五 喪離

五 喪離(1)

「――憶えてる? この森でもよく探検とかして遊んだんだよ?」


 今が盛りと枝葉を伸ばす周囲の青々とした樹々を見回しながら、ほたるが俺を問い質す。


「ああ。そう言われてみれば、なんだか懐かしい気もするよ……」


 今ほど遊歩道は整備されてなかったが、昔ここへ来たような記憶はぼんやりとだが残っている……少女の後を追っていた時に感じたあの既視感デジャヴュも、こどもの頃に見たこの森の思い出が作り出したものかもしれない……。


 幸信と別れた後、俺達が向かったのはあずさの発見されたあの森の遊歩道だった。


 彼女を死に追いやった切り株の周りには、一応、「KEEP OUT」の黄色いテープが張り巡らされてはいるが、昼でもあまり人が来ないような場所だからいいようなものの、別段、見張りの警官が立っているようなこともない。


 ここからも、警察がこれをただの事故として処理しようとしていることが見てとれる。


 まあ、今朝はよく観察する余裕もなかったのだが、こうして改めて眺めてみると確かに遊歩道に立つ街灯の明かりは森の中まで届きそうになく、切り株の周囲の地面には樹の根や下草が所せましと這いずり回っているので、あの巡査が描いたようなシナリオもあながちないとまでは言い切れないかもしれない。


「アズちゃん、遺体はまだ戻ってきそうにないから今はここでお別れ言わせてもらうね」


 他に人影も見えない昼なお薄暗い森の中、跪き、穏やかさの中にも淋しそうな響きの籠った声でそう告げると、途中積んできた花を「KEEP OUT」テープのすぐ手前に供え、ほたるが静かに手を合わせる。


 それに続き、背後で俺と美鈴も手を合わせて心から彼女の冥福を願った。


 俺達がここへ来たのは他でもない。遺体が行政解剖に回されているため、代わりにこの亡くなった地で友人に最後の別れを告げるためである。


 異常なことがありすぎて、ほたるに言われるまですっかり失念していたのだが、確かに他の何よりも、俺達親しかった者が死者に対して一番にやらなくてはならないことだ。


「ったく、ユキのやつ、他にもっとやることがあるだろう……」


 先程の一件もあり、俺は自分を棚に上げて、この場にいない幸信のことをボヤくように責める。


「まあまあ、供養の仕方にもいろいろあるから。あれがユキちゃんなりのお弔いなんだよぉ」


 すると、ほたるがとても平和的で穏やかな響きの声で、苛立つ俺をなだめるように言った。


「それにね、ユキちゃんはこどもの頃からずっとアズちゃんのことが好きだったんだよ」


「…!」


 続いて声を潜めると、俺の耳元でそんな内緒のお話もし始める。


「でもね、アズちゃんはシュウくんのことが好きだったんだよ。だからさっき、あんなに怒ってたんだあ」


「ええっ!? アズが俺を? おっと…」


 内緒のお話なのに思わず声を上げてしまい、慌てて俺はその口を手で押さえる。


幸いほたると入れ替わりにしゃがみ込み、再び手を合わせている美鈴は気に留めなかったらしく、あのギャーギャーうるさい声は聞こえてこない。


 ……にしても、あずさが俺のことを好きだったとは俄かに信じがたいが、幸信が彼女に恋心を抱いていたと言われれば、そういや思い当る節はある……そうか。それであいつ、あんなにも冷静さを失っていたってことか……。


