第八話(エピローグ)

 実のところ、サンドリヨンが死ぬ可能性は大いにあった。何しろ魔法陣を物理的に書き換えるのだ。暴走、跳ね返りバックファイヤー、その他不測の事態。

 正直に言って生存可能性はダベンポートにすら未知数だ。最悪の場合、サンドリヨンの背中の魔法陣にメスを入れた瞬間に暴走が始まる可能性すらある。


 結局、サンドリヨンの臀部へのタトゥには三日間かかった。予想以上に形が複雑な上、ダベンポートが時間をかけて慎重に事に当たったためだ。

 一方の植皮はそれこそ一瞬だった。

 サンドリヨンの魔法陣に空白地帯が生じる時間を最短とするため、事前に臀部から皮膚を剥ぎ取り、これを冷やした生理食塩水で維持、すぐにサンドリオンの背中の手術に移る。

 ダベンポートはマナの流れを正確に思い浮かべながら、影響が最小になるようにサンドリヨンの背中から壊れた魔法陣を剥ぎ取った。瞬時にウェンディが隣からその空白にタトゥの施された臀部の皮膚をはめ込み、機械のような正確さでダベンポートが猫の腸から作られた特別性の縫合糸で縫い付ける。

 おそらく手術時間は三十秒はかかっていない。


「さあ、うまく行ってくれよ」

 と、みるまに組織の再結合が始まった。ダベンポートも王国式の治癒呪文を使っているため修復が異常に早い。

 傷口は一瞬青白く輝いたが、すぐに元通りの姿に戻った。

 魔法が暴走する様子も、跳ね返りバックファイヤーが起こる様子も今のところはない。

 修復された魔法陣はまるで新しくタトゥが施されたかのように滑らかだった。以前目立っていたひきつれや断裂部分がなくなり、完全な姿に戻っている。

「サンドリヨンさん、起き上がれますか?」

 ダベンポートは手術野に穴が空いているシーツの下にいるサンドリヨンに声をかけた。

『……はい』

 サンドリオンは一度身体の向きを変えると、シーツで前を隠しながらベッドの上に起き上がった。

「じゃあ、効果を試してみましょうか?」

 ダベンポートは一本のメスをテーブルのトレイから取り上げると、いきなりサンドリオンの胸に突き立てた。

 それも正確に心臓の真上、普通だったら即死する場所だ。

「ダ、ダベンポート様、何を?」

 さすがに驚いてウェンディが大きな声を出す。

 だが……

「大丈夫です」

 サンドリオンは自ら胸に刺さったメスを抜くとダベンポートに手渡した。

 見れば、もう傷口は完全に閉じている。どうやらさらに治癒速度が速くなっているようだ。

「うん。うまく行ったようだ」

 ダベンポートは満足げに頷くと、サンドリオンに背中を向けた。

「もう服を着て頂いて大丈夫ですよ。僕は先にリビングに行っています。身支度ができたらウェンディとリビングにおいでください」


………………

…………


「まったく、訳がわからないわ。ダベンポート様、ちゃんと説明して下さるんでしょうね? これじゃあ何も変わってないわ」

 どことなく憤った様子でウェンディがダベンポートに詰め寄る。

 だが、ダベンポートは涼しい顔だ。ウェンディの憤りなどどこ吹く風で、リリィが淹れてくれた紅茶をおいしそうに飲みながら黙って座っている。

 状況が理解できていないのはサンドリヨンも同じのようで、彼女は少々困惑した様子で居心地悪そうにソファの上に座っていた。

 ふと、ダベンポートはソーサーをテーブルに置くと、ベストから懐中時計を取り出した。蓋を開き、長針を眺める。

「さて、そろそろ効果が現れるはずなんだが……」

 と、みるまにサンドリヨンの姿が変わり始めた。

 体型や顔立ちは同じだが、髪の毛の色が違う。彼女の茶色かった髪の毛はみるみるうちに金髪へと変わっていった。

 見れば瞳の色もいつの間にかに空色になっている。

「え? え? え〜⁉︎」

「旦那様、これは一体?」

 ウェンディとリリィが驚愕に言葉を失う。

