第10話 Gとキムの「本当の」最初の出会い

 頭の中がぽっかりと空洞になった様な気分だった。

 ここにやってきてから、ずっとそうだった。


「元気ないじゃない」


 ヴィクトール市のファクトリイの、中心にあるレンガ作りの建物の入り口の石段に座り込んで、まるでひなたぼっこでもしているような様子の彼に、陽気な声が落ちてくる。

 長い栗色の髪の青年の容姿をしたものが、二段くらい上に居た。Gはちら、と視線を向けると、すぐにそれを外し、素っ気なく答えた。


「別に」

「つれないなあ」

「別に馴れ合わなくちゃならない理由はないよ」


 ふうん、と不思議そうにうなづくと、栗色の髪の青年は、彼の隣に腰を下ろした。


「人間ってのはやっぱりお前のように、いちいちいろんなことで悩むのかなあ」

「別に人間って訳じゃないさ」

「でもGは人間に見えるじゃない?」


 大きな図体をしているくせに、青年の姿をしているレプリカントは人懐っこい喋り方をする。

 この目の前に居る青年だけではない。このファクトリィに居るのは、全てレプリカントだった。

 「殲滅」させるために出向いた彼の隊は、どういう訳か、内部の情報がことごとく漏れ、結果として部隊は全滅した。部隊のほぼ全員が、実に効果的な方法で、命を奪われたのだ。「優秀な兵士」であるはずのアンジェラスの、天使種の兵士達が。

 だが彼は生きている。たった一人、生き残って。

 いやそれは正しい言い方ではない。


「で、お前はいいのか? キム」

「何が?」

「忙しいんじゃないのか? 出発の」

「うん。だけどとりあえず俺のできることはやったから。あとのことは俺がやっても大した手助けにはならないし」


 変なところで合理的だ、とGは思う。最初にこのレプリカントに会った時から、そうだった。

 そもそもは、銃を向けあった仲なのだ。



 司令は――― Mはあの朝彼に、「負けてこい」と言ったのだ。

 「そうすることで、レプリカントを『本当に』殲滅させなくてはならない理由ができる」と。

 「優秀な兵士」、他の星系の人間が怖れる天使種の部隊を全滅させられるだけの力を持つと。

 それが他の人間達にも、レプリカントに対する恐怖を生むのだ、と。レプリカントの「存在」を許さなくするのだ、と。

 そしてそのためには何でもしろ、と。

 その言葉は絶対の命令のように彼の中に響いた。無論躊躇するものは彼の中にはあった。司令の言葉の意味するものは、すなわち、部隊への裏切りと、レプリカントに味方することだった。

 しかも司令は、そこに一つの言葉を付け加えた。


「だがお前がその場でできなければしなくとも良い」


 ひどい、とGはその時思った。無論それが言葉になることはなかった。だが確かに彼はそう思ったのだ。

 できることなら、そんなことはしたくなかった。だが、この司令の言うことなら、どうして逆らえよう?

 彼は迷いながら、それでも自分がどちらの選択をしても構わないように、出撃までは振る舞った。そうできた、と自分では信じていた。少なくとも、あの友人の前で、笑顔を見せるくらいのことはできた。

 あの友人のことも、気がかりの一つだった。

 それでも、自分はあの友人のことは、他の誰よりも大切に思っているのだ。その感情が恋愛であるかなどはどうでもいい。自分にとっても特別であるのは事実なのだ。

 だが、その大切な相手と一緒にいる自分は、決して自分自身を認めることのできない自分なのだ。相手の熱い手にくるまれて束の間の心地よさで毎日をやり過ごしていく自分は、その場その場を救ってくれても、それだけなのだ。

 ところがあの司令は。

 第一世代のくせに、自分がそれまで強制され、持ち続けてきて、縛られていた彼の母星の常識をいとも簡単に突き崩してくれた。

 自分が待っていたのは、そういうものだったのだ、と彼は全身を震え上がらせるような冷たさの中で理解した。自分自身が何であるのかを忘れることではなく、自分自身が何であるのかを突きつけられることだったのだ。

