709号室 片平梨花


 不満顔で口を尖らせるトモヤ少年が語ったことには、二度目に蒼一と夢で会った時には、最初と性格がまるっきり違って見えたそうだ。

 

 蒼一の手が離れた瞬間、トモヤは狭いテントの中に寝転がっていたのだと言う。ファスナーを少しだけ開けて外を見てみると、そこは見慣れぬ教室の中で、無機質な部屋の一角に机が一つ転がっているだけ。椅子はもちろん他の家具なども無い殺風景な部屋。

 またライオンやテチコに出くわすのが嫌で、トモヤはテントに戻り膝を抱えて座っていた。いつの間にか眠ってしまい、気づいたらまた、蒼一と手をつないで例の森にいたのだ。


「オレが『急にいなくなるから、心配したんだぞ。どこ行ってたんだよ』って言ったら、『あんたがごちゃごちゃ喋るから時間切れになったんでしょ』ってさぁ。こっわいの。なんかいきなり、かーちゃんみたいな怒り方でさぁ」


 トモヤは口を尖らせながら、蒼一の声色を真似て続けた。


「でさぁ、『” クロマネギテチコ ” じゃなくて ” くろやなぎてつこ ” 。お母さんは怒ってないし、お父さんはキャンプだかの約束守るって。わかった? はい、じゃあ帰るよ』とかってぇ。あいつ多分、二重人格とかだぜ。ちょーこえー」


 一度目の時の反省だろうか、蒼一は時間切れにならないうちにトモヤをさっさと連れ帰ろうとしたのだろう。





「どうやらあの子は、夢の中での方がよく喋るみたいですねえ」


 梨花の眠る部屋のソファに腰掛けた亀山院長は、また「白い恋人」に手を伸ばした。先日もらったこのお菓子は、目を覚ましたトモヤ君にお裾分けしたのに、まだ半分くらい残っている。


「一番懐いている貴女にも、カウンセリングでさえも話さなかったことが、他の患者さんの口から聞けるとはねぇ」


 お菓子を口へ放り込むと、院長はビニールの小さな包みを丁寧に細くたたんで縛り、白衣のポケットに入れた。ポケットの中には、同様のゴミが既に4つ入っている。

 桃香はお菓子には手を伸ばさない。16時以降は間食しないと決めているのだ。代わりに、ぬるくなった麦茶を一口飲んだ。


「だからと言って、患者さんが目覚めてからは、特に仲良くもならないんですよね。まぁ、皆さんすぐに退院されるからかもしれませんけど」



 トモヤを連れて目醒めた蒼一は、トモヤとその帰還を喜ぶ家族を置いて、付き添っていた看護師も気付かぬうちに素早く病室を抜け出したのだそうだ。


「あいつ、うちで一緒に遊ぶ約束したのに……」と、トモヤは尚も不満げに口を尖らせていたらしい。




 桃香は思案気に顔を曇らせた。


「あの、他所のご家庭のことに口を出すつもりは無いのですが……」


 亀山院長が励ますように薄く微笑んで、先を促す。


「さっき話した時にあの子、『あのおじちゃんとおばちゃん、あんまり好きじゃない』って言ったんです。なんか、しゃべり方がテレビのお芝居を見てるみたいで気持ち悪い、って。あの子がそういうこと言うの、初めて聞いたので少し驚いてしまって」


 院長はソファに背を預け、うーんと唸った。


「そうですねえ。親として若干独善的なきらいはありますが、家庭環境に大きな問題は無いと思いますよ。家の中でと、外で見せる態度が違うというのはよくあることです。ほら、電話がかかってくるとよそ行きの声で出たりするみたいな」


「ああ、ありますね。外面というか、体裁というか」


 桃香にも心当たりがあった。子供の頃、電話に出るときに少し高くなる母の声色を真似て、梨花と一緒に笑っていたものだ。



「長子とその下の子供はね、生まれた順番でその役割が振られていくものです。でも割り振られた役割と、その子本来の性格の間でね、葛藤があるものなんです」


「役割、ですか」


「そう。特に長子はね。『お兄ちゃん・お姉ちゃん』という責任や自覚って、本人にとっては結構重いものだったりするんですよ。かくいう私も長男なので」


 桃香はちらりとベッドに眠る姉を見た。

「そういうものなんですね。あまり考えたことなかったけど、そういえば私子供の頃って、姉の後をくっついて回って姉の真似ばかりしてました」


 亀山院長は微笑みながら頷いた。


「もちろん弟妹たちにも、それぞれの葛藤はあるでしょう。でも成長する中で、大抵なんとか折り合いをつけていくわけです。ただその過程で、両親が役割を押し付けすぎると……」


「歪んでしまったり?」


「ひどい場合には、ですけどね。きっと智也くんのご両親にも、そういった押し付けをしている自覚が少なからずあったんでしょう。それで大げさな反応というか、演技的に見えたのかもしれませんね」


