第六話

 それから先はあたかも学究生活のようだった。

 ダベンポートが隣国の古い魔導書を取り寄せ、それを調べた結果をウェンディが実際にサンドリヨンのタトゥの上で実験する。


 最初はサンドリヨンの傷ついたタトゥの断章の特定だった。山のように積み上げられた隣国の魔導書──驚いたことに、魔法院の四階にある巨大資料室(グレート・アーカイブ)には従来存在しないとされていた隣国の魔導書もちゃんと収蔵されていた。忘れ去られていた知識という訳だ──に記載されている魔法陣とウェンディがスケッチしたサンドリヨンのタトゥとを照らし合わせ、傷ついて失われている部分を探し出す。


「こりゃあ、まるでジグソーパズルみたいだなあ」

 大きな虫眼鏡を使ってウェンディのスケッチと魔導書の魔法陣を見比べながら思わずダベンポートは一人ごちた。

 首を回すとゴキゴキと音がした。これで三日目。でも繋がった断章は僅かに四つ。しかもこれが正しい保証はどこにもない。魔法陣を解析し、断章になっている部分はおそらくこれだろうとアタリをつけたのにすぎない。

 ダベンポートの隣でもウェンディが唸りながら虫眼鏡を使って魔導書と自分のスケッチとのにらめっこを続けていた。

「いっそのこと、サンドリヨンさんのタトゥに合致する魔法陣が見つかればいいのに」

 ウェンディは大きく伸びをすると思わずぼやいた。

「それはもう初日に諦めたじゃないか」

 ダベンポートがウェンディにその可能性はもう捨てたことを再び思い出させる。

 最初の日、二人が行ったのはかき集めた魔導書の魔法陣をかたっぱしから当たってウェンディのスケッチと同じものがないかどうかを探すことだった。

 結局全部の魔法陣を洗い終わったのは夜中の三時。しかし、どの魔法陣もサンドリヨンのタトゥとは微妙に意匠が異なっていた。二人とも異国の言葉を読むことにはなんの問題もない。古語で書かれているため少々難解だったが、それでも、古語が障害になるほどの差は百年程度では起こらないようだ。

 その解説を読む限り、どの魔法陣も人体の機能強化に関係するらしい。だが、ものによってはあまりに医学的すぎて手に負えないものや、まったく関係のない魔法陣もたくさん含まれていた。

 さすがに頭髪の増毛に関する魔法陣を見た時は二人で指を指して笑ったが、その下に「機能不全。この魔法陣は廃案とする」という文字を見た時にはがっかりした。

 これが廃案になったということは、他にも廃案になった魔法陣がたくさん混じっている可能性が高い。

「だいたい装飾過剰なんですよ、この魔法陣は」

 ウェンディは魔法陣の一つを指差しながらダベンポートに愚痴った。

「王国の魔法陣はどれもシンプルでわかりやすく設計されていますでしょう? それに対してこちらの魔法陣はなんだか余計な髭やら、意味のない意匠やらがたくさん書き込まれていて、とっても難解」

「まあ、スタイルの違いなんだろうな。確かに見た目は綺麗だし、それらしくもなっているが、ほとんど意味がないと言う点では同意するよ」

 ダベンポートもウェンディに合意する。

「まあ、愚痴っても仕方がない。先を急ごう」

 ダベンポートはウェンディを励ますと、再び虫眼鏡を使って魔法陣の解析を始めた。


………………

…………


 一方、リリィはサンドリヨンに手解きしてもらいながら、新しいレシピを精力的に吸収していた。

「まあ、ずいぶんと綺麗にキッチンをお掃除なさっておられるのですね」

 最初にサンドリヨンは地下にある小さなリリィのキッチンを隅から隅までチェックすると、煙突の中まで覗き込んでいた。

「煙突もちゃんとお掃除なさっておられるんですね」

「煙突は煙突掃除の方が月に一回、魔法院から送られてくるんです。ここは魔法院の住宅ですから」

「すばらしいですわ。それにレンジも綺麗。ちゃんと毎日?」

「はい。朝、火を入れる前と夜に火を落とした後に拭き掃除と、場合によっては黒鉛も擦り込んでいます」

「どおりでレンジが綺麗な訳ですね。このレンジは幸せ者です」

 どこか愛おしむようにレンジを撫でながらサンドリヨンはリリィに微笑んだ。

「これはすべておばあさまから教わったんです」

 リリィはサンドリヨンに祖母から教わったさまざまなことを語ってきかせた。

 レンジの手入れ、火の入れ方、お鍋の手入れ、キッチンの掃除……

 一生懸命説明するリリィにサンドリヨンは笑顔を浮かべながらいちいちうなずいてみせる。

(不思議、なんかおばあさまとお話しているみたい)

 リリィはサンドリヨンに不思議な親近感を覚えていた。


 一通りキッチンの案内が済んだのち、サンドリヨンは少し考えるようだったが、やがて何かを思い付いたのかリリィにこう宣言した。

「それでは、今日からしばらくのあいだは南の半島のお料理をお教えしましょう。あちらの方はトマトを多用するのですが、香りが高いお料理が多いのできっと楽しいと思いますよ」

「はいッ! よろしくお願いしますッ」

 素敵! 南の半島のお料理なんて食べたことないかも。

 思わずリリィは胸が高鳴るのを覚えた。

(でも……あれ?)

 ふいにリリィは、では自分はサンドリヨンに何を返せばいいのか思い当たらないことに気づいて不安になった。

「でも、サンドリヨンさん?」

 判らないことはすぐに訊ねる。これは旦那様が常々リリィに教えていることだ。

「ではわたしはサンドリヨンさんに何をお教えすればよろしいでしょう?」

 無邪気なリリィの質問にサンドリヨンがにっこりと微笑む。

「そうですねえ……」


 実のところ、サンドリヨンにとって王国料理はもうすでに十分に既知のレシピとなっていた。

 王国伝統の料理といえばローストするか、あるいはグリルするか、ないしは煮込むかの素朴な料理ばかり、言葉は悪いが王国の料理は限りなく単なる田舎料理に近い。

 味付けに関しても同様で、基本的にお料理にはほとんど味付けをしない。調理中はせいぜいが塩胡椒を少しする程度で、味に関しては各自がテーブルに出されたコンディメント(いわゆる調味料。塩、胡椒、これにマスタードや酢、唐辛子が加わることもある)で調整するのが慣わしだ。

 そのため、いまさら王国料理についてリリィに教わることはほとんどないであろうことは十分に理解していた。

 でも、それを言ってしまっては、せっかくの『レシピ交換』が台無しになってしまう。

 リリィがこんなに楽しそうにしているのに、サンドリヨンはそのような無粋な言葉でこの暖かな雰囲気を乱してしまう事は嫌だった。

 そこでサンドリヨンは

「私は毎日リリィさんのお食事を頂きますから、その時々に知りたいことを教えて頂くというのはどうでしょう? 私はキッチンでリリィさんにレシピをお教えしますので、リリィさんはダイニングで私にレシピを教えてください」

 と提案した。

 どうやらその提案はリリィにとっても嬉しいものだったらしい。

 目に見えてリリィの表情が明るくなる。

「わかりました、サンドリヨンさん!」

 取引成立。

 さっそく二人はエプロンを付け直すと、作業台に並んだまな板と包丁の前に立った。

「では、今日はまず半島料理の基本、”ソフリット(玉ねぎ:人参:セロリを3:2:1の比率で刻み、オリーブオイルでざっくりと炒めたソースベース)”を作りましょう……」

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