51話 魔王の息子、お誘いを受ける

 魔王バエルに対抗する勇者や魔術師を養成するために設立されたグランレイヴ魔術学院ではあるが、毎日授業が行われているわけではない。


 正規の軍人や魔術師であれば休みなく働くことも当然ある。

 無論、普段から頻繁にあるわけではなく有事の際などに限られるのだが。

 彼らのそれは仕事であり、働くことで対価となる給金をもらっているのだ。

 愚痴や不満など漏らすことはない。


 しかし、グランレイヴ魔術学院に通う生徒たちは違う。

 各国から選ばれた優秀な生徒であり、自ら望んでやってきてはいるのだが、それでも年相応の少年少女である。

 休みなしで常に戦う技術を磨くことに専念していては、肉体的な負担はともかく精神的な負担に耐えられないだろうと運営を任された勇者協会のオルフェウス学院長は考えた。


 そこで、グランレイヴ魔術学院では週に一度、生徒たちへの休息日を設けている。

 これは生徒たちのためだけではなく、教える側の負担軽減という側面もあった。

 教えられる生徒の人数に対して、教える側である教師の数が圧倒的に少ないのだ。

 彼らにも休息は必要であった。




 そして、今日は生徒たちが待ちに待った休息日である。


 ゼノス・ヴァルフレアの朝は早い。


 朝食の二時間前には目を覚まし、入念なストレッチを三十分ほど行う。

 ストレッチを終えると、中立都市グランレイヴの外壁に沿って軽くランニングを行っている。

 ちなみに一周はおよそ二十キロほどだ。

 軽くといってもそれはあくまでゼノスの感覚である。

 魔術的な補助もなく一周を二十分で走る。

 しかもそれを三周続けて休むことなくである。

 これを毎日続けていた。


 ランニングから戻り、風呂で汗を流してから着替えてから朝食を摂る。

 その後は教室に向かい、授業を受けるわけなのだが、今日は休息日だ。

 つまりフリータイム。


 普段であれば部屋でゆっくり過ごすか、都市の外に出て魔族を狩りに行くのだが、この日は違った。

 ベッドに寝そべっていると、コンコンと扉がノックされた。

 休息日であろうとなかろうと、ゼノスの部屋を訪れる者は少ない。

 誰かと思って出てみると、そこにはイリスがいた。

 いつもの制服ではない、真っ白なワンピース姿だ。

 彼女の斜め後ろには侍従のロゼッタが控えている。

 こちらは普段と変わらずメイド服だ。


 うお、やっべえ……。

 可愛すぎるじゃねーか。


 ゼノスはイリスに見蕩れていたが、それはイリスも同じであった。


 はああああ、ゼノスの筋肉……。


 いつもは制服の下に隠れているが、ゼノスの肉体は同年代の男子に比べて鍛えられている。

 しかもマッチョというほどムキムキではなく、ほどよくついたしなやかな筋肉。

 いわゆる細マッチョというやつである。

 部屋で寛いでいたゼノスの格好は黒の半袖シャツに黒のパンツ。

 

 いつもは見えないところが見えている。

 それだけでイリスは興奮していた。


 二人とも暫く固まっていたのだが、ロゼッタのコホン、という咳で現実へと引き戻される。


「いきなり来てごめんなさい。忙しかったかしら?」

「いや、そんなことはねえけど」


 イリスの口調が妙に早い。

 目も伏し目がちで合わせようとしないし、両手をもじもじさせている。

 いつもと様子が違うのは明らかだった。

 そんなイリスにロゼッタが「姫様」と声をかける。


「姫様から話しにくいのでしたら、私が代わりにお伝えすることもできますが?」

「だ、大丈夫。問題ないわ」


 ゼノスは首を傾げる。

 イリスと出会ってからそれなりの時間が経つ。

 しかも内密とはいえ二人は恋人同士だ。

 確かに二人きりになるとドキドキする。

 いや、それは今もなのだが話ができないというわけではない。

 

「……ゼノス、今日って時間は空いている?」

「特にこれといった用事はないぜ」

「そう、よかった」


 イリスは安堵の表情を浮かべた。

 だが、直ぐに顔を引き締めてゼノスを見る。


「あの、あのね。ゼノスさえよければなんだけれど。買い物に付き合ってくれないかしら?」

「買い物?」

「ええ。店で悩んでいるものがあるんだけど、ロゼッタだけじゃなくゼノスの意見も聞きたいの」

「俺の意見ねえ、別に構わねえけどよ。それだと俺が好きかどうかっていうことになっちまうぜ」

「……だからいいんじゃない」

「え?」

「な、なんでもない。こっちの話」


 なぜ自分の意見を聞きたいのか、そのあたりが分からない。

 悩んでいるものが何なのかはともかくとして、イリスが気に入ったものを買えばいいのではないか。

 そう思いはしたが、せっかく愛しいイリスが誘ってくれたのだ。

 断る理由は見当たらなかった。


「いいぜ、どうせ暇だったし。イリスの買い物とやらに付き合おう」

「ほ、本当!」

「おう」

「ありがとうっ」

「よかったですね、姫様」

「ええ!」


 イリスの喜ぶ姿を見ているだけで、ゼノスも自然と嬉しい気持ちがこみ上げてきた。

 が、不意に見覚えのある人物が視界に入ってきた。


「あー、イリス。買い物は後ろにいるのも一緒か?」

「へ? 後ろにいるのも……?」


 イリスが振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべるレティシアがいた。


 周囲を警戒していたのにいつの間に……。


「レ、レティシア……」

「ゼノスとお出かけするのでしたら、私もご一緒してもよろしいでしょうか? ちょうど私もイリス様が向かわれるというお店に用があるんです」

「それは……」

「あら? 私についてこられては困ることでもおありで?」


 大有りよ! と思わず叫びそうになったがグッと堪え、イリスは思考をフル回転させる。

 一番知られたくない相手にバレてしまったのは非常に痛い。


 ――レティシアに邪魔されないようにする手は……ないわね。


 レティシアにバレてしまった以上、どう足掻いたところで彼女は同行しようとするだろう。

 そして、それを防ぐ手立てを考える時間はイリスにはなかった。


 イリスはレティシアに勝るとも劣らない笑みを浮かべて言った。


「いいわ。貴女も私たちと一緒に行く。ただし、抜けがけはしないこと、それでいいわね」

「先に抜けがけをしようとした方がそれを仰りますか」

「……なんのことやら」

「まあ、よいでしょう。ご一緒させていただけるのでしたら構いません」

「決まりね」


 どうせ邪魔をされるのなら、目の届く範囲に置いておくほうがいいし対処もしやすい。

 予定からはずいぶん逸れてしまったけれど大丈夫。

 

「えーと、この四人で行くってことでいいんだな」


 イリスとレティシアがほぼ同時に頷いた。

 まるで姉妹のように息のピッタリ合った頷きに、つい笑ってしまう。


「? どうしたの?」

「いや、なんでもねえ。それじゃあ、行くか」

「ええ」

「はい」


 近くの椅子にかけてあった上着を掴むと、ゼノスは三人を連れて外へ出た。

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