眠りの森 10年眠り続ける姉<片平梨花>
ゆさゆさと肩を揺すられ、目が覚めた。
「お姉ちゃん、桃香ちゃんのお姉ちゃん。起きて。起ぉきぃてぇー」
……誰? 私を、呼ぶ声がする。近づいてくる……子供の声……女の子?
目を開けようとするが、眩しい。ここは、どこだろう……土と、濃厚な樹木の匂い……と、プリン?
片手を翳し、薄く目を開ける。チラチラと降り注ぐ白い光を遮ってくれている、影。こちらに覆いかぶさっているのは……声の主だろうか。
「あ、起きた。よかった」
不意に声が近づき、すぐ真上から聞こえた。と同時に、目が焦点を結びこちらを覗き込んでいる少女の像を映した。声が近づいたんじゃない、さっきからこの少女が私に話しかけてたんだ。
「あの、ここは……」
いろいろ聞きたいけど、なんだか頭がぼんやりしている。声も掠れて。
「初めまして。延江碧です。9歳です。あなたは?」
……私? 私は、えっと……そう。
「片平、梨花。17歳」
少女の瞳が、キラッと光った。ヨシ、とでもいうように、小さく頷く。なんなの? ヨシ、じゃないよ。さっぱりわかんない。
「あなたの妹、桃香ちゃんから伝言です。『江木亮介は死んでない。江木くんは、生きてピンピンしてる。だから、目を覚まして』」
……え? いま………
「もう一回言うね。江木亮介は、生きてる。あたしさっき、一緒にプリン食べたもん」
「えっ、江木くんが、生きてるぅ?!」
ガバッと跳ね起きると同時に、全ての記憶が蘇った。登り坂の上、怒った顔の江木くんと泣きそうな桃香、掴んだ学ランの布地の感触、驚いて目を見開いた江木くんの顔、スローモーションで階段を転がり落ちる姿、そして……石畳にみるみるうちに広がる、血溜まり。
「嘘……だってあんなに高い階段を落ちて、たくさん血が出て」
「ほんとだよ。江木さん、生きて元気にしてるよ。ちょう背が高くてゴツイし、ちょっとスマートなゴリラみたいだよ。もっちさんの旦那さんと同じくらい。だから大丈夫」
へなへなと、力が抜けた。体がくにゃりと曲がり、投げ出した脚におでこがくっついた。体は丈夫とは言い難いけど、柔軟性にだけは昔から自信があるのだ。て言うか、もっちさんって誰? ってのはまぁ置いといて……
「よ……かっ、たぁぁぁ……」
長いため息と共に、心の声が漏れ出る。
死なせてしまったと、思っていた。絶対に死んだ、って。だって真後ろに倒れて、石段を何回も転がって……真っ赤な血が、泡立って広がって………でも、生きてる。生きてるって。
「あいつ、不死身か……」
お腹の中が、揺れる。心臓の鼓動と一緒に、お腹が揺れる。喉の奥からクツクツと音がする。突然、感情が爆発した。
「あっはっはっは! 生きてるって! 生きてるってことは、死んでないってことじゃん! 私、人殺しじゃなかった……だって、生きてるって……よかった! よかったぁぁ生きてる! あーはははは!」
頬に熱いものが流れる。止まらない。笑いも、涙も。
「しかもゴリラ……スマートなゴリラだって! スマートなゴリラで、プリン食べて……あっはっは、おっかしい」
「ううん、プリンは私と桃香ちゃんが食べたの。江木さんは大福を」
「うくっ、キャーーーハハハハ!! 大福! ゴリラ大福! だめだおかしい……」
おかしくて、笑いすぎて、息が出来ない。だめだ、しぬ。笑い死ぬ。あ、お腹鳴った。プリンだ大福だって聞いたら、キュウッてお腹鳴った。何これウケる。
……ん? え、ちょっと待って。おかしくない?