「子に対してだけでなく、世間に対しても、常に良い親に見えてなきゃいけない」


「ええ。そういう意識は昔よりずっと強く厳しくなっていますから、多少演技的になるのも仕方ないかもしれません」


 嫌な言い方をすれば…と前置きして、桃香は言葉の棘を和らげるように唇だけで微笑んだ。


「良い親アピール?」

「ええ、まぁ……」


 院長は苦笑いしながら、さっと口元を拭うような仕草をした。


「でも、それもトモヤ君が無事だったからできることです。だってもし大怪我をしていたら、それこそ演技なんてしてる場合じゃありませんからね。そうちゃんのおかげです」


 そう言うと、院長は肩をすぼめた。


「おっと……こんなこと、 私の立場で言っていい事じゃないですね、何もかもそうちゃん頼みだ」


 院長が軽く拳を握り口元を隠すような仕草をするので、桃香は思わず笑ってしまう。


「内緒にしておきます」

 桃香はあえて無表情を装うと、唇に人差し指を立てて肩をすくめ、秘密を守る意思を見せた。



「あの子、そういった……子供ながらの葛藤とか、親としての体面とかっていう、家庭内の繊細な問題を感じ取っていたのかしら。あまり話してくれないけど」


「たぶんね。人の気持ちに敏感な子ですから。でもきっとまだ、うまく説明できないのでしょう。元々口数の多い子じゃなかったのかもしれない。前の病院でも、感情を表に出さずあまり喋らなかったと聞いています。もちろん、事故の影響もあるでしょうが」



 たしかに、あの子が泣き喚いたり大笑いするのを見たことが無い。かといって無表情というわけでもなく……

 桃香は頭の中で言葉を探した。何だろう、あの表情……常に大事なことを考えているような、真剣に張りつめた……そう。水を満たしたコップを持ったまま注意深く平均台を渡っているみたいな、そんな感じ。



「それにまだ、大人を警戒している。不安な環境ですから、これは仕方ありません。今後の身の振り方にしても、後見人の弁護士だの遺産がどうこうだの、一応説明はしましたが全て理解出来てはいないでしょうから。そこは根気よく説明していくのと、カウンセリングが不可欠です」


 あの子の将来……それを考えると、桃香は眩暈のする思いだった。つい先日会ったばかりの他人ながら。


「そうちゃん、森の中にいると少し安定するみたいです。居心地がいいって。現実から少しの間、離れられるからかしら」


「かもしれない。おそらく、夢の中での性格の方が素に近いんでしょう。患者さんたちから聞く限り、現実でのあの子より、のびのびとしているみたいだ」


 眠りの森は、現実逃避? いや、あの子なりの、心のリハビリになっているのかもしれない。そうだといいんだけど……桃香はそう願わずにいられなかった。



「それにしても、双子間での夢の共有なんてあるんでしょうか。よく、あの森と似た夢の中でふたりで遊んでいたんでしょう? やっぱり双子って特別なのかしら」


 院長はお菓子に手を伸ばしかけたが、途中で思い直して手を引っ込めた。さすがに遠慮したのだろうか。


「そういった例はいくつも報告されていますが、詳しい検証はされていないみたいですね。疑うわけじゃありませんが、あの子の場合も本人がそういっているだけですし。とはいえ、個人的には何かしら特別な繋がりがあってもおかしくないと思ってます。なんせ、お腹の中から一緒に育ってきたわけですから」



 ふたごの不思議なエピソードについては、桃香も幾つか聞いたことがあった。別々に出かけたのに同じ物を買って帰る、外で待ち合わせしたら同じ服を着て来た、片方が怪我したのと同じところに痛みや痣が出来た、等々……



 「ところで、片平さん」

 決別の意思を示す様に厳かにお菓子の箱の蓋を閉めると、院長は桃香に向き直った。


「先日お話しした、睡眠研究所の件なんですが」



 院長の言っているのは、表向き「睡眠改善クリニック」という形をとって運営している「ムーグゥ」という団体のことだ。

 主には不眠に悩む患者へのカウンセリングとセラビー。もちろん状況に応じて投薬もする。そして、患者の症状と希望如何によっては、特別な治療が行われている。



「先方は、来週中にもお願いしたいと言ってきています。もちろん、あの子の体調と片平さんのご都合がよろしい時で構いません。諸経費の他に、報酬も前回お話しした通りに」

「院長。報酬の件は前にもお断りしたはずです。付き添うのは構いませんが」


 院長は断固とした様子で首を振った。


「それはいけません。こちらが手一杯なのと、あの子が片平さんに一番懐いているからこそ、付き添いをお願いしているわけですから。正式に、依頼という形をとらせていただきます」


 依頼の内容といういうのは、蒼一をムーグゥへ派遣し特別治療に加えてほしいというものだ。

 患者となるのは、ムーグゥの創始者である塚田六郎の愛娘。現在4歳になるが、ある日突如眠ったきりになり、今に至るという。今までに様々なアプローチを試みてきたが、全て失敗に終わっている。


 そもそもこの団体自体が、愛娘を救うことを目的として睡眠の研究を始め、その副産物として睡眠改善等の技術を獲得してきたものなのだ。

 その技術を治療に活かしつつ、同時に治療からさらなるデータを取り込む。患者と資産を徐々に増やし、そのデータと利益は新たな技術開発へ注ぎ込まれる。

 ムーグゥは、そうして急速に大きな研究機関になっていった。


 全ては、娘のために。



 詳しいことは語られなかったが、要は、蒼一が患者にやっているのと似たようなことを、独自に作り上げたシステムで行っているらしい。だがそのシステムは、他の患者にはしばしば有効であるが、肝心の娘には全く効果が無いのだとか。



「彼は大学時代からの友人でね。彼の娘の事があってから、彼の研究とクリニックの運営を、私は長らく見守ってきた。だからあの子の症状を聞かされた時には、ぜひうちで預かると申し出たんです。幸いうちは、基本的には療養型の病院ですしね。あ、だからと言って、彼の娘の治療がうまく運ばなくても、あの子を、そうちゃんを、邪険にしたりはしません。今まで通りに治療し、安定すれば、法に則った上で出来るだけ安心できる環境に移すつもりです」


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