第2話 回転扉を開けると、軽業師が居た。

「ダーイス、遅いおそーいっ!」


 ぎゃはははは、と宿舎に帰った彼は、豪快な笑い声で迎えられた。

 呆然として立ち尽くしていると、ぴょん、と目の前でとんぼ返りがよぎった。


「いや~今日の夕食も美味かったぞ~へへへ。お前の分も食ってしまったぞ~」

「そ、そんな、テディさん~」


 小柄な三塁手のテディベァルは、ぴょんぴょんと跳ねながらダイスに笑いかける。しかしその勢いが良すぎたのか、次の瞬間、彼は頭を天井にぶつけていた。


「……重力制御装置、また切ってますね」


 そう言えば今日はいつもより髪も跳ね回ってるな、とダイスは思う。

 おー痛い、と頭をさすりながら、言いながら、それでも悪態は忘れない。


「だってよー、お前がすやすや眠っちまうのが悪いじゃん。働かざるものは食うべからずなのよ! これ、うちの惑星の鉄則!」


 高重力のマルミュット星域の出身の選手は、ぴ、と彼に指を突き付けた。


「あ、でも痛い~」


 頭を押さえて泣きまねをする彼に、近くのソファでニュースペイパーを見ていた小柄な捕手のヒュ・ホイが立ち上がる。


「こんなとこで、慣れないことするからだよ、テディ。頭、大丈夫か?」


 そう言いながら、座り込む同僚の頭を撫でてやる。


「あいにく俺は石頭だもん。でもおまじないの一つでもあるなら、してして」

「胸張っていうことかい…… おまじないなんて僕は知らないよ…… ああ、お帰り、ダイス」


 今気付いた、という表情でホイはダイスに笑いかける。この正捕手は、いつも穏やかな表情を崩さない。


「た、ただいま帰りました…… あ、あの食事は……」


 ホイは一瞬きょとんとした顔でダイスを見た。

 だがすぐにあはは、と笑うと、大丈夫大丈夫、と言いながらテディベァルのひざを叩いた。


「全く何言ったんだろーね、このお兄ちゃんは。ちゃんと君の分もとってあるよ」

「……あ、ありがとうございます」


 ぺこん、とダイスは頭を下げた。ホイはそれに対してひらひら、と手を振る。


「や、礼だったらラビイさんに言ってくれよ。ほんっとうにこいつは、君の分まで食っちまおうとするんだからね。それを阻止したのは、あのひとだからさ」


 あのひとが。ダイスは露骨にほっとする。なら大丈夫だろう。


「だってさー、ホイ、働かざるもの食うべからずなんだぜっ。俺の故郷ではそれが掟だったものよー。うちの母ちゃんなんか、まじ、俺に仕事無い日なんて、メシ抜きとか平気でしたしさー」

「あのねテディ、ちゃんとダイスはベンチ入りしてただろ。待つのも、先輩の試合を見るのも、ちゃん『お仕事』だよ」


 ちぇ、とテディベァルは肩をすくめ、唇を尖らせた。だが立ち直りも早いらしい。ぴょん、と軽く跳ねて立ち上がる。


「まーいーや。ちゃんと今度はお仕事してねー、ダイちゃん」


 こら、とヒュ・ホイはぴょんと立ち上がる同僚の背中に、声を投げた。

 ダイスはそんな二人の横をやれやれ、と思いながら通り抜け、食堂へと向かった。

 遠征中の「食堂」は故郷の宿舎の「大食堂」同様広い。ただ、宿舎特有の素っ気なさを豪華さに置き換えたような。

 例えば天井には、蛍光灯の代わりにクリスタルのシャンデリア。生成コットンのクロスの代わりに、エキゾチックな刺繍がされたクロス。

 もっとも、誰かは入るが早いが、眼鏡の縁を直しながら、ああイミテーションですね、とさらっと言っていたが。その時のウエイターの動きが止まったことからすると、それは本当だろう、とダイスは思う。

