4-3


 愛花に探知してもらったところ、カルハの居場所はすぐ近くだった。


 俺たちの待ち合わせ場所でもあったパンダの公園である。


 つまり相手はこっちの世界へやってきて、その場からほとんど動かないまま魔法を使い始めたことになる。

 まったく意図が読めない。

 それだけに不気味だ。


 愛花と一旦別れた俺は一人で公園に乗り込んだ。


 雨は強くなり続けている。

 そのせいで視界は悪い。

 前を見るために、右目にかかる雨粒を何度も拭う。


 古ぼけたジャングルジムの上に、目的の人物はいた。


 後ろ姿を確認しただけで全身にぞわぞわと鳥肌が立つ。


 これは恐怖ではなく不快感というやつだ。

 自分と同じ姿の人間というのはそれだけで嫌な感じがする。


 だがそれは向こうも同じだろう。


 だからこそ勝負は一瞬で終わるはずだ。


 俺の姿に驚いたカルハを、別方向から公園に近づいてきている愛花が攻撃する。

 そして魔導書を奪えば事態は解決だ。


 あっさりと危機に陥ってくれた世界には、これまたあっさりと救われてもらおう。



「おい、こっちを見ろ。へっぽこ魔法使い!」



 俺の大声にカルハは振り向く。



「マナはどこにいる?」



 だがその顔つきは冷たい鉄面皮のままだ。

 動揺は感じられない。


 早速目論見がはずれた。

 カルハのやつ、俺の姿を見ても眉一つ動かさない。


 警戒は怠らないまま俺の見下ろしてくる。

 そのせいで愛花はまだ飛び出してこれないようだった。



「さっき魔力を感じた。だからここに来るのはマナか、その協力者だと思っていた」



 自分の顔を見るだけでも嫌な気分なのに、声まで聞くとなるとますます鳥肌が立つ。


 録音した自分の声を聞いた経験はあるけれど、それ以上にひどい。

 気取った話し方をされると卒倒してしまいそうだ。


 なによりも恐ろしいのはこの不快感を相手が感じていないのことである。


 今も風でバサバサとローブが揺れているのも気にしていないようなやつだ。

 羞恥心に欠けているのかもしれない。


 ごちゃごちゃ言ってる場合ではない。


 今はなんとか注意をこちらにそらす必要がある。

 不快感を飲み下せ。



「この嵐はあんたの仕業だな」


「どうせマナに聞いているんだろう。わかりきったことを質問するのはバカのやることだ」


「どうしてこんなことをする。ファーストコンタクトにしてはずいぶんなご挨拶じゃないか」


「そっちと同じことをしているまでだ」


「俺はなにか害をなした覚えはないけど」


「白々しい。お前が我が国の文化の破壊を狙っていたのはわかっている」


「は?」



 場違いにも素っ頓狂な声が出た。

 あまりにも見に覚えのない話だ。



「魔法とは異なり、誰にでも使える装置。あれは身分制度を崩壊させるために送り込んだのだろう? それに伝統のない音楽。どちらも我が国の歴史と文化を破壊するためのものだ」


