2-8


 さて翌日も忙しい。

 理由はアイドル活動のサポートをするためだ。


 愛花は意外にもアイドル活動には乗り気だった。

 見知らぬ人に蓄音機を売り込むよりも歌って踊るほうが心が躍るのだろう。


 そういえば昔、愛花がアイドルオーディションに応募しようと試みたことがあった。


 そのときの結果は不合格未満。


 そもそも締切を勘違いしていたせいで書類を送ることすらできなかったのだが、しかしアイドルになりたいという夢はずっとくすぶっていたのかもしれない。



 やる気を見せる愛花のために俺ができることはいくつかある。


 まず楽譜はネットで購入して、印刷したものを左の義眼で愛花に見せた。

 それを元に愛花は魔法で楽器を操り、先にバックミュージックを演奏して蓄音機に記録させておく。

 こうすれば一人でもライブができる。

 音楽プレーヤーを足元において踊るのと似たようなものだ。


 路上ライブのさいに別の蓄音機を使えば、歌入りのレコードも作成できる。

 一つ作ってしまえば、あとは他の瓶底レコードには魔法を使ってコピーすることができるから販売も簡単だ。


 朝から楽譜を印刷し、異世界の愛花と打ち合わせをする。

 歌の練習にも耳を傾け、感想を伝える。


 忙しいのはどちらかというと俺よりも愛花のほうだ。

 魔法で楽器に演奏させて、レコードに記録し、歌の練習をし、衣装の準備をして、さらには場所を押さえて……という具合だから想像するだけで目が回りそうだ。


 もう少し準備に時間をかけてもいいんじゃないかと提案したが、愛花は急ぐと言って聞かなかった。



「やるべきことがわかってるって感覚っていいよね」



 というのがその理由らしい。


 今までの俺なら理解できない説明だったかもしれないが、短くて長い入院生活を経験した今なら共感できる部分がある。


 忙しいというのは裏を返せば充実しているということだ。

 俺と愛花が感じている忙しさは、そういう幸せなタイプのもののように思う。

 塞ぎ込んでいるよりかは忙しくしているほうがいい。


 なので愛花を止めることはしなかった。


 もう俺に直接手伝えることはなにもないのだが、だからといって冷房のきいた室内でのんびりお茶を飲んでいるのも気が引ける。

 なので楽譜の作業を終えた後は、朝のうちに家を出た。


 制服を着て、通学カバンを持っていたが学校に行くのではない。


 金曜日から学校に通うのはどうも曜日が良くない気がする。

 それなら週明けから仕切り直したほうがいい。


 俺は準備を続ける愛花が気分転換でできるように、現実世界の様々な場所を巡った。

 昔一緒に出かけた駄菓子屋、母校である小学校と中学校など。


 さらに足を伸ばして、電車での移動をした。

 愛花が以前行きたいと言っていた遊園地を遠目に眺めてみる。

 中に入るのはさすがに無理だったけど。


 愛花は作業の合間に、俺の義眼を通して現実世界を見ては楽しそうに思い出を語った。


 俺がそんな風にフラフラとしている間にもすべての準備が整い、あっという間に愛花は歌うことになった。

 時間は夕暮れ時。


 そのときの俺は自宅の近くへ戻ってきていたが帰宅はせず、外で愛花の晴れ舞台を待つことにした。


 愛花がライブをおこなうのは広場だ。

 だから俺も外にいたほうが、まだその場にいる感覚に浸れる気がする。

 もちろん勘違いなんだけど。


 パンダの公園は今日も人影はない。

 高校生がブランコを独り占めできる珍しい場所だ。


 俺はブランコに腰を下ろし、ポケットからイヤホンを取り出す。

 つながっている先は愛花の持ち物だった携帯音楽プレーヤーだ。


 イヤホンを耳に装着しながら右目を閉じ、異世界を覗く。

 愛花が準備で忙しそうなのは視線の動きからも伝わってきた。

 だから視界はつなげていても声をかけるのはやめておく。



「ゲンちゃん、見てる?」



 しばらくすると愛花のほうから話しかけてきた。



「ああ、ここにいるよ」


「ほら見て。結構人が集まってきてる。準備してるのが目立ったのかな」



 噴水のある広場には人通りがあり、それでも愛花の姿を目に止めたとおぼしき人の姿もまばらに見える。

 その中にはクラスメイトにそっくりな女子たちもいたし、俺にそっくりなカルハとかいうやつの姿もあった。



「緊張してきちゃった」


「大丈夫だよ。いつも俺に見せてくれたようにやれば、大人気間違いなしだ」


「ゲンちゃんがそう言うなら信用する」



 愛花がうなずくと視界が上下に揺れる。



「それじゃあ、がんばってくるね!」


「ああ、応援してるよ」


「そこにいてね」


「もちろんだ」



 愛花は蓄音機を動かし、広場へ駆け出す。


 当然のことではあるけれど、これから歌って踊る愛花の姿を見ることはできない。

 視界を共有してしまっている俺は、愛花の目線にあるものは見えても、外側から踊っている愛花を見ることはできないのだ。


