第4回 さよなら、みいちゃん


4


時を止める方法について話をしよう。


どうやって、みいちゃんが時を止めたのか。


あっちゃんの定食屋でランチを食べていて、何度かみいちゃん と顔を合わせるようになり、携帯番号を交換したりするようになった。


あっちゃんの定食屋でランチを決まって食べるようになったきっかけはとにかく、あっちゃんはいつも笑顔で働くシャキシャキした女性で、その一日を笑顔からはじめたくなったからだ。


あっちゃんに笑顔がない時、二人で「今日はどんな話する?」と言って、バカ話やエロい話をして盛り上がった。それで、笑顔になると「よし、これがウチや」とガッツポーズしてまた笑顔になった。


「大将のところに子猫がおるん知っとる?」と、あっちゃんは言った。


「子猫? いつから?」


「2日くらい前。キジトラ模様でまだ一ヶ月の子猫」


「名前は?」


「それが、ミイちゃんっていうんよ」


「あの、みいちゃん と同じ名前やね」


「そやねん。偶然やねん」


 お寿司屋さんと子猫のミイちゃん。ずいぶんと不思議な組み合わせだな。でもお店の外で飼ってるし、夜は大将の家に連れて帰るらしい。


「けい君、ウチの友達のみいちゃん にもう燃やされた?」


「その燃やされたってどういう意味?」


「まあ、みいちゃん 、よく燃やすから」


「燃やすって、男の人のこと?」


「うん。そやで」


「パンダ燃やしてない」


 パンダを燃やす?


「みいちゃんがけい君のパンダ燃やしてないってないってことは‥けい君大事にされとるかもな」


「そんなにすぐに男の人と恋に落ちるん?」


「恋ちゃうわ。だからパンダを燃やすのみ。そっか、けい君はみいちゃん に一目惚れしたか」


あっちゃんは僕の肩を叩いて微笑んだ。そして腕を組んだ。


「まあ、そうなんだけど」


「まあ、けい君見とったらわかりやすいわ。女の勘は鋭いで」


そこで、運命の携帯電話が鳴った。今となってはこれが運命のLINEだったんだよな、と今でも思う。


「ほらみてん。パンダパンダパンダ?」


「みいちゃんって何者なん?」


「さてな。女の秘密や。女の秘密は美しいものやからな、けい君。覚えとき。パンダが燃える時、秘密が浮かび上がる」


「秘密が浮かび上がる」


「そやで」


「あっちゃんは?」


「ウチ? ウチ彼氏おるやん」


そこへ新しい客が入ってきた。二人連れの男性で作業服を着ていた。しばらくしてまた女性の客。その三人で料理ができるまで喫煙室で談笑が始まった。そうやってこの定食屋は人が知り合っていく。


夜のドライブをしていた。助手席にはみいちゃん 。


車を港にとめて、ふたりで早朝の秋の海を見ていた。


音楽はスピッツ。


「あのね、けい君、自分が生きてる実感でどうやったら、掴めるかわからんかったの」


「うん」


「手術受けたことがあったの。そしたら、全身麻酔で、あれって心臓の音が手術室じゅうに流れてるの。自分の心臓の音。眠りに落ちる前、その音を聞いてる時だけ、私、生きてた」


「うん」


「そこから時は止まった」


「え? なんの手術?」


「あとで言う。今は秘密」


「みいちゃん、何か病気でもあるの?」


「ないよ」


その時、みいちゃんはなぜか涙を浮かべて、ぽろぽろと泣き始めたので、僕たちは初めてハグをした。みいちゃんは僕の胸で泣いていた。


「今日のみいちゃん はおかしいな」


「そう? けい君。本当に28歳以上にはなりたくないの。ごめんね、けい君、これで、私とは、さよならかもしれないの」


「どういうこと? 仲良くなったばかりじゃない」


「けい君、私のことひょっとして好き?」


「うん。そのままのみいちゃん が好きだよ。竜巻みたいに、最初から」


「そのままの私?」


「今のままのみいちゃん 」


「ひどいなあ」


その意味がわからない。わからなかったんだ。


みいちゃんが僕の手を取り、自分の心臓あたりにタッチさせた。僕はその膨らみに戸惑った。


「揉んでいいよ。気持ちよくなりたい」


「僕のこと好きでもないのに?」


「落ち着かせて、けい君」


僕はゆっくりと手を動かしはじめた。パンダが燃えようとしていた。好きでもない人とのセックス。そういうことだったんだな。


こんなに悲しい始まりと終わりは経験したことがなかった。みいちゃんを抱いている間、彼女が言った、「さよなら、けい君」と言う言葉。そして朝焼けのなかで、手を繋いで、港を見ていたこと。朝日が辺りを照らし出し、またスピッツを聞いたこと。


「夢追い虫っていう曲なの、これ」


「うん」


「君の全てが、途中から変わっても全部許してやろう、って意味の歌詞があるの。言われてみたいよ」


「僕は一目惚れだよ」


「私は変わるよ。明日。秘密の大きな手術。整形の手術をして、新しい顔と若さを手に入れる」


「整形? どうして? そのままで可愛いのに」


「もう頬に糸が入ってる。頬の肌が緩むことがないように」


「そのままでいいよ」


「だからひどいこと言わないで。一目惚れなんて言うから、もう会えなくなるの。出逢って嬉しいのに」


「みいちゃんこそひどいよ!」


「だから一回、ね」


言葉がなかった。全身が震えた。ざわざわしていた。次に涙がやってきた。次から次から涙は流れた。


みいちゃんとはもう会えなくなる?


僕の好きなみいちゃん の横顔。28歳のままでいたいと言ったこと。たぶん心の中では、海の底から浮上の火を探しているみいちゃん 。でも顔が変わっても、心の中まで整形できるんだろうか。整形したら急に性格や人生まで変わると聞いたことがある。


でも心の奥は?

海の底には白い綺麗な椅子がある。

それを思い浮かべる。


過去と未来が同時に存在していた夜。過去と未来を同時に生きる彼女のこと。


みいちゃんを駅まで送った。その後姿が消えていく。僕の記憶からも消えていく日が来るのかな。28。


「もう会えないよ、けい君」と車をおりる時、最後にみいちゃんは言った。


歩いていく後ろ姿を見ていた。どこか強くて儚い背中。明日になると時が止まると信じている背中。遠ざかっていく背中に、小さく手を振った。駅はまだほとんど人がいなかった。


僕はその後、車を走らせた。どこの道でもよかった。


さよなら、みいちゃん。


僕の走る車は未来にしか向かえないよ。車は未来に走っていく。

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