第13話 「聞きたいなら、お前は俺に哀しそうな顔をするな」

 両手のこぶしを強く握りしめ、キムはそれだけの言葉を一気に投げつけた。

 変わらない姿勢でそれを見ながら、ハルは軽く瞬きをした。


 ああ、まただ。


 一度は生気が入ったと思った瞳が、またひどく重いものに変わっていた。何処を見ているだろう。少なくとも自分でないことは確かなのだ。

 胸が痛む。


「昔のことだよ」

「知りたい」

「物好きだな。誰もが知ってることだよ。レプリカの、俺が目を覚まさせた連中にはね。お前以外の誰もがね。誰もがその情報を受け取ると、とても辛そうな顔をする。俺はそれを見るのが嫌だ。だけどそれは、俺が俺である以上、仕方のないことだとトロアは言う。仕方ないことだよ。だけど」

「だから」

「お前のそういう顔は、あまり見たくないね」


 あ、今のは。キムは片方の眉をぴくりと上げる。

 これは、「俺に」言ったものだ。


「聞きたい。ハル」

「本当に聞きたい訳?」


 うん、とキムはうなづいた。


「じゃあ約束しろ。聞きたいなら、お前は俺に哀しそうな顔をするな。俺は見たくない。約束できるか」

「うん」


 大きくうなづく。そんなに辛いことなんだろうか。自分がそうできる保証はなかった。芽生えたばかりの感情は、時々堰を切ってあふれ出してしまう。

 それでも。



 まだ人間が宇宙に本格的に飛び出す前の時代だ、とハルは話し出した。


「レプリカの外見がようやく人間と見分けがつかなくなってきた程度の時代だよ。大半の人間は、地球上の、生まれた『国』から一生離れることのないような時代」


 そんな時代は、キムには予想ができなかった。どれ程昔のことだというのだろう。レプリカの時間感覚は確かに人間よりは長かったが、それでも。

 一体この少年のように見える首領は、どれだけの時間を生きてきたというのだろう。


「俺はその頃、ただの人間だった。歌い手だったんだ。この身体と同じ外見をしていたけれど、生身の人間。ただの人間だったよ。そのまま行けば、ただの人間として、もう何世紀も前に俺なんて存在はこの世から消えていたはずなんだ」

「でもあんたはここに居る」

「そう俺は居るんだ」


 言いながら、ハルは右の手で、左の二の腕を抱え込む。その様子を見ながら、キムはふとあの捕虜のことを思い出していた。


「お前『夜長ヨナガの君の暴走』を記憶している?」

「記憶している。書き込まれているよ。都市コンビュータの暴走だろ?」


 キムは記憶を引っぱり出す。別に彼自身が体験した訳ではないが、彼の中にあらかじめ記憶させてある知識の中から。

 ある地方の都市において、都市管理コンビュータがある日突然暴走した。全ての市民を強制的に都市の外に追放し、その扉を閉ざしてしまった。

 当時はドーム都市の全盛期である。

 汚染された人類最初の惑星は、そんなものが無くては生きていくことができなかったらしい。

 追放作業自体で死人が出たということはなかったが、追放された時に受けた汚染大気や物質は、ある程度の被害をもたらしたらしい。


「うん、暴走」

「原因不明のまま、その都市は閉鎖されたって聞くけれど。手がつけられなくて」


 そういうコンピュータに女性名とは、よくつけたものだ、とキムは思う。


「そうだね。お前の記憶は正確。だけど正確な事実としては、暴走したのは都市コンピュータじゃないんだ」

「と言うと?」

「夜長の君、と当時のその都市コンピュータは呼ばれていたけれどさ、もっとそれ以前から、その都市には意識があったの。暴走したのはコンピュータの夜長の君じゃあなくて、都市の意識のほうだったんだよ」

「……都市が意識を持つ訳がないじゃない」

「あったの。それはお前偏見。お前だってレプリカなのに意識を持っただろう?都市は都市になった時点から意識を持つんだ。そして『彼女』と俺は当初実に相性が悪かったんだ」

「……」


 キムは眉を寄せ目を軽く伏せ、こめかみを指で押さえる。情報には整理が必要だった。

 その様子を見ながら、その間はハルは口を開こうとはしなかった。キムが理解しようとつとめているのをいちいち確かめるかのように。


「まあ細かい事情をここで言っても仕方ないよね。とにかく『彼女』と俺は、相性が悪かった。そしてそのせいで、俺は一度『彼女』とその立場を入れ替わってしまったことがあるの」