 ただそれでも、行軍の途中まで、彼が迷っていたのは事実だった。それでも、それまで自軍として戦ってきた場所を、さっと乗り換えることはできない。できる訳がないのだ。

 その迷いを振り切らせたのは、最初の向こうの攻撃だった。

 行軍途中の夜に、彼等は奇襲を仕掛けてきた。それはひどく「合理的」な方法だった。

 そしてその奇襲の際、その中にひどく手練れた兵士が一人居た。

 思わず彼は、地上車のルーフを上げて、その様子を目にしていた。

 時々照らし出すライトの中に、時折、一瞬だけ浮かび上がるその姿は、ひどく印象的だった。腰まである長い栗色の髪をくくりもせず編みもせず、振り乱しては銃と特殊セラミック製の長剣を振り回している。

 狙いも正確だし、しかも、効率的だ、と彼は思った。

 何故なら、その兵士は、明らかに生身の人間しか狙っていないのだ。生身の人間に、何の容赦もなく、再生不可能な致命傷を与えるべく。

 彼はルーフを閉じると、全体に通信を回そうとした。だがそれはできなかった。


「…駄目です、少佐、電波障害です!」


 彼は何、と思わず横の副官である中尉に問い返していた。

 そして次の瞬間、ルーフにどん、という重みを持った音が響いた。

 実に効率的。彼は反射的にその場に伏せていた。ルーフにミシン目のように切り込みが入っていく。切られた缶の蓋が落ちてくるのを、彼は他人事のように見ていた。

 栗色の、長い髪がだらりと重力に従う。そして正確な狙いの銃口は、運転席の機械を綺麗に破壊した。

 Gは何が起こったのか、何が起ころうとしているのか、理解したつもりだった。実際、栗色の髪の兵士がくわえている長剣は、自軍の兵士の血が滴っていた訳だし、既に足は止められ、扉を開くための回路すら既に壊されているはずだ。


 このまま殺されるのか?


 横の席の中尉は、落とされたルーフの下敷きになって動けない。何処か打ったのか、切ったのか、腕が奇妙な方向を向いている。

 とにかく彼は死ぬつもりだけはなかった。

 それだけ決めていれば、次の行動は簡単だった。彼は腰から長剣を抜くと、回路の壊れて開かない扉のジョイントに斬りつけた。どんなものにも開くためのポイントというものは存在するものである。扉は弾かれたようにぱっと開かれた。それを合図のように、ルーフから逆さまにのぞき込んでいたレプリカントの姿が消えた。

 Gは中尉を引きずり出すと、車から飛び出した。あちこちで血なまぐさい気配がする。

 中尉を地面の下ろすと、彼は先ほどのレプリカの気配をたどった。向こうはこっちの所在に気付いていて、こっちは向こうの所在が掴めない。それはひどく彼を不安にさせた。

 じわ、とわきの下に嫌な汗をかいていることに彼は気付いていた。

 次の瞬間、彼は身体を反転させていた。きん、と特殊セラミック同士のぶつかる音が耳に届いた。

 無機質の瞳が、正面にあった。


「お前が指揮官だな」


 え、と彼はその目の前のレプリカの声を聞いた時、ひどく混乱した。その表情の無機質さに比べ、ひどく子供めいた、それは。


「そうだな、その星の数はそうだよな」


 何やら宝探しの宝を探し当てた子供のような口調で。

 そしてその一瞬の抜けた気をすりぬけるかのように。衝撃が彼のみぞおちに広がった。そして彼はそのままその奇襲を受けた場から連れ去られた。


 気がついた時、彼は何の拘束もされず、ベッドの上に寝かされていた。

 驚いて身を起こすと、そこには、彼を捕らえた長い髪の兵士と、そしてもう一人、見覚えのある者が居た。


「…あんたは…」

「やあ気がついたね」


 ひどく乾いた、やや低い声。あのモニターの中で、レプリカントの独立を宣言したあの声が彼の耳に飛び込んできた。


「君が彼の言った士官だね」


 彼? Gはこの首領の言う相手が、あの司令のことだと気付くのに少しの時間を必要とした。


「返事は?」


 にっこりと笑みを浮かべて、青年よりは少年に近い容姿を持った首領は、Gに問いかけた。

 穏やかだが、その笑みは彼に悪寒を起こさせた。あの司令に感じたものとやや似ていた。ただ、そこには司令に感じたような、あの手袋ごしの暖かさのようなものは一片たりとも感じられなかった。

 彼はうなづいた。そして状況を理解した。つまりは彼自身が選ぼうと選ばまいと、選択肢は一つしかなかったのだ。


 お前には選べないだろう?


