第7話~また明日


 ~地球上のすべての人たちにはその人を待っている宝物がある~

(アルケミスト)



 おとぎ話の中の小さな小屋のような外観のその店は、想像していたよりも地味な装飾だった、でも木製の床と白い壁が綺麗に合わさった雰囲気の良い店だ。

 店内の席はほとんど埋まっていて、少し騒がしいくらいだった。

 楽しげな声は心地よいBGMとなり楽しい時間のエッセンスとなる。


 美味しいものを食べたあと、美味しい時間も終わりを告げる。


 目の前にいるこの人はなんて優しい目をしているのだろう。

 この人の事をもっと知りたいと思った。楽しく話をしている時も遠くを見つめているような物悲しそうな雰囲気が何なのかはわからないけれど、近づいてみたい、そう思いはじめていた。


 本を読む時、初めは入れなかった物語の世界が突然扉を開けて受け入れてくれる瞬間がある。

 文字を読んでいるだけではなく、物語に入り込めるそんな瞬間が好きだ、目の前に座る人の心の扉を開けてみたいと思った。


 食後に黒蜜の掛かったバニラアイスを食べた、それは洋食屋にしては珍しいのかもしれないけれど、きな粉もかかったその味は懐かしくて優しい味がした。


 店を出たのは10時を過ぎた辺りだった。

 静かな夜の道は物悲しい、来た道を2人で並んで歩く、暗い夜道をやんわりと照らす月のあかり、明るい家々の光があまりにも眩しくて、それが私の心の中にいっそうの影を作る。

 自分以外の全員が幸せを感じる風景だから。


「そろそろここら辺でいいですよ、ここからは1人で帰れますから」

 そう言いながらも、下まぶたの辺りが妙な熱を帯びている事に気がついた。

 熱は頬を伝い、唇や顎へと流れていく。

 いつの間にか、ぽろぽろと涙をこぼしていた。


「ぜんぜん大丈夫じゃないじゃないですか 」そう言いながら私を軽く抱きしめる山本君の優しさに甘えた。

 夏の香りがするシャツの心地良さを感じた。


 アパートまで送るという山本君と並んで歩く道、ギシギシと悲鳴を上げるアパートの階段を上り、ドアを開けるまで見てくれていた彼は通りから小さく手を振った。


「また明日」


 また明日……なんて優しい言葉なんだろう。


 子どもの頃遊んだあとの「また明日」

 約束が必ず果たせると信じていたあの頃、そんな別れの挨拶は優しく心を抱いてくれた。


 ***


 次の日も残業だった、疲れた身体を持て余しながら駅を出で家路へと急いだ、もちろん「柊堂」はとっくに閉店している時間だった。


 店の前を通り過ぎようとした時に、反対側のガードレールに座っていたのか山本君が声をかけてきた。


「お疲れ様、約束通り待ってました」

 照れくさそうに笑う姿を見て、やっぱりこの人の事を好きになったと確信した。


「待っててくれたんですか」


 一緒にこれを食べようと思ってと小さな袋を私に渡してきた。

 その中には香ばしい香りの小さいクロワッサンがたくさん入っていた。


「この道の先に美味しいパン屋さんがあるんですよ、そこのイチオシのパンなんです、早く売り切れるから昼の間に買って来てました、良かったらそこの公園で食べませんか」


 昨日思わず泣いてしまった私のことを気にかけてくれていたんだと思うと嬉しかった。

 私のことを心配してくれる人なんて親以外にいるなんて思っても見なかったのだから。


 コンビニでアイスカフェオレを買って公園へと向かった。

 そこは表通りの晴れやかな賑わいから離れた、人通りの少ない場所にあった。


 ブランコと滑り台2つと青色のベンチだけの小さな公園、道路を背に向けて置かれているベンチに並んで座り、クロワッサンを頬張った、サクサクとした食感とバターの香りに2人とも笑みが零れた。


「美味しいでしょう?」

「ホントに、めちゃくちゃ美味しいです、今度そのお店教えてください」

 自然に出たその言葉に、「喜んで」と返事をしてくれた彼。


「また明日」と言ってくれた彼に恋をしているのだと、風に揺れるブランコを

 眺めながら思った。

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