 状況が理解できていないのは自分の姿を見ることができないサンドリヨンだけだ。

「ふむ、これで最終チェックもパス、と」

 ダベンポートは一人満足げな笑みを浮かべると、懐中時計をベストのポケットに戻した。

「実はサンドリヨンさんのタトゥの隙間にちょっとしたいたずらを仕掛けさせてもらいました。思った通りにマナが流れると発動するシンプルな呪文なんですがね、正しく呪文が発動するとサンドリオンさんの髪が金髪になるようにしておいたのです。これが動いたと言うことは全てが僕の設計通りに働いているということです。これで万事OK、これにて全術式は完了です」

「ダベンポート様?」

 しかし、ウェンディはますます混乱したようだ。

「もちろん、説明はして下さるんですよね? 一体、何が起きているんです?」

 だが、ダベンポートは答えない。まるで自己満足に浸っているかのように笑うだけだ。

「ダベンポート様!」

 ウェンディが声を荒らげる。

 ふむ、そろそろ頃合いかも知れない。ダベンポートはこれ以上ウェンディを焦らすのをやめると、ウェンディに種明かしを始めた。

「ウェンディ、魔法院の命令を覚えているかい?」

「はい」

 ウェンディは頷いた。

「『【極秘】この女性の身体的特徴を明らかにし、必要な場合には適切な治療を施されたい。ただし、それが叶わない場合には可及的速やかに殺害するべし』、でしたよね、確か」

「ご名答」

 ダベンポートがにこりとする。

「実は一週間ほど前、君と一緒になって必死で魔法陣を解析している最中、僕はふいにこの命令が本当は何を意味しているかを理解したんだよ。しかし、魔法院は相変わらずひどい組織だな」

「どういう意味です?」

 ウェンディの混乱は深まるばかりのようだ。

「じゃあもう少しヒントをあげよう。サンドリヨンさんの身体的特徴はなんだね?」

不死イモータル、である事?」

「正解だ」

 ダベンポートは頷いた。

「じゃあ仮にだ、それを治療して、その治療が成功したか否かはどうすれば解る?」

「え?」

 一瞬、ウェンディが考え込む。

「つまり、不死イモータルを治療するということは、その人を必滅モータルにするという事ですよね。であれば、必滅モータルであることを証明することが治療の成功の確認ということになります」

「じゃあ必滅モータルであることはどうすれば証明できる?」

「それは簡単です。殺せば……あっ」

 驚愕するウェンディの顔を見ながら、ダベンポートはにんまりと笑った。

「つまりだね、魔法院はサンドリヨンさんの治療が成功した場合も失敗した場合もどちらにしてもサンドリヨンさんを亡き者にしようとしていたんだよ」

「そんな、どうして……」

「さあてね」

 ダベンポートはサンドリヨンの方を向いた。

「真の理由は僕にも判らない。政治的な理由なのか、あるいは別の理由なのか。だが、どちらにしても我らが王立魔法院から見たらサンドリヨンさんは目障りな存在だったようだ」

「私、なんとなく判ります」

 サンドリヨンはダベンポートに言った。

「我が国には名目上魔法技術が存在しない、あるいは遠い昔に絶えたことになっています。それなのに歩く魔法のような私は王国から見たら目障りなのかも知れません。それにひょっとすると我が国から見ても私は邪魔な存在になっている可能性があります」

「ああ」

 ダベンポートは頷いた。

「それに気づいたから、僕は途中から方針を変更してサンドリヨンさんのタトゥの修復に全力を傾ける事にしたんだ。調べている途中で僕はあの魔法陣が四重にフェイルセーフされている極めて厳重な魔法陣である事に気づいたんでね。さすが軍用に開発されただけのことはある。だが、四重にフェイルセーフされているとは言え、せっかくのタトゥに傷が入っている状態はやはり心許ない」

