第30話 魔王の息子、怒る

 ゼノスがいる森から一キロほど離れた場所。

 そこで、遠くにある対象物でも近くにあるかのように見ることができる魔道具を用い、ヒュドラの破片が宙に舞う様子を眺める少年がいた。


「ば、かな……」


 小刻みに唇を震わせているのはダインだ。

 

「くそっ!」


 ダインは口をへの字に曲げ、苦り切った表情で舌打ちした。

 これが最後のチャンスだと言って男が用意したヒュドラ。

 単体で町一つを壊滅させる力を持つ、ミノタウロスを超える化け物だったはずだ。

 それをあの男――ゼノスは、いとも簡単に倒してしまった。


 ――ありえない!

 レベル15のヒュドラは、魔力レベル60以上の熟練魔術師が数人がかりでないと倒せないと聞いたことがある。

 奴は一人でそれに匹敵するというのか!

 

 そんなことができる者など三国でいったい何人いるだろうか。

 まさに英雄の領域である。

 ダインが望む、目指すべき理想といえる姿があの場にあった。

 

 ――俺にあの力があれば……。

 ユリウス様も認めてくださる。レティシア様も俺に振り向いてくださるに違いない。

 そうだ、力だ! 力さえあればきっと!


 ダインの欲望は歪んでいた。

 自分自身が努力して少しずつでも前に進む道ではなく、外法に頼り一足飛びで力を得る道を選んだ。


 ゼノスの力が本物であることは、直に見てしまった以上は疑いようもない。

 不意打ちを狙ったところで、今の自分ではまるで歯が立たないだろう。

 だが、あくまで今のままであれば、だ。

 ダインは男から渡された魔法石を取り出す。


 これを使えば魔力レベルが10倍になるという。

 ダインの魔力レベルは入学時より1上がり、現在は11だ。

 10倍になれば単純計算で110になる。

 ゼノスがどれだけ強かろうと負けるはずがない。

 ただし、ゼノスはおまけでしかない。

 本命は彼女――なのだから。

 真っ赤に光り輝く魔法石を眺めながら、ダインは落ち着きを取り戻した。


 ――ここでやるか……いや、ダメだ。


 ダインは左右に首を振る。

 あそこにはレティシアがいる。

 彼女に姿を見られてしまえば計画は台無しだ。

 せめてレティシアがいないときを狙わなければ。

 一番いいのはイリスが一人になった時だ。

 もう魔族による襲撃はできないが、この魔法石さえあればチャンスはいくらでもある。

 そう、いくらでも。


 その時である。


「……なめられたもんだぜ」


 それはダインの背後から発せられた。

 ダインは直ぐに振り返ろうとした。

 しかし、それは叶わない。

 何故なら、ダインが振り返ろうとする前に、ゼノスがダインの手を掴んで持ち上げ、地面に叩きつけていた。


「ガァッ!」


 肺から空気をしぼりだされたような苦鳴が、ダインの口から放たれた。

 ゼノスが組み伏せた胸を抑える膝の圧力を強めると、ダインは更に苦痛のうめき声を上げる。


「遠くで高みの見物かよ。てめえで何をしたか分かってんだろうな」


 ゼノスの一切の手加減なく放射した鬼気をまともに浴びたダインは、歯をみ合わすことすらできず、口元と頬を痙攣けいれんさせていた。

 頭の中はぐしゃぐしゃに混乱している。


 ――なんで、いったい、どうやって……分からない、分からない!?


 ダインのいる場所からゼノスがいた場所までは一キロ離れている。

 少々思考にふけっていたとはいえ、短時間で来れる距離ではない。


 ヒュドラを倒した後。

 ゼノスは魔力探知にかかる反応に気づく。

 それがダインのものだと分かるまでに数秒も要さなかった。

 イリスとレティシアにその場から動かないように伝えると直ぐに駆けだし、姿が見えなくなったところで転移テレポートを使用したのだ。


「あれだけ毎日殺気を振り撒かれたんだ。いやでもてめえの魔力を覚えちまうぜ。離れてるからって俺が気づかないとでも思ったか?」


 そんなことを言われても、ゼノスの魔力探知を知らないダインに分かるわけがなかった。

 だが同時に、ダインは理解せずにはいられなかった。

 ゼノスの殺意をはらんだその眼差しに。

 決して触れてはならぬものに触れてしまったのだと。


「ミノタウロス、ゴブリンロードにゴブリンキング。それに、さっきのヒュドラ。一人でやりました、ってわけじゃねえだろ? 誰にそそのかされた?」


 ダインが首謀者ではないことは初めから分かっている。

 あれだけの魔族を貴族とはいえ、一人の少年が用意できるはずがない。


 ダインは全身を突き刺すような感覚に襲われる。

 答えてしまえば、この恐怖から逃れることができるのではないか。

 そんな考えが頭をよぎる。

 ただし、言ったが最後、自分の夢は完全に潰えてしまうだろう。

 

 ――こうなったら!

 コイツをやるしかないっ!!

 

 危険ではあるが、魔法石を使ってゼノスの命を奪う。

 ダインが夢を繋ぐには、これしかなかった。

 実行に移そうと試みるが、手に持っていたはずの魔法石がない。


「もしかして、探し物はこれか?」


 ゼノスは組み伏せたダインに、右手を近づける。

 そこには先ほどまでダインが持っていた真紅の魔法石が握られていた。

 ダインを持ち上げた際に、魔法石も奪い取っていたのだ。


 魔法石を調べる。

 強制的に対象の魔力レベルを引き上げる魔法が込められていた。

 こんなものは外法だ。

 使った後にどんな影響が出るか、分かったものではない。


「こいつは……やべえな」


 そう言って、ダインへ冷ややかな視線を投げた。

 ヒッ、と情けない声をあげるダイン。


 ――ったく、そんなことも分からねえのか。

 

 ゼノスは呆れると同時に強い憤りを覚える。

 首謀者はダインを切り捨てるつもりだったのだ。


 だからといって、ダインがしたことを許すつもりなどない。

 ゼノスがいたからこそ何事もなく終わったものの、そうでなければ最初のミノタウロスでイリスは死んでいた。

 そのことに対しては、きっちりと罰を受けてもらう。


「立ちな」


 左手でダインをぐいっと持ち上げる。

 

「戻ったら洗いざらい吐いてもらうぜ。っと、その前に――『イグニス』」


 次の瞬間、ゼノスの右手に収まっていた魔法石が砕け散った。


「あ、ああ……もったいない……」


 まだそんなことを言ってやがるのか、とゼノスは侮蔑ぶべつの表情を浮かべる。

 ダインが何を望んでいるのか、ゼノスには分からない。

 ただ、自分の望みを叶えたいのであれば、自分自身が積み重ねた先にしか道はないのだ。

 一足飛びで叶う夢など、まやかしでしかない。

 

「こんな物騒な代物、壊すのが一番いいんだよ。甘い、楽な誘惑があっても抗え。明日から頑張る、じゃなくて今日から頑張ってみろ。そうすりゃ、また道は拓けるはずだ。ま、てめえにその気があるかどうかは分かんねえけど」


 ゼノスが諭すように静かに言う。

 その言葉にダインは目を見開き、がっくりと項垂うなだれた。

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