堰を切った様な安心感と笑いの洪水が、するすると退いていく。
……江木くん、どちらかといえば痩せ型だと思うけど……バスケ部の中でも細い方で、全然ゴリラぽくないし、どっちかっていうと鹿とかガゼルとかそんな感じで………それにこの子、なんでそんな困った様な顔してるんだろ。ってか誰?
怒涛の如き笑いから立ち返った梨花は、ふと冷静になった。
こちらを見下ろす少女と、繋いだ手。地面にはお布団みたいな、しっとりした分厚い苔。背後には、ほとんど倒れかけている樹。夥しく折り重なる緑色に、チラチラ瞬く眩しい木漏れ日。濃密な草の匂いと酸素、うっすらとした靄。何一つ音のない、深い森……
「えっと、ごめん。君、なんて言ったっけ、名前。江木くんの知り合い? って言うかさっき、桃香からの伝言とかって」
「うん。あたしは延江碧。サファイアってあるでしょ? 綺麗な青色の宝石。日本語だと、碧玉っていうんだって。その、へきぎょくの『へき』っていう字なの。桃香ちゃんとは病院で知り合って、江木さんには今日初めて会いました」
「ふうん。綺麗な名前ね……って、え、待って。今病院って言った?! 桃香、怪我したの? それとも病気?!」
「ううん、桃香ちゃんはなんともない」と少女が首を振るのを見て、とりあえずホッとした。でも、じゃあ、この子の気詰まりそうな表情は……?
「入院してるのは、梨花ちゃんの方。江木さんが怪我して梨花ちゃんが気絶して、入院してから……あの、10年経ってます。その間梨花ちゃんはずーっと眠ってて、桃香ちゃんはその看病で病院に通ってて」
………ヘーイ、お嬢ちゃん。今、何て? 何か変なこと聞いた気がするけど。気のせいかな。
「で、あたしは、手を繋いで寝た人を自分の夢に連れて来れるの。そこが、ここ。眠りの森。現実のあたしは今、病院のベッドで梨花ちゃんと手を繋いで寝てて……」
…………ヘイヘーイ、ベイビィ。ちょっと待つんだ。お姉さん、さっぱりわからないよ。君は何を言ってるんだい? ……って何、このテンション。インチキ外人みたいな口調、どっから来た。何かさっきから頭が変だ。混乱してふわふわぐるぐる、貧血みたいに……
「梨花ちゃん、顔が固まってる。大丈夫? あたしの話、わかりますか?」
えっと、待って。要約すると、つまりこういうこと?
私はあの時、帰宅途中で桃香と江木くんを見た。江木くんが桃香に詰め寄っていて、桃香は怯んだ顔で。
声をかけたら、桃香が泣きそうになって「お姉ちゃん!」って言ったから、私はすっ飛んで行って江木くんを桃香から引き離した。言い合ううちに江木くんを突き飛ばしてしまい、彼は階段から転がり落ちた。彼が死んだと思った私は、その場で気絶して……そこから10年。
うん。私、確かに江木くんを殺したと思った。絶望して、もう駄目だと思った。江木くんの未来、親御さんの心痛、友人たちの悲しみ……そして桃香は殺人犯の妹、両親も殺人犯の親として虐げられることになるだろう。死んで詫びても償えやしない、でももうそれしか出来ない。そう思った。
うん、そうそう。そうね。だから気絶したのね。で、そのまま10年……10、ねん………
「10年て!!」
思わず叫んでしまい、碧ちゃんがビクッとした。でも、すぐに手をぎゅっと握って、励ます様に私を見つめてくれる。
「ごめん、碧ちゃん。大声出して」
「大丈夫。しょうがないよ」
落ち着いて、私。オッケーわかった。一旦ね、とりあえずよ? とりあえず受け入れよう。じゃなきゃ話が進まないもんね。うん。あれから10年経過、私は今、27歳……にじゅう、なな………オ、オーゥ……
「それでね……」
続く話を聞いて、私の混乱した頭は現状を理解する事を拒絶した。
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