 そんな「食堂」に入ると、軽い煙草の匂いがした。

 「プリンス・チャーミング」だ、とダイスは気付く。箱に、王冠の絵がついてるもので、香りだけだと軽そうだけど、結構強いという噂のある。

 この匂いがするなら。


「よぉ、風邪引かなかったか?」


 そこには、彼の先輩達が居た。煙草の主はにやりと笑って手を挙げる。それにつられるように、対面に座っている男も、くるりと椅子を回す。


「案外、早かったじゃねえの。優秀優秀」


 へへへ、と煙草の主は露骨に笑う。


「……ストンウェルさんが、起こしてくれないからですよ」


 ダイスはやや大げさに、バッグを彼等の居るテーブルの上に置いた。


「だってお前、ホントに気持ち良さそうに寝てるんだもんなー」


 ノブル・ストンウェルは口の端をゆるめた。本当に楽しそうな表情だ、とダイスは思う。いつものことだが。


「お帰りなさいませ。お食事を今用意致します」


 先輩達の方に集中していたせいか、ウェイターが音も無く近づいてきたのに気付かなかった。彼は慌てて振り向く。


「あ、ありがとうございます」


 どうもさすがに、こういう言葉は言われ慣れない。そう言えば、と彼は慌ててバッグをテーブルから下ろす。


「まあまあダイちゃん、バッグはそっちに置いて、こっちおいで」


 そして向かいの男は、にっこりと笑うと、ダイスに向かって大きな手を振った。明るい髪に端正な顔の偉丈夫が、そこには居た。


「あんたはこのガキに甘いからなー、マーティ」


 そんなストンウェルの言葉を半ば無視して、帰り掛けたウェイターを彼は呼び止める。

 何でございましょう、とウェイターは今にも眠りそうな表情でマーティに問いかける。


「ああ、俺にコーヒーね。えーと、ブレンド。……お前等はどうする?」

「あ、俺には紅茶ちょうだいな。きっつーいアールグレイねえ。ホットよホット。ダイスはごはんには」

「無論セットになっております。かしこまりました。少々お待ち下さい」


 ウェイターは一礼して改めて奧へと戻っていった。そしてダイスもまた、マーティに向かって軽く頭を下げた。


「……食事のこと、どうもありがとうございました」


 するとマーティはん? と目を大きく見開く。


「や、テディさんが」

「ああ、だってなあ」

「おう」


 マーティ・ラビイとストンウェルは顔を見合わせる。

 その様子を見ながら、ダイスは思う。

 何だってまあ、この二人はこうも仲がいいんだろう。

 確かにこのチームの投手陣というのは、実に仲が良い。無論プロ選手なので、仲が良いだけでなく、それなりに競争意識もある。いざグラウンドに入れば、顔つきも変わる。

 だがこんな自由時間になると、皆、延々話をしてていたり、何処かに遊びに行ったりしている。まず一人で鬱々としている奴など殆どいない。

 ……今のところ、ダイスをのぞけば。

 この二人はダイスにとって、同じポジションの先輩だった。

 彼の目の前で、何か言いたそうな表情をしているノブル・ストンウェルは、先発投手の一人だった。ダイスもそれを目的としてスカウトされたのだから、この男が一番、選手としての立場的には近い。

 年齢は。……確か今年ついに大台に乗ってしまう、と誕生日が来るのを呪ってた気がするなあ、とダイスは思い出す。じゃあ…… 三十か、と。

 そしておそらく、プロ経験は、このチームで長い方である。


 「コモドドラゴンズ」というチームがある。現在はナンバー2リーグのBクラスあたりをうろうろしているのだが、最盛期にはナンバー1リーグにも居たことがあるらしい。

 そしてその最盛期に投手をやってたことがある、とダイスも耳にしている。だがそれ以上は知らない。本人が隠してる訳ではないらしいが、皆もそうそう口にしないので、ダイスもいちいち聞かない。


 そして、ダイスの隣に座る男はチーム一の謎とされていた。

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