 そう言うだろう司令の姿が目に浮かぶ。


 ええそうです俺には選べない。だから無理矢理にでも、俺をその状況においてくれ。そうすれば俺は動く。その場で最上の方法を、的確な方法を探す。そうすればいいんでしょう?そしてあなたは知っているんだ。それが俺の望みであることを。


 彼は自嘲気味に内心つぶやく。


 それから彼が最初にしたことは、自分の部隊の残存兵の追撃と情報提供だった。

 それは実に有効に働いた。

 そしてその先鋒に、この栗色の長い髪のレプリカントが居た。

 彼等の首領がどう命じたものか、このレプリカ――― キムと言った――― は、Gに何かと近づいてくる。

 鬱陶しい、と思わないこともなかったが、相手の様子が外見にやや反して子供っぽいことから、妙に憎めないものがあった。

 一度そう言ったら、キムはこう答えた。


「仕方ないじゃない。俺まだ『覚めて』から大して時間が経ってないんだもの」


 「覚める」とは彼等の特有の用語で、それまで「命令」に縛られて自我の無い人形だった者が意識づくことを言う。Gもまた、ここで初めてその状況を知った。


「俺はこことは別の惑星で作られて使われていたセクサロイドだったらしいんだけど」


 キムは自分の「覚める」前のことを他人事のように語る。それまでも長い時間は経っていただろうに、それはまるで自分のことではなかったかのように。


「ある日何かがおかしくなって、急に世界がクリアになったんだ。色がついたっていうか」

「モノクロの世界だったのかよ」

「そうじゃなくて… 何って言えばいいんだろ?」


 上手く語彙が見つからない、というようにレプリカントは長い髪をかき回す。

 その長い髪を見るたびにGはあの夜の戦闘の中で容赦なかった戦闘員の姿を思い出すのだが、どうしてもその姿と今のこの子供っぽい姿が一致しない。


「だから、それまでは俺が――― 俺に起こるものごとってのは他人ごとだったんだよ。だからどんなことをさせられても、そこで俺が何も感じることはない…」


 どんなこと、がどんなことなのか、一瞬彼は聞きたいような気にもなったが、それを口にすることは憚った。その用途に作られた人形の扱いは、よく知られたことだったからだ。


「だから俺にしてみれば、俺は何か、ひどく頭がくらくらしながらも、何か、それが本当だ、という感じだったんだよ。だけど周りの人間はそうじゃないだろ?」

「…ああ」

「俺の回路が狂った、ってことで、俺は解体されるべく車に乗せられた。そこをあのひとが助けてくれたんだ」

「あのひと」

「うちの首領だよ。ハルが俺を助けてくれた」


 そしてその時彼は初めてレプリカントの首領の名を知った。


「彼もレプリカントなんだろ?」

「当たり前じゃないか」


 じゃあどうやって彼は「覚めた」んだろう?


 Gは疑問に思う。司令のせいだろうか。だがあの司令が、人形である時の首領に荷担したとは思いにくい。明らかに、「覚めた」状態の首領と出会って、そして約束をしているのだ。

 完全な自由か、完全な死か。

 おそらく、とGは思う。キムは、そして他のレプリカは、その首領の本当の望みは知らないのだろう。前者の理由はともかくとして、後者の理由は。

 それとも。

 それとも、それは意識せずとも全てのレプリカの願いなのだろうか。


 首領は、ずっと協力する必要はない、と彼に言った。

 自分達は、ファクトリィに蓄えられている「原料」さえ全て回収することができれば、このマレエフからは出るから、と。そうしたら自分は解放するからと。

 ついて行ってはいけないのか、と彼は首領に訊ねた。

 すると首領は、その少年めいた顔に、ひどく疲れた笑みを浮かべると、駄目だ、ときっぱりと言った。


「君には君の役割があるはずだ。それは僕達の場所とは無縁であるべきなんだ」


 確かにそうだ。あの流れ込んだ司令の「未来の記憶」の中に、レプリカと共に行動する自分の姿はなかった。だからと言って、その後に続く長い映像の中に、自分の姿もまた存在しなかったのも事実だ。