「だから治したのですね」

「そう」

 ダベンポートは頷いた。

「さらに僕独自の工夫も施した。つまり、サンドリヨンさんは元の状態よりもさらに強化されたことになる。魔法院が言うところの『治療』とは言ってしまえばこの魔法陣の無効化だったんだが、それについてはあまりにリスクが高すぎる。それに魔法院の命令は例によってあまりに邪悪で、とうてい僕の正義感にはそぐわない。だから、そっちはやめた」

「やめたって……」

 ウェンディが絶句する。

「じゃあ、また魔法院の命令を無視なさるおつもり?」

「ああ。それに一応治療はしたしな」

 ダベンポートはにやりと笑った。

「だから殺害の方は無視するよ。あれは到底承伏しかねる。誰がなんと言おうが僕は自分の正義を貫く」

「呆れた」

ウェンディが思わずため息を吐く。

「髪の毛の色が変わるいたずらはテスターのために仕掛けたんだが、今考えると違う色の髪の毛は良いカモフラージュになるかも知れんね。これでたとえ魔法院が何かに気づいたとしても追っ手がかかることはまずないだろう。サンドリヨンさん、あなたはこれで自由だよ」

「ありがとうございます」

 サンドリヨンが深々と頭を下げる。

「ま、魔法院の方は僕が適当に誤魔化しておくよ。それよりも人を限りなく不死イモータルに近い状態にしてしまうあの魔法陣は最高の研究材料だ。今では失われた知識になってしまっているようだが、僕としては趣味の研究材料が増えて大変に喜ばしい。その上サンドリヨンさんにも今はちゃんとした生きる希望ができたようだ。”これで世はすべてこともなし”、だよ」


 一方、ウェンディは憤懣やる方ない様子だ。

「ヒドイですわ、ダベンポート様」

 大きな鳶色の瞳に怒気を込めてウェンディがダベンポートを睨みつける。

「そんな大切なこと、なぜ今まで説明してくれなかったんです?」

「そりゃあウェンディ、君が魔法院に内通していないという保証がなかったからねえ」

 ダベンポートはしれっと答えた。

「この人でなし! ダベンポート様は私も信じなかったんですね」

「信じなかったわけじゃないさ。だが、言わなくてもいい事を言わなかっただけだよ」

「もう! 信じられない!」


 ダベンポートはすっかり怒ってしまったウェンディをそのまま放って置くと、改めてサンドリオンに訊ねた。

「ところでサンドリヨンさん、あなたはこれからどうするおつもりなんです? また教会に保護を求めるおつもりですか?」

「いいえ」

 サンドリヨンは首を横に振った。

「私はこの街がとても気に入りましたの。食材も豊富ですし、のんびりしているし、それに何よりここにはお友達ができました」

 と、横目でリリィを見る。

「ですので、ここのどこかに地所を買って、お店を開こうと思います。レストランとお料理教室のお店です」

「ほう!」

 興味を引かれたのか、ダベンポートが身を乗り出す。

「ついてはダベンポート様にもぜひお手伝いいだだきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「それはもちろん」

 ダベンポートは頷いた。

「それならリリィにも手伝ってもらうと良いかも知れませんね。お店が軌道に乗るまではリリィの手が空いている時にはウェイトレスなぞをしてもらうといいでしょう。あるいはスーシェフでも良いかも知れませんな」

「よろしいのですか、旦那様?」

 リリィも興奮気味だ。

「もちろんだとも。君たちはもうお友達になったのだろう? お友達をお手伝いするのは友人としての義務だよ」

「お友達ではありません。『先生』です」

 慌ててリリィが訂正する。

「まあ、どちらでもいいさ。面白くなりそうじゃないか。これは楽しみだ」

 珍しくダベンポートが嬉しそうだ。よほどサンドリヨンのレストランが楽しみなのか、あるいは新しい研究テーマを与えられて嬉しかったのか。


 その後、まだプンプンしているウェンディを除く三人はサンドリヨンのお店の具体的なプランについて夜遅くまで話し合いを続けた。


──魔法で人は殺せない:死なないシンデレラ 完──

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【第四巻:事前公開中】魔法で人は殺せない20 蒲生 竜哉 @tatsuya_gamo

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