 気づかなかった幸信の心の内を今さらながらに知り、ヤツの行動を責めてしまったことに俺はなんだか後ろめたさを感じていた。


「おまえ、よくそんなことわかったな?」


「そんなの見てればわかるよぉ~。こどもの頃から見てるからねえ」


 こちらも声を潜めてその観察眼に感嘆すると、ほたるは苦笑いを浮かべながら、どこか遠い日を懐かしむような目をしてそう答える。


 まあ、俺よりも長い時間一緒にいたということもあるだろうが、こいつ、ぼーとしたふしぎちゃん・・・・・・のように見えて、意外と鋭いところがあるのかもしれない……。


「ああーっ!」


 その時、突然、美鈴の頓狂な叫び声が静かな森の中に響き渡った。


「な、なんだよ、急に……」


 驚いた俺とほたるはそちらを振り返り、いつの間にか数歩離れた場所へ移動している美鈴に問い質す。


「こ、これ見て! これ、アズのだよ! アズが好きだったウサギのシールも貼ってあるし!」


 すると、美鈴は興奮した様子で手にした緑色の物体を俺達に向かって見せつけた。


 それは長辺が10㎝くらいの長方形をした薄い手帳のような代物で、その表紙の隅には確かにカワイらしいウサギのキャラクターシールが貼られている。


「それは……」


 俺はその緑色の物体に心当たりがあった……考古学を学んでいる大学の友人が持っていたのだが、それは〝野帳やちょう――フィールドノート〟と呼ばれる代物だ。


表紙が硬くて厚い紙でできているため、手に持ってメモ取るのに便利なので発掘調査などで使われるのだが、民俗学や他の歴史系学問でも重宝されてるようなことを嘯いていた。


「どうしたんだよ、それ?」


「なんか、ふと見たらそこに落ちてたの! これ、昨日の晩にアズがここへ来た時落としたんだよ!」


 再度尋ねる俺に、美鈴は足元の草地を指し示しながら、野帳をブンブン振り回して興奮気味に主張する。


 草の中では保護色となって警察も見逃したか……それにあの巡査達、はなから事件性はないものとして扱ってたしな。ちゃんと遺留品捜索する気すらなかったんだろう……。


「ちょ、ちょっと見せてみろ!」


 気持ちが急くのを抑えながら、俺は奪い取るようにしてその野帳を確認する。


 確かにウサギのシールは貼られているが、表紙に名前らしきものは見当たらない……。


ま、普通、名前なんか書かないだろうからな……だが、ほんとにこれがあずさの落とした野帳だったとしたら、おそらく中には……。


「なに!? 何が書いてあるの!?」


 背後から美鈴とはたるが覗き込んで急かす中、俺はパラパラとページを捲り、中に書かれているものを確かめる。


 すると、大学の講義で行ったものだろうか? 前の方には模擬的に描いた五輪塔の実測図や発掘調査の基本的なやり方、農村部で民俗調査する上での質問事項などがメモされている……美鈴の話と合わせるにも、十中八九、あずさの落としたものと考えて間違いないだろう。


 そして、おそらくあずさが最後に使用したページであろう、以後白紙となる直前の真ん中辺りには……。


 喫茶おもひで……マトン、話してた……シラコ、二年前から……山の近く……別荘→ペンション……オーナー……。


 そんな言葉が簡単にメモしてある。特に最後の「オーナー」という文字は何度も丸で囲まれて強調されていた。


 オーナー……ペンションのオーナーということだろうか? この「山の近く」というのが真人の亡くなったあの小山のことだとしたら、そのペンションというのは俺の泊まっているあの宿のことになる……もと別荘だと聞いているし、その可能性は非常に高い。


 だが、それじゃあ、あのペンションのオーナーは何かシラコと関係があるというのか? 見た感じ、そんな幽霊なんかとはまるで関わりのなさそうな陽気で明るいご夫婦だと感じたが……。


 でも、そういえば、あずさは昨日の夕方、なぜかあのペンションを訪れていた。あの山のことばかりに気をとられてスルーしていたが、もしそれが、あのオーナー夫婦に用があったからなのだとしたら……。


 いったい、どうシラコと関わりがある? そうと知れても、この簡単なメモだけではあずさの辿り着いた真相までは皆目わからない。


「おまえ達、これがどういう意味なのかわかるか?」


 俺は野帳を掲げ、そのページを見せつけながら美鈴とほたるに尋ねた。


「……ううん。ぜんぜんわからない」


「うちも同じく……」


 だが、二人は一瞬、ドキっとしたような表情を覗かせたものの、すぐに首を横に振って俺と大差ない状況であることを示す。


 なぜ驚いたような顔をしたのか少々気になったが、まあ、あずさの書いた〝シラコ〟なんて文字を見たらそれも当然の反応だろう。


「いずれにしても、これは大発見だな……」


 昨日の時点ではそんな気さらさらなかったし、さっきも幸信について行こうとは思わなかったが、こうなると俺もシラコの正体を突き止めることに少なからず興味が湧いてきている……友人二人を死に追いやった張本人かもしれないし、なにより俺自身、何度となく彼女を目撃している当事者なのだ。


 ……そう。俺も当事者なんだ……このままだと、ひょっとしたら次には俺が……。


「そうだ! ユキにもこのこと知らせてあげなきゃ!」


 再びその最悪の未来を予想してしまい、俺が全身に鳥肌を立てて身震いしていると、思い出したかのように美鈴が大声を上げた。


 すぐさま彼女はピンクのカバーを付けたスマホを取り出し、幸信に電話をする。


「……ダメだ。ぜんぜん出ない。どこ行ってんだろ?」


 だが、美鈴はスマホを耳に当てたまま、いつまでたっても会話は始まらない。


「お話聞いて回ってるだろうし、きっと出る暇ないんだよお」


 眉間に皺を寄せてボヤく美鈴に、のんびりとした調子の声でほたるが言う。


「仕方ない。時間置いてからまた電話するか……」


「それじゃあ、その間にマトンくんの所にも行こうか?」


 そして、口を尖らせて電話を切る美鈴に続けてそう断ると、ほたるは次の目的地へと俺達を誘った――。

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