「えぇー……」



 異世界の俺、あまりにも考えていることが違いすぎる。

 ここまで不寛容だと、色んなことが敵対行為に思えて生きづらいのではないだろうか。


 俺とそっくりだということを差し引いても友達になるのは難しそうだ。

 言葉がいくら通じても話が通じないのではどうしようもない。



「この世界の存在にずいぶん反感を抱いてるみたいだけど、ならどうして愛花……じゃなくて、マナさんの研究に注目してたんだ?」


「監視するためだ。現にこうしていち早く対応できた」



 表面的には友好な態度だったから、愛花には見抜けなかったのだろう。

 あいつは人を疑うことをあまりしないタイプだ。



「君とマナが共謀しておこなったのは静かなる侵略行為だ。だがその方法が効率的なのもうなずける。正面から敵対するよりもよほど効果的だ」


「だからあんたもこんな風にこっそりと攻撃を?」


「ああ。まずは打撃を与えて、こちらの世界の力を測る。対応はそれから決めても遅くはない」


 それが異世界を守るために効率的な方法という考え方なんだろう。

 思わず笑ってしまう。



「あんたはずいぶんロマンチストだな」



 そういえば向こうの俺は地位が高いと愛花が言っていたな。

 その上貴族ともなると、大したものである。

 想像するに、高貴なる血統というやつなのだろう。


 両親と祖父母からは薄毛と糖尿病になりやすい体質くらいしか受け継いでいない俺とは大違いである。


 泣ける話だ。



「どういう意味だ?」



 向こうにゆっくり話を聞く気があるなら、お茶でもしながら具体的な事例を教えてやりたいところだ。


 技術が進歩したからといって、人類がみな平等なんてことはないってことを。

 悲劇も喜劇も、幸不幸もおしなべて不平等だってことを。


 だがここでバカ正直に言い合いをしたってしょうがないだろう。


 相手が俺を敵だと思っている以上、どんな風に意見や考えを伝えたところで納得してもらえるはずもない。

 まさか見知らぬ相手を言葉だけで改心させられると思えるほど、俺は自分を過大評価していない。


 だからポケットからピンク色の武器を取り出す。



「これがなにかわかるか、魔法使い」


「この状況で取り出すものが、武器以外にあるのか?」


「そうだ。これはあんたを一発でノックアウトする武器だ。指先一つで誰にでも扱える、あんたの嫌いな平等な技術ってやつだ」



 実際にはただの音楽プレーヤーである。

 イヤホンを抜いて音量を上げてはあるが、ボタンを押したところで大音量でアイドルソングが流れるだけだ。


 でも向こうはこちらの技術を知らない。

 しかもありがたいことに過大評価してくれている。


 今のカルハ相手であれば、ただの音楽プレーヤーも未知の兵器に見えるはずだ。


 俺とカルハはしばらく無言でにらみあう。

 まるでこれから戦うみたいで笑ってしまいそうになった。



「はったりだ」


「試してみるか」



 俺が指先を動かすのと同時に、カルハが飛びかかってくる。


 ボタンを押されたプレーヤーが律儀に音楽を奏でる。

 愛花の好きなアイドルソングだ。


 そのことに驚いたカルハが一瞬ひるむ。

 俺には見抜けないその刹那、カルハの頭から愛花の存在は抜け落ちていたに違いない。


 だからこそ愛花の横槍が効果的にはたらく。


 すばやく現れた愛花の魔導書から光がほとばしる。



「ちっ――」



 間近に迫っていたカルハが目を見開いて舌打ちするのがよく見えたが、その時にはもう戦いは終わっていた。


 愛花の魔法は見事に炸裂し、カルハの意識を刈り取る。


 気絶したカルハのそばには破れた魔導書が落ち、雨水を吸い上げる。


 ページがふやけてしまう前に、俺は本を拾い上げて愛花に向かって投げた。



「愛花!」


「うん、やってみる!」



 カルハの魔導書を開いてページをめくる。



「あった!」



 愛花が開いた本に手を当てると、次の瞬間には雲に隙間が開いた。

 あっという間にそこから陽光が差し込み、遅れて雨も収まっていく。



「やったな」


「うん」



 俺たちはどちらも頭から足先までずぶ濡れだった。

 まるで水遊びをした子どものように、心地よい達成感と疲労感がある。


 だが地面に伸びたカルハ、俺と同じ顔の男がいると気分が台無しだった。



「こいつ、どうするんだ?」


「異世界へ戻すよ。トンネルを通せば大丈夫」



 公園の砂場には依然として異世界へとつながるトンネルが開いている。

 愛花が魔導書の別のページにふれると、カルハの身体が浮き上がりトンネルの向こうへと消えた。


 これで今度こそ本当に一件落着だ。

 終わってみればあっけないものである。



「さ、じゃあ次はどうする? とりあえずうちで着替えるか? このままだと風邪を引いちゃいそうだ」


「ねぇ、ゲンちゃん」



 思いつめた表情で、愛花は俺を見つめる。

 なんだか嫌な予感がした。



「あのトンネルはやっぱり閉じたほうがいいと思うの」


「たしかに。またカルハみたいなやつが現れると困るもんな」


「それもあるし、向こうの世界に迷惑をかけちゃうのも心配かな。一ヶ月くらいしか過ごしてないし嫌なこともあったけど、周りの人はみんな親切だったから」



 だからね、と愛花は言葉を続ける。



「あたしは異世界へ戻って、マナさんの研究成果とトンネルの入口を消すよ。ゲンちゃんはあたしが向こうに行ったら義眼を壊してこっち側のトンネルを消して」


「そんなことをして、愛花は戻って来れるのか?」



 俺の問いには答えず、愛花は曖昧に微笑む。



「二度とこんなことは起きちゃいけない。必ずやってね。でないと、あたしが来たのとはまた別の世界とつながっちゃうかもしれないし、不安が残るから」