 では自分はここで消滅してしまうのだろうか。

 それもいい、と考えている自分がいなくもない。自分の居る意味も判らないままずるずると生き続けていくよりは、あの司令の見る未来のために何らかの役割を演じて終わるのならそれはそれで。

 だが、気になることもあった。確かにその「未来の記憶」の中に、「しばらく」彼は存在しないのだが、長いブランクの後に、確かに、自分の姿はあったのだ。

 それが本当に自分であるのかは、さすがにあの大量の「記憶」にくらくらとしている自分には判別のしにくいことだった。自分のような気がする。だけど違うような気もする。曖昧で、判別ができない。

 そしてあの友人も。今の友人と同じ姿をしているようで、だけど何処か違う気がする。何故なのかさっぱり判らない。



「出発は、明日の朝だよ」


 キムは何気ない口調で座り込む彼に告げた。


「お前はどうすんの? 俺達とは行かないんでしょ?」

「まあね」

「一緒に来ればいいのに」

「人間なのに?」

「違うでしょ?」


 Gは弾かれたように顔を上げた。


「天使種は人間じゃないでしょ」


 目を大きく広げる。少なくとも、このレプリカの口からそれが告げられるとは思ってもいなかった。


「首領が言ってたよ。天使種は俺達が敵としなくてはならない『人間』ではないって。むしろ俺達のような、何かと何かが生きてくために共存しているようなものだって。だからGは俺達と大して変わらない訳でしょ?」

「お前…」

「あ、でも俺別にそれでお前の軍の連中をやったことは別に弁解しないからね。そうしなくちゃ俺達は生きられないでしょ」

「ああ」


 それは事実だ。


「それで何か悩んでる? お前は」

「悩まないのか? 自分のしていることが正しいかどうか…」

「そういうのは、生き残ってから考えればいいんだ」


 やや怒ったような口調で、キムは口をとがらせる。


「Gは俺より『覚めて』る時間長いはずなのに、どうしてそんなことも判らない訳?」

「キム?」

「そんなことは、誰が決めるんだよ?」

「誰が…」

「正しいか正しくないかなんて、そんなの、お前、自分で決められるほど自分が正しいなんて思っている訳? そんなのは、後で考えればいいんだよ。死んだ後で、誰かが決めればいい。少なくとも、そんなことで今生きなくちゃならない俺達が、悩む暇はないよ」


 彼は目を閉じることも忘れて、目の前のレプリカントを見据えた。答えは明快だった。ひどくそれは単純で、それで納得のいくものだった。


「俺はさ、だからまず生き残りたいし、それに、助けてくれた首領のために、何かしたい。それで生き残れたら、それはその時だし、死んだらそしたら、俺の行動なんて、後に俺達を滅ぼした人間達が勝手につけてくれるさ。だけどそれはもう俺の知ったことじゃないだろ?」


 ああ、とGはうなづいた。


「お前にはそういう相手はいないの?」

「居る」

「だったら話は早いじゃない。とにかく生きていりゃ、その人のために何かできるじゃない」

「全くお前は」


 彼は苦笑する。


「何、俺笑えるようなこと言ってる?」


 いいや、とGは軽く頭を横に振った。その拍子に、キムほどではないが長い髪が揺れる。それを見てキムは彼に訊ねた。


「いつもリボンでしばってるけどさ。面倒じゃない?」

「え?」

「いつだってそうじゃない」

「…ああ」


 そう言えばそうだった。解かれるための、リボンをしていた。だがそのことは口には出さない。代わりにそう言う相手の髪を手に取ると、彼は器用にそれを編む。


「何すんの」

「こっちだっていつも思ってたんだよ。ちゃんと手入れしないと、傷むぞ」

「ふうん」


 そして長く編まれ、ハンカチでとりあえずと縛られた自分の髪を見ながら、キムはうなづいた。


「悪くないね」


 だろ、とGは軽く笑いかけた。

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