「?」

「都市としての意識に、俺がなってしまったの。そしてもともとの都市の意識である『彼女』を俺の生身の身体の中に閉じこめて――― まあお前にそのあたりの理屈を今言ったところでどうにもならないよ。とにかくそういうことがあって、俺はその時不安定になった空間を切り離して閉ざすことでとりあえず守った。守った気でいたよ」

「守ったんじゃない?」

「でもねキム、俺はその都市を元に戻す方法は、閉ざした時点から知っていたんだよ。なのに俺は日和っていた。十年間。その都市に住んでいた人達の、何の関わりもない人達の自由な時間を奪ってしまった。中には本当に十年分の時間そのものを奪ってしまった人も居る」

「……大した時間じゃないじゃない」

「お前にはね」


 つ、とハルは顔を上げる。


「そして今の俺にはね。だけど当時の、人間にとっての十年は、俺たちの百年に等しいくらい長いんだよ。俺はその時間を、ただ自分の居心地のいいからというだけで日和っていたんだ。元に戻す方法を黙っていた。レプリカの身体に入り込んで、仲間達と話したり時間を過ごしたりしていた。……それが心地よかったから。だらだらと、ただ―――と過ごす時間って奴が」


 え?


 彼は一瞬耳に言葉が入らなかったことに気付いた。

 口は動いていたはずだ。キムは自分の感度が悪くなったのではなかろうか、とそちらへ注意を向ける。いやそういう訳ではない。


「だけど十年もした時には、さすがに俺ももうそうしなくてはならない、と思ったよ。確かにそこで仲間達や、―――とそうしているのは、隠し事があったとしても、楽しかったんだ。だけど」

「だけど?」

「このままではいけない、と思った。だってそうだ。その時俺には仲間が三人居て、『彼女』を中に閉じこめて眠りについた俺の身体を、存在を守るためにそいつらはそのままその都市に残って、その都市を掌握した。そんなこと、似合いもしないのに――― だってそうだろキム、俺は歌い手だった。奴らは楽器の演奏者だった。それが、冗談じゃない量のはったりをかまして、そんなことをしてしまった。無理を環境のとんでもなさの中で通してしまったんだ。それがどれだけとんでもないことか俺も知ってる。そしてそれが十年も続いてしまった時、このままではいけないと思った」

「どうして」

「都市に来たばかりの頃の俺達は、生身の俺はまだ若かったよ。本当にね。だけどそれから十年も経てば、人間には、確実に時間がその上に積もっていくんだ。―――は―――の演奏者だった。それだけが自分の全てのように言っていた。そんな奴を、十年も、俺のせいで、そこに足止めしていたんだ。音を出すこともできず。ただ俺の居るその都市を守るためだけに。逃げればいいのに、と言ったことがある。そしたらあの馬鹿は、こう言ったよ。『だってお前はここから動けないんだろう?』馬鹿じゃないか全く」


 時々、ハルの指は組んだ手の上で不規則に動く。キムはそれに何となし目を取られていた。


「だけどそんな馬鹿だから」


 そして不意に気付く。

 耳を澄ます。聞こえない。

 聞こえない?


「だから俺は」


 口は、動いているというのに。


「俺の知っている、都市を元に戻す方法を実行したよ」

「それは成功したの?」

「したよ」


 短くハルは答え、うなづく。


「そして俺は、生身の身体を永遠に無くした」


 キムは息を呑んだ。


「俺のことはいい。俺は戻ってこないつもりだった。その『彼女』の居る空間に身体と一緒に閉じこめられて、永遠に眠る、それでもいいと思っていた。仕方ないと思っていた。それは俺のしたことに対するものだから。だけど、連れ戻しに来た馬鹿が居たから」

「連れ戻し…… そんなことができたの」

「できたの」


 説明はない。首領の話すことは、どれだけ理不尽に不可解に聞こえても、どうやら現実に「在った」ことらしい。キムは情報の受け取り方を切り替えた。


「そしてそいつは、あんたを取り戻した」

「そう」


 ハルは大きくうなづく。

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