「それはもうわかった。そうじゃなくて、お前はどうやってこっちに戻ってくるんだよ」


「いいの」



 愛花はきっぱりと言った。



「もう二度と、大切なことを間違えたりしないから」



 愛花がトンネルの中へと向かっていく。

 俺はなにも言えずにその背中を見つめていたが、結局愛花は一度もこちらに振り向くことはなかった。


 歪んだ景色の中に、愛花の姿が消えて、ようやく俺は口を開くことができた。



「愛花」



 呼びかけたところで声は返ってこない。

 空洞になった左の眼窩に集中しても、愛花の声も視界も届いてこない。


 目の前には開いたままのトンネルと、砂に埋まった自分の左目がある。

 歪んだ砂場からは異世界からの風が強く吹きつけてくる。


 一人だ。


 魔法によって招かれた強烈な嵐は消え、今は雨も風も止んでいる。

 それでもまだ人の気配は遠くて、まるで自分だけが世界に取り残されてしまったように感じる。


 別に壊してしまうことはないだろう。


 そんな自分の声が心の内で響く。


 今回は偶然失敗しただけだ。

 運悪く、他の人に見つかってしまった。

 それだけのことだ。


 これからは慎重に取り扱えばいい。

 俺も愛花も、周囲に気づかれないよう出入りすればいいだけじゃないのか。


 そんな言い訳ばかりが浮かんでは消えていく。


 本当はすでに答えは出ている。


 愛花の言うとおり、この出入り口は壊さなくてはならない。

 それがみんなのためだ。


 わかっているのに俺は動けないでいる。


 だって壊してしまったら、もうどうにもならない。


 異世界の愛花と視界がつながったのは奇跡的な出来事だった。

 これを失ってしまえば、俺はもう二度と愛花に会うことも声を聞くことすらできなくなる。


 どうしようもなくて、立ち尽くすことしかできない。



「奥野くん!」



 そのとき遠くから飯田さんの声が聞こえた。

 俺にはそれが救いの声だった。



「こっちだ!」



 雨合羽を着た飯田さんに向けて大きく手を振る。



「どうしてこんな日に外へ出てるんですか!」


「飯田さんこそ、なんで?」


「私は、あなたが電話に出なかったから」


「それだけでこんな天気に外へ出かけたの?」


「だって前に悪魔召喚とか言ってたから、そのせいでこんな天気になったのかとか色々と考えちゃって……」



 飯田さんの目から見ても先ほどの嵐は異様なものだったようだ。

 しかも突飛に思える推測が的中しているのだからすごい。



「意外と想像力豊かなんだね」


「冗談を言ってる場合じゃありません」


「怒ってるのはわかるけど、ちょっとだけ聞いてくれ」



 飯田さんの華奢な肩を掴むと、その瞳を残った右目で力のかぎり見つめる。



「あそこの砂場に俺の義眼が落ちてる。あれを壊せば今回の騒動は本当の意味で丸く収まるんだ」


「なに言ってるんですか? まさか本当に悪魔召喚に成功したとか言いませんよね」


「今は信じてくれ。俺はこれからあの向こう側に行く」



 俺は景色の歪んだ場所、トンネルの出入り口を指差す。



「姿が消えたら義眼を壊してくれ。案外脆いものだから踏み潰せると思う」


「全然話が見えません」


「簡単だ。俺が向こうに行ったら義眼を壊してくれればいい。それだけだよ」



 さっきまでの葛藤は、俺がこの場に一人きりだったから生まれたものだ。

 飯田さんが来てくれたのならば問題は単純になる。


 義眼を壊す役割を、俺ではない誰か別の人に任せる。

 そうすれば俺がどこでなにをしようと、この世界は安全だ。


 つまり愛花を追いかけて異世界へ行くことができる。


 トンネルはまだ愛花のいる異世界へつながっているはずだ。



「とにかく、頼んだから」


「あ……奥野くん!」



 まだ混乱している様子の飯田さんを残して、俺はトンネルに向かって一歩ずつ踏み出していく。

 向かい風によって、ただでさえ狭い視界がさらに阻まれる。


 それでも着実に近づいていく。


 もう少しだ。

 もう少しで、俺は愛花に――


 そのとき不意に手を引っ張られた。



「行かないで」



 いつの間にか飯田さんが俺の右手を掴んでいる。



「あなたはまだ、ここにいて」



 その言葉に決心が揺れる。


 こらえきれなくて右目を閉じてしまう。

 すると過去の映像がなにもないはずの左目に次々と浮かんでくる。


 現実でのこと、異世界でのこと、愛花と過ごした幼少期のこと。


 走馬灯のように駆け巡る映像を振り払い、俺は目を開いた。


 右足を伸ばす。

 そして、砂に埋まった義眼を力いっぱい踏み潰した。


 ガラスが割れるような音がする。

 次の瞬間、風は止んでいた。


 目の前に開いていたはずのトンネルは消え、景色の歪みもない。


 なにもなかった。


 空に立ち込めていた重く分厚い雲も、冷たい大粒の雨も、そして愛花の姿も、すべて夢のように消えていた。

 たくさんの水たまりに囲まれて、俺はその場に座り込む。


 全身の力が抜けてしまっていた。


 飯田さんも隣で同じように、地面にへたりこんでいる。



「良かった」



 その一言をつぶやいた後、飯田さんは泣き出した。


 公園から見える空はすでに青く晴れ渡っている。



「泣くのは、俺じゃないのかよ」



 本当はわかっていた。

 彼女は俺のために泣いてくれている。


 地面に座り込んでいる飯田さんの泣き顔は、びっくりするくらい可愛くない。

 いつもよりも幼く見える。


 でも不思議と好きになれる表情だった。


 俺はきっとこの子を好きになるんだろう。


 ごく自然にそう思えた。

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