 それは最初からわかっていた。

 愛花がわかっているのかは微妙なところだけど。


 うまくいきますように、と俺は愛花に聞こえないよう注意深くつぶやく。

 俺にできることはもうそれくらいしかない。


 広場で歌い始める愛花の声に合わせて、ポケットの中の音楽プレーヤーを操作する。

 愛花がこれから歌う予定の曲はもちろんこの中に入っていた。

 ご丁寧にカラオケバージョンも入っている。


 だからそれを流して、聞こえない伴奏の代わりにした。

 耳元では演奏が始まり、愛花がそれに合わせて歌い始める。


 歌手でもよく見かけるが、愛花は普段話すときと歌うときとでは声質が大きく違う。

 愛花の凛々しい歌声は、かわいらしいアイドルソングとはややミスマッチだ。

 でもだからこその魅力がある。


 視界が愛花の踊りに合わせて揺れる。

 これはどうしようもないので想像で補った。


 小さい頃から何度も見てきているので、想像するだけで愛花がどんな風に踊っているのかすぐにわかる。

 プロほどのキレはないが、どことなく愛嬌のある動きのはずだ。


 三分ほどの短い曲が終わる。


 音楽プレーヤーは勝手に次の曲を流し始める。

 さっきまでの明るい曲調とは異なるスローバラードだ。

 しかも今度は本物の歌声付き。


 音楽を止めようとポケットに突っ込んだ手で音楽プレーヤーを操作する。


 愛花の声が聞こえたのはそのときだった。



「見て! うまくいったよ」



 やや息切れしている声と共に見えたのは、拍手をしている観客の姿だ。

 通行人も足を止めてくれたらしく、さっき見たときよりも人が多い。


 俺からすれば音も声もない拍手と歓声だ。


 それでも愛花のアイドル活動は成功を収め、順調な滑り出しだということはわかる。



「これから蓄音機の説明をするからね。夜にまた報告するから楽しみに待ってて。そのときに今日の感想も聞かせてね」



 俺は返事をせずに目を開ける。

 ライブは終わり、愛花はこれから忙しくなる。

 ゆっくり話すのは後でいいだろう。


 俺は呆然としていた。


 想像以上の成功にまだ頭がついていけていないのかもしれない。


 しかし、良かったことだけは確かだ。


 アイドルソングが好評だったのか、歌って踊るアイドルという存在そのものが珍しかったのか。

 異世界でのゲリラライブが成功を収めた理由については考察する必要があるだろう。


 しかし今でなくてもいいはずだ。


 今はただ愛花の活動が成功したことを素直に喜べばいい。

 この調子で蓄音機が普及すれば、愛花はアイドルとしても発明家としても名を馳せることになる。

 そうすれば当然暮らし向きも良くなる。


 目標達成だ。


 これは俺の手柄ではないだろう。

 アイデアを出しただけで、蓄音機を作ったのも、周囲の人と交渉したのも、ライブをしたのも愛花だ。


 困難だと思っていた道のりが、俺の手からは離れたところで見事に解決した。


 なんとなく脱力してしまう。


 そのまま指先で携帯音楽プレーヤーを操作すると、アイドルたちが耳元でスローバラードが再開された。

 それを聞きながら、脚光を浴びる愛花の視界を思い出す。


 幸せな光景だった。

 それなのに気持ちはイマイチ伴わない。


 事故以来、こんなことばかりだ。

 頭の理解と感情による納得が噛み合ってくれない。



「いつまでそうしているつもりですか」



 そんな声と共に、細い指先が俺の耳からイヤホンを外す。

 まさかこの公園に人が来るとは思っていなかったため、完全に油断していた。



「おぉ……びっくりした」



 俺の耳を現実に引き戻したのは委員長だった。

 ブランコに座った俺の正面に立ち、こちらを見下ろしている。



「委員長、学校はどうしたの?」


「それはこっちのセリフです」



 アイドルたちのかわいらしい歌声の代わりに、委員長がトゲのある声を出す。

 目と耳の奥にはまだ愛花のライブが残っているせいで、なんだか委員長までアイドルのように見えた。



「どうして学校に来ないんですか?」


「あ、そういえばそうだった」


「そうだったって……」


「いや、サボるつもりはなかったんだよ」



 色々あって学校にたどり着けなかっただけだ。

 気分とか、思いつきとか、眠気とか。


 なんであれ、学校に行くことを怠ってしまったのは事実だ。


 委員長の視線が俺の手元に落ちたことに気づく。

 俺が握っているのはピンク色のひびが入った携帯音楽プレーヤーだ。

 音楽を再生したままのため、外れたイヤホンからは音が若干漏れている。



「委員長はどうしてここに?」


「あなたのお母さんから連絡があって、探してたんですよ」


「そうだったんだ。よく見つけられたね」


「前に町をフラフラと歩いているのを見かけていたので、まずはご自宅の近くにある公園を探してみることにしただけです。すぐに見つかりましたよ」


