第45話 魔王の息子、心配される

 アルヴィナ先生がやって来てから一週間。

 

 お喋りが苦手なのかそれとも嫌いなのか、彼女が言葉を発することは授業以外にほとんどなかった。

 授業でも必要最低限の会話しかせず、表情は常に無表情。

 怒ることもなければ、笑うこともない。

 悲しむこともなければ、喜ぶこともない。


 だが、アルヴィナ先生の評判はどちらかと言えば良かった。


 それは主に男子生徒によるものだ。


 無理もない。

 露出度が低い服装とはいっても生地の面積が多いというだけで、体のラインがよく分かるものだった。


 服で隠れているものの協調された丸みを帯びた胸に、スカートから覗く褐色の太もも。

 周りの女子生徒にはない大人の魅力がそこにはあった。

 年頃の健全な男子であれば、ほぼ間違いなく視線を向けてしまうだろう。

 

 では、女子生徒の評判はどうかといえば、意外にも悪くなかった。


 アルヴィナ先生が男子生徒に関心を抱いていないことや、媚びるような態度を見せていないことが最大の理由だ。


 これが例えば男子生徒に対して色目を使うようなことでもあれば、きっと女子生徒の評判は悪かっただろう。


 しかし、アルヴィナ先生は誰に対しても表情をまったく変えない。

 まるで感情が存在していないかのように。


 一部の男子生徒や女子生徒からは、そのミステリアスなところが良いという声が上がるほどだ。


 授業を終えたばかりのゼノスに、隣に座っていたイリスが声を掛けた。


「どうした?」

「ゼノスは他の男子のようにアルヴィナ先生を見ても騒がないのね」

「騒ぐ? なんでだ?」

「アルヴィナ先生って、その……大きいじゃない。ゼノスも大きい方が好きなんじゃないかって」

「大きい方が……?」


 ゼノスが問い返す。


 男子生徒がアルヴィナ先生――特に胸や太ももをチラ見しているということはゼノスも知っている。

 それが周囲の女子生徒にバレバレだということも。

 

 アルヴィナ先生の色香に惑わされていないのは、ゼノスとユリウスくらいだ。

 

 ユリウスは帝国の第一皇子という立場もあり、人前で弱みとなるような場面を見せることはない。

 

 ゼノスがアルヴィナ先生に夢中になっていない理由は簡単である。

 彼にとって唯一魅力的な存在は、いま隣にいるイリスだからだ。


 アルヴィナ先生がいくら扇情的な体つきをしていようと、目を奪われるようなことはない。

 

「だって、私のはアルヴィナ先生と比べたら大きくないし」

「なんだ、そんなことを気にしてんのかよ」

「気になるわよ……」


 ――大きい方が好きって言われたら、どうしようもないもの。


 イリスは自分の胸を見る。

 小さくはない。

 同年代の子たちと比べれば大きい方だし、形だってキレイに整っていると自分では思っている。

 

 しかし、だ。

 アルヴィナ先生と比べると悲しくなってしまう。

 如何ともしがたい差があるのだ。

 

 そんなイリスの姿に、ゼノスはフッと小さな笑みをこぼす。


「な、何がおかしいのよっ!」


 ――人がこんなに悩んでいるっていうのに。


 ゼノスはキョロキョロと周囲を見渡し、他に生徒がいないことを確認するとイリスの頭を軽く撫でる。


「安心しろよ。俺が夢中になるのはイリス、お前だけだ」

「……本当?」


 そう問いかけるイリスの瞳は、どこか不安げだ。


「ああ」


 ゼノスはあくまで優しく、労わるような声で言葉を続けた。


「これだけは知っておいてくれ。イリスとずっと一緒にいること。それが俺の望みだ」

「……っ!!」


 そのためにはどんな障害があろうと関係ない。

 勇者にだってなってやるし、イリスの中に眠るルキフェの魂を狙う奴らが来ようとぶちのめす。

 俺とイリスの未来の邪魔はさせねえ。


「ん? どうしたイリス」

「いっ!? な、なんでもないわっ」


 イリスは恥ずかしそうに目を逸らした。


 ゼノスの言葉が求婚しているように聞こえたのだ。

 事実、他の者が聞いていたなら皆、イリスと同じことを考えただろう。


 イリスは飛びつきたくなるのをグッと我慢する。


 ――落ち着きなさい、イリス。

 ここは教室、教室なのよ。

 私は王国の姫君で彼は共和国の一国民という立場。

 今はまだ、普通のカップルのようにベタベタするわけにはいかないの。


 学院内にロゼッタという協力者はいるけれど、他の者に決定的な場面を見られるわけにはいかないのだ。

 

「ゼ、ゼノス。その……誰が見てるか分からないから、手をどけてくれないかしら」

「悪い、そうだったな」


 あまりにへこんでいるイリスの姿が愛らしかったから、つい手が出てしまった。


「まったく。……せめて人目のないところでしてよね」


 ――人目がなかったらいいのかよっ!?


 とは聞き返せなかった。

 

 もし、イリスから「いいわ」と返されでもしたら……。

 ゼノスは我慢できる自信がなかった。

 

「……分かった」


 そう返すだけで精いっぱいだった。


 これで話は終わりかと思っていたゼノスだったが、まだ続きがあった。


「ねえ、ゼノス」

「ん?」

「じゃあ、なんでアルヴィナ先生を見てたの?」


 ゼノスは目を見張る。


「気づいてたのか」

「当たり前でしょ。好きな人がどこを見ているのか気になるもの」


 それが自分ではなく綺麗な女性に向けられているのであれば、尚更だ。

 ただ、他の男子生徒のようにイヤらしい目つきではなかったので、余計に気になった。


 ゼノスが嘆息を漏らす。


「俺だけで解決したかったんだけどな」

「やっぱり。何か気になることがあるんでしょう?」

「ちょっと気になることがあってな」

「私には言えないこと?」

「そんなことはねえよ」


 イリスはジッとゼノスを見つめて、次の言葉を待っている。

 

「イリスのことを見てたんだよ」

「見てたって、アルヴィナ先生が?」


 イリスが困惑の表情を浮かべる。

 どうやら、自分に向けられている視線には気づいていなかったらしい。


「しかも、着任当日からだ。表情がまったく変わらないから、何を考えているかはさっぱり読めねえけど、注意しといたほうがいいと思ってる」

「もしかして……?」


 イリスの頭に浮かんだのは、ウィリアム先生とカイナに襲われた件だ。

 まさか彼女もそうだというのか。


「あくまで可能性の話だがな」


 イリスは不安そうに顔を曇らせた。


「……やっぱり、私の中に魔王の魂が眠っているから」


 悲しそうに目を伏せる。


「それが何だってんだ」

「え?」


 イリスが俯いていた顔を上げる。


「俺がイリスを守る、どんな奴が相手だろうとな」


 そのために力を解放することになっても構わない。

 

「……もっと強い魔族が来たとしても?」


 そう問いかけるイリスの瞳には、涙が溜まっていた。

 ゼノスは安心させるように力強く、不敵に笑った。


「当たり前だ。誰にも俺とイリスの邪魔はさせねえ」

「ふふ……」

「……何で笑うんだよ?」

「ううん。ゼノスなら本当に何とかしちゃいそうだなって思って」


 そう言いながら、イリスは満面の笑みを浮かべた。


 ゼノスは綺麗だと思った。

 

 ――何が何でも絶対に守ってみせる。


 イリスを好きなこの気持ちは本物だから。

 ゼノスは二人きりの教室で、そう決意した。

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