「さすが。でも心配しなくても、携帯電話くらい持ってるよ」


「音が聞こえてなければ意味がありません」


「そりゃそうだ」



 確認してみると母だけでなく委員長からも着信が入っている。


 時間もいつの間にやら七時を過ぎていて、すっかり日も暮れている。

 どうやらライブが終わってから、しばらくぼんやりしてしまったらしい。


 ちゃんと聞いていなかったが、イヤホンから流れる曲もすでに十曲以上は素通りしてしまっていたようだ。



「うちの母さんとはいつの間に知り合いになってたの?」


「病院で少しだけ話をしました。気さくないいお母さんですね」


「ありがとう。しかし高校生の息子がちょっと放浪したくらいで、過保護だなぁ」


「あんなことがあった後なんですよ? もしまた同じような目に遭っていたらと考えたら過保護にもなります」


「言われてみればたしかに」


「今のあなたは他の人より、事故に遭いやすいですからもっと気をつけてください」


「それって目のこと?」



 忘れがちだが、俺は右目だけで現実世界を見ている。

 立体感や距離感に関しては以前よりも掴みづらい。


 しかし委員長は首を横に振った。



「そういう態度のことですよ」



 さっきまで怒っていたはずの委員長の声音はすっかり落ち着いている。

 いつの間にかどこか諭すような口調になっていた。



「つらいのはわかります」


「別に俺はつらくなんかないよ。毎日ハッピーだ」


「いいえ、自分で気づいていないだけであなたはすごく傷ついてます」


「断言してくれるね」


「奥野くん」



 委員長は俺の手を掴み、音楽プレーヤーを停止させる。

 かすかに聞こえていたアイドルの声が、息の根を止められたように途切れる。



「御堂さんはもういないんですよ」



 あらためて人からそのことを教えてもらうのは、妙に新鮮な体験だ。


 そういえば愛花が死んだことを最初に教えてくれたのは両親だった。

 愛花の母親ともそのことについて話した。


 だから愛花の死について話すのは、これで三度目のことになる。


 でもあらためて話したいような内容はない。



「知ってるよ」



 現実感はなくても、実感を伴っていなくても、事実は変わらない。


 俺たちは事故に遭った。

 愛花は死に、俺は左目を永遠に失った。


 誰がそのことに納得していなくともこれはもう起こってしまったことなのだ。

 否定したって取り返しがつくわけじゃない。


 愛花が異世界で生きていようと、破裂したはずの左目が異世界の景色を見せていようと関係ない。

 現実世界で生きながらえてしまった俺は、幼馴染と左目を失った。


 事実はそれだけだ。


 そしてそれは今後も変わらないままだろう。



「もう知ってるんだ」



 知っていても、異世界の愛花をほうっておくことはできなかった。


 いや、これは言い訳だな。

 結局はすがっていただけだ。


 異世界の愛花と交信して、左目でその世界を見ているかぎり、俺はなにも失っていないと信じることができた。

 それが心地よかっただけだ。


 これまでまるで愛花のためのように行動してきたが、それらはすべて学校に行かないための理由を作っていただけのことである。


 俺はこの数日の間ずっと、愛花のいない教室を見ずに済む理由を探していた。


 それがたまたま異世界にいる愛花の面倒を見ることだっただけだ。



「だったら……」



 俺の返答にひるんだみたいに、委員長は言葉を切る。



「学校には来てください」


「そうだね」



 多分それは今の俺にとって、もっとも必要なことなのだろう。



「月曜日の朝、迎えに来ますから」


「そこまでしてもらうのは悪いよ」


「来ますから」


「……うん、ありがとう。心配かけてごめん」


「お母さんにも連絡してください」


「すぐに帰るよ。あ、送っていこうか?」


「大丈夫です」


「そっか。いや、本当に色々と迷惑をかけて申し訳ない。このお詫びは必ず」


「いえ」



 俺が言葉をいくら投げても、委員長の口数は減る一方だ。



「じゃあまた」


「うん、気をつけて」



 帰っていく委員長の背中を見つめて考える。


 委員長の言葉をすべて素直に飲み込めるほど、俺は聞き分けがいい人間ではない。

 だけど言いたいことも少しはわかる。


 俺にはなにもない。


 左目を手のひらで覆う。

 そうしても視界は変わらない。

 半分削れた現実は、どうしたって塞がらない。


 異世界で愛花がどれだけ成功しても、現実の俺は冴えないままだ。

 動機はどうあれ、学校までサボって熱中した結果がこれなのだから笑ってしまう。


 そろそろ潮時なのかもしれない。


 今度こそ、俺は愛花と別れる必要がある。

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